初級翻訳・塩原多助一代記 第24話

塩原多助一代記

「黙れ、おえい! お母さんには何を言われても、これまで一度だって言い返したことはない。だが、汝(おまえ)まで同じように『圓次を殺した』だの『お作と訳がある』だの、身に覚えのないことを理由にして離縁を迫るのか! 父上の遺言を忘れたか? 『従弟同士で夫婦になれば家も治まる。もし遺恨を抱いて夫婦別れをするようなことがあれば、草葉の陰から勘当するぞ』と言われたことを忘れたのか! 私を追い出そうとして『夫婦らしくない』などと言うのは、そっちの方だろう。お前たちの方が私を冷遇しているんじゃないか!」
「偉そうな口をきくんじゃないよ! 何の働きがあってそんな亭主面をするんだい。本当に生意気だよ。高慢なことを言うな、親不孝め!」
おかめはそう言いながら、そばにあった粗朶(そだ)を掴み上げ、ピシリと打ちました。多助が「あッ」と言って囲炉裏の端へ倒れ込むと、おかめはその髪を掴んで引きずり倒し、何度も何度も打ち据えました。その時、この家の奉公人で忠義者の五八が見かねて飛び込んできました。
「お内儀さん、呆れたものだ! 謂れのないことで何をするんですか!」
「多助のことになるとすぐに出てくるね。お前の知ったことじゃない、引っ込んでいな!」
「今聞いていれば何事ですか! 多助さんが圓次を殺しただの、荷を盗んだだの……多助さんが人を殺すような人間か、あんたも分かっているでしょう! よしんば悪人だとしても、あんたにとっては子じゃないか。血のつながった甥じゃないか。それをあんたの口から言うなんて! 陰になり日向になりして見守るのが親でしょうに、親が先頭に立って『殺した』なんて……本当に呆れて物が言えません。多助さん、あんたが出ていけばこの家は潰れますよ。私がいる限り、どんなことがあっても出させやしません。お内儀さん、いい加減になさい!」
「多助のことになると目くじらを立てて! 自分の子を勘当するのは当然のこと、お前の世話にはならないよ!」
「はい、私は奉公人ですが、多助さんはこの家の相続人です! あんたより先にこの家に入ったのは多助さんだ。十四年あとの八月に多助さんが来て、その翌月にあんたが来て、翌年に前の奥さんが亡くなった。後添えにと勧められた時、多助さんには『叔母さんだから縁が良い』と言ってあんたを入れた時、あんたは何と言った? 『ありがたい、果報者だ』と言ったじゃないか!」
「何を言うんだい! お前の厄介にはならないよ、生意気なことを言うな!」
「生意気もなにもない!」
五八が声を荒らげて言い返すと、多助が止めに入りました。
「五八、酔っ払って強情なことを言うな。すべて私が悪いんだから、堪忍してくれ。五八、向こうへ行け」
「どんなことがあっても、多助さんは出しません!」
「あんたから先に出ていきな!」
「私は奉公人ですが、前の旦那様に雇われた身です。私が出ればこの家は潰れるから出ません!」
そう言い争うのを、多助は無理やり五八を外の座敷へ連れ出しました。
「あんなに母様に逆らってはダメじゃないか」
「ですが旦那様、口惜しくてたまりません! 世間では『泣き多助』と呼ばれていると聞いて、訳を尋ねれば母様がいつも不機嫌で、あんたが泣きながら外を歩いていると聞きました。三百石の田地を持つ旦那様が、母様の機嫌のせいで家にいられず馬を引いて外へ出るなんて……奥様のおえいどんまで一緒になってあんたを追い出すなんて情けない。私が言えることは言わせてもらいます。あんたが出れば原丹治親子が乗り込んでくるに違いない。あいつらは屋敷者だから百姓仕事はできないでしょう。そうすれば塩原の家は潰れます。多助さん、辛いでしょうが辛抱して、家を出てはいけません。私も命がけで一緒に働きますから、我慢していてください。家が大事なんです」
「ああ、五八。家のことを思って心配してくれるのはありがたい。原丹治親子のことも分かっているが、言い立てれば血で血を洗うようなことになる。世間に対して家の恥になるから、今までは何も言わず堪えてきたんだ。だが、本当に辛くて堪えきれないことが度々ある……分かってくれ」
「ごもっともです。私も命がけで働きますから、どうか詰まらないこと(死ぬこと)を考えないでくださいよ」
五八が心から慰めていると、馬小屋で「青」という馬がヒンヒンと嘶き、バタバタと荒れ狂う音が聞こえてきました。五八が慌てて駆けつけて馬をなだめていると、そこへやってきたのは、あの原丹治でした。これは、丹治が圓次を殺した時の顔を馬が見覚えていたようで、怖がって暴れ回ったのです。丹治も「なぜ馬がこんなに騒ぐのか」と不審に思いながら奥へ入っていき、おかめと二人きりで何やらこそこそと話し込んでいます。

多助は馬が驚いた様子を見て、ハッと気づきました。「そうか、この前、庚申塚で圓次を殺したのは、丹治が暗闇で私と人違いをしたに違いない。このままこの家にいれば、いつか私も殺されるかもしれない。もし命を落としてしまったら、どんなに恩返しをしたくても、この家の力になることはできない。八歳の時から住み慣れたこの村を離れるのは辛いことだが、一度ここから逃げ出して、名前も知らない江戸という場所へ行こう。どんなに辛い奉公でもして金を貯め、いつか潰れてしまった塩原の家を立て直すことこそ、養父である角右衛門様へのせめてもの義理だ」と覚悟を決めました。多助は、五八や叔父の太左衛門様にも直接は言わず、心の中で別れを告げて、沼田の下新田を旅立つ決意をしたのです。

八

物語もいよいよ中盤に差し掛かり、ここからが面白くなるところです。昔の物語は嘘のような話が多いと言われますが、それは昔と今では物価が全く違うからです。今となっては信じられないような安い値段の話も、昔は当たり前だったのです。

近頃まで、銭湯の代金は八文、髪結いは二十八文、寄席の座席料は四十八文から五十文ほどでしたが、今では四銭となりました。これを「高い」と思う人もいれば、ひいきのお客さんからは「圓朝の落語や寄席の料金がこんなに安くては国の恥だ。もっと高くすべきだ。西洋へ行けば、大道講釈のようなものでも一円や二円は取る。それなのに楽屋の者まで大勢出て、畳に客を座らせて四銭とは芸が安っぽく見える。せめて一人前五円くらい取ったらどうだ」と言われますが、そんなに高くしては誰も寄席に来てくれません。仕方がないので、四銭ということに落ち着いているのです。

昔は蒲鉾が一本四十文だったと言います。
値段の安い話ばかりで恐縮ですが、下駄の鼻緒なども昔は二足で三文でした。そこから転じて、粗末なものを「二足三文」と言うようになったそうです。

馬の値段も、昔は南部(なんぶ)の立派な馬でも五両程度のものでした。今では馬が流行っていて、皆さん馬に乗って歩いていらっしゃいますが、時々横倒しに乗っている方を見かけると危なくて仕方がありません。今の馬はどれも二三百円もするので、昔とは全く模様が違っているのです。

塩原多助の養父・角右衛門が買った馬は、南部の盛岡の市で五両五粒という値段で買った良い馬でした。

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