戒名は「一庵了心信士」といい、今でも八軒寺町の東陽寺というお寺に石碑が残っています。
葬儀も無事に終わり、三十五日には多助がおかめ、おえい、五八を連れて養父の墓参りに行きました。その時、太左衛門は用事があって一緒ではありませんでした。お参りを終えて四人で連れ立って帰る途中、雨が降ってきました。
多助「五八、雨が降ってきて困ったな。そんなにひどくはならないだろうけれど、もし強くなると困るから、この木の下で雨宿りをしているよ。お前、走って行って傘を取ってきてくれないか」
五八「へい、すぐに行ってまいります」
五八が急いで走り去ると、いつからつけていたのか、道連れの小平と継立の仁助が横から頬かむりをして現れ、突然おえいを担ぎ上げて連れ去ろうとしました。多助は驚いて、必死に小平の足にしがみつき「盗賊だ!」と叫びましたが、小平は「邪魔だ、この野郎!」と蹴り返しました。多助は仰向けに倒れましたが、すぐに起き上がってまた飛びかかります。おかめも驚いて助けに入ろうとしますが、横面を叩かれて倒されました。それでも這い寄ってしがみついている間に、仁助はおえいをずるずると引きずりながら脇道へ入り込んでしまいました。
おえい「ああ、誰か助けて! 人殺し!」
と叫んでも、ここは人通りのない田舎道です。助けてくれる人は誰もいません。そこへ通りかかったのは、土岐伊豫守殿の家来である原丹治と、その息子・丹三郎という侍の親子でした。湯治の帰りで通りかかったのですが、先ほどから女の「人殺し」という叫び声が聞こえるので、何事かと急いで駆けつけてみると、雨の中で激しい争いが始まっています。大人の男たちが女を捕まえて乱暴している様子があまりにひどいため、見かねた丹治殿が、女を連れて逃げようとする仁助の横鬢(耳の横の髪)をガツンと打ちました。打たれた仁助はよろめき、前足を上げたところをさらにもう一蹴りされて、尻餅をつきました。もう一人の小平に向かっても、持っていた扇子で頭を「トーン」と打ち据えたので、二人の悪党は呆気にとられて立ち尽くしました。
丹治「狼藉者め、女を捕まえて何をするつもりだ!」
おかめ「おかげさまで助かりました。娘をさらおうとする悪い奴らでございます。どうか殿様、お助けくださいまし!」
小平「殿様、何も知らないくせに……ああ痛え! ひどい頭の打ち方しやがって。殿様、この女は俺の妹なんだ。さらって江戸からこの沼田の下新田まで連れてきたと知って、母親と二人で話し合いに来たんだよ。土地の人間が徒党を組んで俺たちに恥をかかせて追い返そうとするから、腹が立って仕方がないんだ。俺が自分の妹を連れて行くのに、何か文句があるか!」
おかめ「殿様、そんなことはありません! この子は私のかけがえのない実の娘でございます。七歳の時に、あいつがさらっていったのでございます」
小平「何を言う! 殿様は何もご存じないんだ。間違いなく俺の妹だ。この間の火事で母親とはぐれて行方が分からなくなったから、あちこち様子を聞き回って、ここにいると突き止めたんだ。旅費を使ってこんな山の中まで探しに来たのに、手ぶらで帰れって言うのか!」
おかめ「そんなことありません! あいつは私の方へ、『この娘を渡す』という証文を入れ、印鑑まで押してよこしたんです。だからこそ、金五両を渡したのですよ!」
小平「旦那、この女の言うことなんてデタラメですよ」
丹治「なんだか貴様たちの言っていることは、わしにはさっぱり分からん」
丹治殿はおかめに向かって尋ねました。
丹治「一体、どういうわけなのだ?」
おかめ「本当に、あの子は私の娘なのです。七歳の時にさらわれた子でございます」
丹治「そうだろうな」
そう言い合っている後ろに立っていた息子の丹三郎が、ふと口を挟みました。丹三郎は時々友人に誘われて三田の「あだ屋」という店に遊びに行っていたことがあり、そこでお梅(おえい)や小平のことも以前から知っていたのです。
丹三郎「お父様、その男は道連れの小平という悪い奴ですよ。胡麻の灰(詐欺師)をやっていると聞いています。母親の方も相当な悪党だそうです。嘘に決まっていますよ。きっとその娘は、幼い時にさらってきたんでしょう。とにかく、あいつは胡麻の灰ですよ」
小平「なんだと! 人を胡麻の灰呼ばわりするな!」
丹三郎「黙れ! 貴様、自分が何者か分かっているだろう。同僚と一緒に貴様の家へ行ったことがあるが、胡麻の灰だというのは周知の事実だ。ぐずぐずしていると手討ちにするぞ!」
そう一喝されると、二人の悪党は這々の体(ほうほうのてい)で逃げ出していきました。
後には親子三人が残り、大喜びです。「とにかくお礼を申し上げたいから、どうか家へ寄ってください」と頼み、丹治親子を下新田の家へ案内しました。しかし、これが多助にとって大きな災難の始まりとなるのです。そのお話は、次回までお預けといたしましょう。
六
塩原多助は、養父の角右衛門が亡くなり、二十一日目のお参りからの帰り道に、悪者の小平と仁助によっておえいが再びさらわれそうになったところを、土岐様の家来である原丹治親子に救われました。まさに「地獄で仏」の言葉通り、本当にありがたい方々でした。多助たちは「何はなくともお礼を申し上げたい」と、丹治親子を自宅へ招きました。おえいはかつて三田のあだ屋にいた頃、遊びに来ていた丹三郎と顔見知りであったことも縁となり、それから丹治親子は度々多助の家へ遊びに来るようになりました。
丹治は四十五歳で独り身の暮らし、おかめも夫の角右衛門を亡くしてまだ三十七歳という若さです。少しやつれては見えますが、美しい花は香りを失わないのと同じで、色香がたっぷり残っていたのです。そもそもおかめという女は、かつて家来の右内と浮気をして家を飛び出すような不貞な性格でした。それゆえ、酒の勢いもあったとはいえ、ついに丹治とも男女の関係になってしまったのです。おかめは丹治を深く慕い、世間の目や多助の存在がありながらも、こっそりと逢瀬を重ねるようになりました。今では恥じらいも忘れ、公然と密会を繰り返すようになったため、近所の人たちにも度々見つかってしまう始末です。
おかめは「どうにかして丹治と一緒になりたい」と願うようになりました。しかし、そうするためには多助を追い出さなければ邪魔でなりません。多助を追い出すにはどうすればよいかと思案するうちに、また悪知恵が働きました。丹三郎もまだ独身であることから、「もし丹三郎とおえいがいい仲になれば、私も丹治さんと末永く楽しめるだろう」と考えたのです。
なんとあろうことか、主(あるじ)のある身であるおえいに邪な関係を勧め、丹三郎と密通させました。親子そろって姦通にふけるという、誠に許しがたい所業です。多助も薄々とは感づいていましたが、事を荒立てれば「血で血を洗う」騒ぎになり、家の恥、己の恥となるだけです。何より亡き養父・角右衛門の位牌に対して申し訳が立ちません。
「ああ、情けない心得違いの母親だ。あまつさえ妻のおえいまでそのようなことをするとは、犬畜生にも劣る奴らだ」と憤りつつも、相手は領主・土岐様の家来であるため、うかつに言い立てることもできません。
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