善右衛門「今帰ったぞ」
主人が声をかけると、奉公人たちが皆出てきて、「へい、お帰りなさいませ!」と挨拶をしました。
奉公人「ずいぶんお帰りが遅いので、お迎えに出ようかと思っておりました……おや、夜分に乞食を連れ込んで、困りますねえ」
善右衛門「乞食じゃない。これは私が連れてきた人だ。さあ、こちらへ入りなさい」
多助「へい、失礼いたします」
善右衛門「おい、お前はその縄の帯を取りなさい。そこに水が汲んであるから足を洗え。雑巾は手桶にかけてある。……おや、湯布(手ぬぐい)がないか。まあ、もういい、湯布も売り払ってしまったからな。さあ、こちらへ上がれ。おい若衆たち、この人をうちの奉公人にするつもりだから世話をしてやってくれ。国から出てきて頼る所がないと言って、今まさに昌平橋から身を投げようとしていたところを助けてきたのだ」
奉公人「へい、それは御奇特なことでございますね」
多助「皆さんは番頭さんでございますか。私は遠い山国から出てきて、頼る当てもなく、今まさに身を投げようとしたところを、こちらの旦那様に助けていただいたのです。どうかお見知りおきを。それから……皆さんは番頭さんですから、こんな者を置いては店のためにならないから追い出したほうがいい、なんて旦那様に吹き込まないでくださいよ」
善右衛門「そんなことを言わなくてもいい。質朴でいいな。どうだ、腹が減っただろう。なんと、昨日から何も食べていないのか。おい小僧、台所へ連れて行って飯を食わせてやれ。きょとんとしていないで、今日は御先代の命日でもあるし、誠によいことをした」
番頭「誠に、素晴らしい御慈悲でございます」
善右衛門「今の男は、何としても辛抱して義理のある家を立てたいという、非常に立派な心掛けの奴だから、皆も目をかけてやってくれ。きっと一人前になるはずだ。……おい、飯は食ったか?」
多助「食べ過ぎて座れません。ひょっと追い出された時に、また三百里もの道を歩くことになったら困りますから」
善右衛門「何か食べたのか?」
小僧「何も食べておりません。何を勧めても『もったいない、もったいない』と言って口にせず、塩物をやっても食べません。お香物を少し舐めて御膳を平らげ、最後に香物をバリバリと食べたくらいです」
善右衛門「そうか、妙な男だな。おい、善太郎、こっちへ来い。これは今、私が助けてきた人だ。名前は何と言ったかな、助けてきたから『多助』でいいか。多助よ、これはうちの倅(せがれ)だから、いろいろと用を言いつけるぞ」
多助「へえ、若旦那様でございますか! ああ、今夜はあなた様のお父様に助けていただきました。どうかお見知りおきを。……あんたの着ているのは、ずいぶん立派な着物でございますね」
善右衛門「うちの倅は、いい着物でなければ着ないのさ。いや、これは普段着の結城紬(ゆうきつむぎ)だよ」
多助「へえ、これが結城紬でございますか。結城紬というのは、糸を一本一本手でよって、それを高機(たかはた)で軽く打って仕上げるのではなく、女たちが力に任せてギチッと締めて織り上げるものだから、そう簡単にできるものではありません。それを普段着にするなんて、もったいなくて仕方ありませんよ! これからあなたと二人で一生懸命稼いで、この家を大きくしなければなりません。あなたも親孝行をしてこの家を大切に思うなら、普段は木綿を着るのがよろしいですよ。それと旦那様、あれでは奉公人のおかずが多すぎます。奉公人のおかずは二度もいりませんから、一度で済ませるようにしてください」
多助が主人たちの前で次々と意見を言うので、善右衛門は「妙なことを言う奴だ」と驚きつつも、その様子を眺めていました。多助は善右衛門を命の恩人と心に刻み、ありがたく思うとともに、寝ても覚めてもその恩義を片時も忘れませんでした。何事にも気を利かせ、身を粉にして一生懸命に働き続けました。「子に臥し寅に起きる」という戒めの通り、夜の九つ(深夜0時)に寝て、寅の七つ時(午前4時)には起きるという生活ですから、眠る暇などほとんどありません。
朝はまだ暗いうちから起き出し、まずは店の前を竹ぼうきで掃き清めます。犬のフンなどが落ちていても汚いなどとは少しも思わず、片付けて川へ投げ捨てます。掃除が終わると、台所のおさんどん(炊事係)が起きてきて、かまどの火を焚き付けます。すると多助は水瓶へ水を汲み込んでやり、そうこうするうちに店の者たちがようやく起きてきて台所へ顔を洗いにやってくると、一人ひとりに手水盥(ちょうずだらい)へ水を汲んでやります。店の土間を掃いている間に、店の者たちが朝食を食べ終えてしまうので、その後にようやく自分が食事をとり、それからすぐに納屋へ行って炭を担ぎ、奥蔵の脇の納屋に積み込みます。何から何まで隙間なく働くので、主人はもちろん、店の者たちまで皆が感心していました。
多助はあまりに風変わりな着物を着て働いているので、善右衛門が言いました。
善「多助や、多助や」
多「はい、はい」
善「お前はそんなボロボロの着物を着ていてはいけないよ。勇次郎の古着をやってあるのに、なぜ着ないのだ」
多「へえ、ありがとうございます。ですが、着ればすぐに破れてしまいますから、やっぱりこの古い襦袢(じゅばん)の方が、破れる心配をしなくて済むので、かえって働きやすいのです」
善「働きやすいったって、あまりに見っともない。それに裸足で歩くのはやめなさい。草履を履きなさい。もし足を踏み抜いてケガでもして、三日も四日も休むようなことになったら大変だぞ」
多「踏み抜きはいたしません。踏み抜かないように、朝の暗いうちに貝殻や小さな砂利、瀬戸物の破片などを拾って、清潔に掃き清めていますから、道は平坦になっております」
善「それでもあまりに見苦しい。裸足で納屋から行ったり来たりしているから、人様が見て『山口屋の奉公人はなんだ、あんな格好をさせておいて。乞食を見たようだ』と言われては外聞が悪いんだよ」
多「旦那様、それならもし誰かがそう言ったら、『あれは奉公人ではなく、乞食がお百度参りをしているのだ』と言い返してください」
善「そんなことが言えるものか。何か(まともな)着物はないのか」
多「旦那様、この間柳原を通った時に、古着屋に一枚買いたいと思った着物がありました。値段を聞いたら六百文と言われましたが、五百五十文くらいには負けてくれると思います。買ってもよろしいでしょうか」
善「田舎者だと思って馬鹿にされ、偽物でも売られてはいけないぞ」
多「なに、私はしっかりと調べました。必要なら縫い目を解いて裏返して見てやりますよ」
善「それが気に入って着られるというなら、買ってきなさい」
そう言って銭を持たせると、多助は急いで柳原へ向かい、その古着を買い取ってすぐに着て帰ってきました。それを見た善右衛門は言いました。
善「ふふ、妙な塩梅(あんばい)だな。和平どん、見なさい。紋付きの筒袖(つつそで)というのは初めて見たぞ。妙なものだなあ」
和「へえ、珍しいものでございますな。
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