小前(村の平民)の者が間違ったことをすれば諭してやるのが名主様の役目なのに、その名主様ともあろうお方が、親類に内緒で済ませるなんてことがありますか」
幸左衛門「それは、ごもっともなように聞こえるし、確かにその通りだが……先ほども言った通り、これは表向きの祝言ではないから知らせなかったのだ。表向きの祝言ならば親類や檀那寺にも届けるのだが、内々のことだから知らせなかったのだ」
太左衛門「それじゃあ、私は内輪の人間ではないということですか?」
幸左衛門「内輪の者であることに違いはないが……その、領主様の、その……」
名主も言葉に詰まり、どうしようもなくなってしまいました。何と言っても道理が通っているのは太左衛門の方ですから、名主も言い返す言葉がなく困り果てていました。そこへ原丹治が見かねて前に出て、太左衛門より少し下座に座り、こう言いました。
「太左衛門殿、私も全く気づかなかった。お前の方には話がいっているものとばかり思っていたよ。名主様も非常に多忙であるし、特に小前(平民)の者たちを子のように思っているから、お前の方へは後で話をするつもりだったのかもしれん。おかめが話をしていなかったのは重々悪いが、彼女は女のことでその辺りに気が回らなかったのだ。実に申し訳ない。お前の言うことはもっともだが、この婚礼が破談になっては、何も知らないおえいや丹三郎がかわいそうだ。お前が承知さえしてくれれば、これ以上ない目出度いことだから、どうか勘弁してやってくれ。この通り、丹治が首を下げてお詫びをする」
太左衛門は答えました。
「これは恐れ入ります。まあ、頭をお上げなさい。至極もっともな言い分ですが、お城のお侍が百姓に手をついてお詫びをするような訳はない。道に背いているからお詫びをなさるのでしょうが、道に背いたことはどうしても通せません。貴方が何と言おうと、亡くなった角右衛門の御霊の前で、この婚礼は認められません。また、何も知らないおえいや丹三郎が不憫だとおっしゃるが、二人とも何も知らないという訳ではありません。というのも、先だって店で拾った手紙があるのです。私も焼いてしまおうかと思いましたが、取っておいてあります。これを表沙汰にすれば貴方のお役目にも関わることになるから、何にも言わずに帰ってください」
そう言われた時、原親子の二人は驚愕しました。先日の艶書(恋文)は太左衛門がとっくに焼き捨てたものとばかり思っていたのに、取ってあったとは。ああ、困ったことになったと思っていると、丹三郎は血気盛んな若者ですから気が逸り、この男がいるから可愛いおえいと夫婦になれないのだと思い込み、側にあった刀をスッと抜いて、突然太左衛門に斬りつけました。その頃の人は人斬り包丁など見慣れていないため、太左衛門はこれを見て驚き、外へ逃げ出そうとして縁側から転がり落ちました。慌てて厩の方へ逃げると、五八が鋤(すき)を提げて飛び出し、
「さあ、旦那様を殺せばお前を殺すぞ! 多助さんの代わりに俺が貴様を打ち殺してやる!」
と勢いよく抗いました。丹三郎はこれにひるんで後ずさりしましたが、おえいは嫁入り姿のまま駆け出し、可愛い丹三郎さんに怪我をさせてはならないと思い、突然五八の髷(まげ)を掴んで後ろへ引き倒そうとしました。その隙を突いて、前から丹三郎が五八の顔面を切りつけました。
「ああ、俺を切りやがったな!」
と五八が叫びます。丹三郎がさらに斬りつけようとすると、太左衛門は厩の方へ逃げてきましたが、前は厩、西は灰小屋、こちら側は生垣で逃げ道がありません。慌てて前の方にあった大豆や小豆が干してある場所へ出たところ、莚(むしろ)に躓いて倒れてしまいました。そこへ丹三郎が長刀を振り上げ、一刀のもとに太左衛門を斬ろうとします。太左衛門にもはや逃げ道はありませんが、不思議なこともあるものです。厩につながれていた「青」という馬は、多助が家を出る時に沼田原の松の木へつないで言い聞かせたところ、多助の言葉に感じて涙を流したというほどの名馬でした。今、太左衛門が丹三郎の刃の下で殺されようとする様子を見ると、ドーンと厩から躍り出ました。
田舎では厩の前に「ませ」という丸太の柵があります。その柵を馬が鼻先で跳ね除けて外へ躍り出し、突如として後ろ足を蹴り上げて丹三郎を蹴飛ばしました。丹三郎がそこへ倒れると、馬がその肩へ噛みつきました。丹三郎は苦しげに「ヒイッ」と泣き声を上げ、七転八倒の苦しみを味わいました。これを見ていたおえいは驚いて「アレー!」と叫びながら逃げ出そうとすると、馬はさらに暴れておえいを追いかけ、背後からおえいの髷を噛んで引き倒し、花嫁の美しく厚化粧をした顔をモリモリと噛みました。これは全く、馬が多助の仇を討ったようなものでございました。
この間に太左衛門と五八は表の店へ行き、居合わせた若者たちに事の次第を話しました。普段から嫌われている名主ですので、若者たちは「名主も原も打ち殺してしまえ!」と怒り、これより百姓五、六十人が武器を持って塩原の家を取り囲むという展開になるのです。さて、塩原多助はもうどうにもこうにも追い詰められ、仕方なく昌平橋から身を投げようとしていたところを、後ろからガシッと抱き留められました。
多助「どなた様かは存じませんが、どうか放してください。生きていくこともできないほど、深い義理に縛られている身の上なのです。どうか死なせてください」
男「おいおい、そんなことを言うな。今聞いていたが、遠い国から出てきて奉公しようとしているのに、身元引受人がいないから死んでしまうと言っているのか。死んだら、その義理のある家を助けることもできないじゃないか」
多助「はい、その通りでございます」
男「死んで家を立てることができないのなら、死ぬ必要なんてないじゃないか」
多助「ですが、このまま生きていてもお腹が空いて餓死してしまいますから、どうか放して死なせてください」
男「だがな、その身元引受人がいなくても、奉公先さえ見つかればいいんだろう?」
多助「はい……ですが、こんな乞食のような者をお店に置いてくれるところなんてありません」
男「俺の家で奉公させてやろう。こういう追い詰められた状況だと死ぬ気にもなるだろうが、人間というものは少し時間が経って気持ちが落ち着けば、苦しかったことも忘れてしまうものだ。だから、お前が『死んだつもり』になって死に物狂いで働けば、奉公に置いてやろう」
多助「えっ! あなた様はどちらの方ですか? 私、死ぬほどの苦しみをして働くことなど何とも思いません。本当にありがとうございます。どうか置いてやってください!」
男「だがな、今のこの気持ちを忘れてはいけないよ。死ぬときは殊勝なことも考えるものだが、少し過ぎれば忘れてしまうのが人間だ。お前が死ぬ気になって辛抱さえすれば、国へ帰るときには小遣いぐらいは持たせてやるから、私と一緒に来なさい」
そう言って、二人は連れ立って歩き出しました。
この人は、神田佐久間町の河岸に店を構える、山口善右衛門という炭問屋の主人でした。家は八間(約14メートル)もの間口があり、土蔵もいくつも持っている大店で、多くの奉公人を抱えています。
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