初級翻訳・大きなかに 第2話

大きなかに

「もしかして、キツネかお化けがやってきて、戸を叩いているのかも……」
そう思うと怖くなって、ドキドキしながら黙っていました。

すると、この音に気づいたのは自分だけではなかったようで、お父さんかお母さんが起きてきた気配がしました。
ランプの薄暗い光が、家の中を照らしました。
まだ、夜は明けていませんでした。
でも、真夜中を過ぎていることだけは確かでした。

そのうちに、表の雨戸が開く音がして、
「おや、まあ! どうしてこんな時間に帰ってきたんですか?」
という、お父さんの驚いた声が聞こえてきました。
続いて、何かを話しているおじいさんの声も聞こえました。

「おじいさんだ! おじいさんが帰ってきたんだ!」
太郎くんはすぐに服を着ると、みんなが話している居間を通って、入り口の方へ駆け寄りました。

おじいさんは、朝出かけたときと同じ格好をしていましたが、なんと背中には、真っ赤で大きなカニを背負っていました。
「おじいさん、そのカニどうしたの!?」
太郎くんは嬉しくて、早く教えてとおじいさんにせがみました。

「こら、静かにしなさい」
とお父さんは太郎くんを注意してから、
「それにしても、どうしてこんな夜中に帰ってきたんですか?」
とおじいさんに尋ねました。

「いやあ、もうそんなに寒くはないよ。なにしろ春が近いからね。早く向こうを出たんだが、途中で道を間違えてしまってね……」
とおじいさんは、トボトボとした足取りで家の中に入ると、荷物を下ろしました。

「道を間違えたって、もうすぐ夜が明けますよ。この真夜中に、一体どこを歩いていたんですか?」
お父さんもお母さんも、みんなあきれた顔でおじいさんを見つめていました。
太郎くんは心の中で、「やっぱり、おじいさんは僕が思った通り、キツネにだまされたんだ」と思いました。

やがてみんなは居間に集まって、ランプの光の下に座りました。
すると、おじいさんは今日あった出来事を、こんなふうに話し始めたのです。

「わしは早く家に帰ろうと思って、あっちの村を出たんだ。でも、冬は日が短いから、途中で日が暮れてしまってね。困ったなあと思いながら一人でトボトボ歩いていると、星がきれいに晴れわたって、とてもいい夜の景色だった。もうすぐ春が来るんだな、なんて思いながら歩き続けていたんだよ。

海辺まで来ると、雪は少なくなっていた。海のずっと遠くを見ても、夕焼けの光はすっかり消えていて、真っ暗な中で波が打ち寄せる音だけが、『ド、ドーン』と響いていた。

ちょうどそのときだ。あっちの方で、人間が五、六人、雪の上で火をたいて、何やら話し合っているのが見えた。
『こんな時間に、何をしているんだろう。きっと魚がたくさん捕れたに違いない。家へのお土産に買っていこう』
とわしは思って、何げなくその人たちのそばまで行ってみると、みんなでお酒を飲んでいたんだ。
その人たちは、毎日潮風に当たっているせいか、焚き火の光に照らされた顔が赤黒く見えたよ」「その人たちが何を話しているのかは、さっぱりわからなかったけれど、わしが行くと、みんなはお酒をすすめてくれたんだ。
わしはついつい、二、三杯飲んでしまったよ。
お酒がまわってくると、本当にいい気持ちになってね。
『これなら一晩中歩いても大丈夫だぞ!』というくらい、元気がわいてきたんだ。
わしが『何かお土産にする魚はないかな?』と聞くと、その中の一人の男の人が、このカニを出してくれたんだよ。
お金を払おうとしても、その人は手を振って、どうしても受け取ろうとはしなかった。
それでわしは、その大きなカニを背中に背負ったんだ。
それからみんなと別れて、一人であっちへフラフラ、こっちへフラフラと千鳥足になりながら、星空の下、広い野原を歩いて帰ってきたというわけさ」
……とおじいさんは話しました。

みんなは、なんて不思議なことがあるんだろうと思いました。
「よく星の光だけで、雪道がわかりましたね」
と、太郎くんのお父さんは言って、びっくりしていました。
「おじいさん、それはきっとキツネにだまされたんだよ。野原の中に、たくさんロウソクの火がついていなかった?」
と、太郎くんはおじいさんに向かって言いました。
「ロウソク? そんなものは知らんが、思ったよりも明るかったよ」
と、おじいさんはニコニコ笑いながら、タバコを吸っていました。

「もらったカニというのは、どんなカニかしら」
とお母さんが言って、おじいさんが背負ってきたカニを、みんなの前に持ってきました。
見てみると、それは驚くほど大きくて、真っ赤な海のカニでした。
「もう夜も遅いから、今じゃなくて明日の朝食べましょうね」
とお母さんは言いました。
「なんて大きなカニなんだろう」
と言って、お父さんもびっくりしていました。

みんなは、まだ起きるには時間が早いからと言って、もう一度布団に入りました。
太郎くんは、夜が明けたらカニを食べるのを楽しみにしながら、ブツブツとしたイボのある甲羅や、太いハサミのことが気になって仕方がありませんでしたが、そのまま眠りにつきました。

次の日になると、おじいさんは疲れが出てしまったのか、コタツに入ってじっとしていました。
太郎くんは、お父さんやお母さんと一緒に、おじいさんが持って帰ってきたカニを食べようと、居間に座っていました。
お父さんは小刀を使って、カニの足を切り離しました。
そして、みんなで硬い殻を割って、中の身を食べようとしましたが……なんと、そのカニは見た目とは大違いで、中には身がちっとも入っておらず、スカスカで空っぽの、やせ細ったカニだったのです。

「こんなカニがあるなんて、信じられないな」
お父さんもお母さんも、顔を見合わせて、たまげてしまいました。
太郎くんも、不思議でたまりませんでした。
おじいさんはとても疲れている様子で、なんだか少しぼんやりとしているようにも見えました。

「そもそも、こんなカニがこの近くの浜で捕れるものだろうか?」
お父さんは、考え込みながら言いました。
海までは、一里(約4キロメートル)ほどの距離がありました。
そこで、お父さんは、こんなカニをもらったという町まで行って、昨日の夜のことを聞いてこようと言い出しました。

太郎くんも、お父さんに連れられて海辺の町へ行くことになりました。
二人は家を出発しました。
空は相変わらず曇っていましたが、暖かい風が吹いていました。
広い野原にさしかかったときのことです。
「ずいぶん、雪が溶けてきたなあ」
とお父さんは言いました。
黒い森の姿が、雪の上にだんだんと高く伸びて見えてきました。
遠くの方には、まるでお坊さんが黒い着物を着て立っているような、一本の木も見えました。

やっと海辺の町に着くと、魚屋さんや漁師さんの家を回って聞いてみましたが、昨日の夜、雪の上で焚き火をしていた人なんて、誰も知りませんでした。
それに、どこを探しても、あんなに大きなカニを売っている店はありませんでした。
「本当に不思議なことがあるものだなぁ」
と、お父さんは言いながら、首をかしげていました。

二人は海辺まで行ってみました。

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