初級翻訳・大金塊 第2話

大金塊

声をたててはいけない。
ただ目をつむって寝ていればいいのだ。
もし、さわいだりすると、きみはどんなめにあうかもしれないよ。
それがこわかったら、ただじっとしているのだ。
じっとしてさえいれば、きみは安全なのだ。
いいかね、命がおしかったら、そのままじっとしているのだよ。

 読み終わっても、あまりの怖さに、しばらくはものを考える力もなく、ただぼんやりしていましたが、やがて心が静まるにつれて、なんとも言えない気味の悪い疑いが起こってきました。
「いったい、これはどういうわけなんだろう。
なぜ、じっとしていなければならないのだろう。
きっと、じっとしていられないほど、妙なことが起こるにちがいない。
ああ、どんな恐ろしいことが起こるのかしら……。
それにしても、この手紙は、どこから落ちてきたんだろう。
天井には、そんな隙間なんかないのだし、窓はしめきってあるのだし……」
 考えながら、ふと気がつきますと、どこからか、部屋の中へ、冷たい風がスウッと吹きこんでくるような感じがしました。
「おや、窓が開いていたのかしら」
 思わずその窓の方へ目を向けましたが、そして、あの庭に面した窓の、厚いカーテンをひと目見たかと思うと、不二夫くんのかわいらしい目が、飛び出すばかりいっぱいに見開かれ、顔が今にも泣き出しそうにゆがみました。
おお、ご覧なさい。
その窓のカーテンの合わせ目から、ピストルの銃口が、じっとこちらを狙って、突き出されているではありませんか。
長いカーテンの下からは、二本の長靴がのぞいているではありませんか。
悪者です。
悪者が窓から忍び込んで、カーテンのうしろに隠れながら、騒げば撃つぞと、不二夫くんをおどかしているのです。
手紙を投げこんだのも、この悪者のしわざにちがいにありません。
悪者は息を殺し、身動きもしないで、黙りこんでいます。
顔も見えなければ、姿も見えません。
ただ、ピストルと、カーテンのふくらみと、下から見えている長靴で、それとわかるばかりです。
でも顔形が見えないだけに、いっそう不気味な感じがします。
相手がどんなやつかわかっていれば、まだいいのです。それがまったくわからないものですから、なんだかお化けにでも出あったような、口では言い表せないほど、心の底から寒くなるような恐ろしさです。
お話の本には、悪漢におそわれたおじょうさんが、歯の根も合わぬほどふるえていたと書いてありました。
それを読んだときには、「歯の根が合わぬって、どんなことかしら」と、ふしぎに思ったのですが、今こそ、その気持ちがはっきりわかりました。
ほんとうに上下の歯が、しっかりと合わないのです。
からだじゅうが小きざみにぶるぶるふるえ、歯がガチガチ鳴って、いくら止めようとしてもとまらないのです。
不二夫くんは、ざんねんながら、そうしてふるえながら、毛布の中に身をちぢめて、かたくなっているほかはありませんでした。
賊のいいつけにそむいて、たすけを呼びに行ったり、部屋から逃げだしたりすることは思いもよりません。
そんなことをすれば、むろん命がないのです。
あのカーテンのあいだから出ているピストルが火をふくのです。
その部屋は、おとうさまといっしょの寝室でしたから、すぐむこうがわに、おとうさまのからっぽのベッドが見えているのです。
そのベッドのまくらもとの壁には、書生や女中を呼ぶベルのボタンがあるのです。
ただ二メートルか三メートル走れば、それをおして人を呼ぶことができるのです。
でも、不二夫くんは、そのベルのボタンのところまでさえ行けません。
そこへ行くのには、どうしても自分のベッドをおりて、床の上を歩かなければならないからです。
歩けば、賊のピストルが火をふくにきまっているからです。
不二夫くんがそうして、生きたここちもなく、目をふさいで、わなわなふるえていますと、やがて、どこからか、みょうな物音が聞こえてきました。
ゴトゴト、ゴトゴト、テーブルだとかイスだとかを動かしている音です。
壁をたたくような音も聞こえます。
人の歩きまわるけはいもします。
「おや、あれは客間じゃないかしら。
客間へ賊がしのびこんで、あのたいせつな油絵や道具などをぬすみだしているんじゃないかしら」
寝室の壁ひとえとなりが、あの広いりっぱな広間なのです。
そこには、まえにしるしたとおり、いろいろな美しいかざりものや道具などが、たくさんおいてあるのです。
このおうちで、賊が目ぼしをつけるものといっては、さしずめ、あの高価な絵や道具類のほかにはありません。
壁のむこうがわの物音は、だんだんひどくなってくるばかりでした。
まるで大掃除か引っ越しのようなさわぎです。
書生や女中の部屋は遠いのですし、不二夫くんはピストルでおどしつけているから、だいじょうぶと思ったのでしょう。
賊たちは、人の住んでいないあき家をでも荒らすように、かってほうだいにあばれまわっています。
物音のようすでは賊はひとりではありません。
ふたりも三人もいるらしいのです。
あんな大きな物音をたてているほどですから、絵や置き物ばかりでなく、イスもテーブルも、じゅうたんも、金目のものは、いっさいがっさい、ほんとうに引っ越しのようにぬすんでいくつもりにちがいありません。
門の外には、賊の大きなトラックが待っているのかもしれません。
不二夫くんは、それを思うと、おとうさまに申しわけないようで、気が気ではないのですが、ざんねんながら、どうすることもできません。
カーテンのあいだからは、あのピストルが執念ぶかく、ねらいをさだめていて、いつまでたっても、立ちさろうとはしないからです。
うすきみ悪くだまりこんだ怪人物が、カーテンのむこうから、じっと不二夫くんをにらみつけているからです。
奇々怪々!

ああ、それはどんなに長い長い一夜だったでしょう。
不二夫くんは、まるでひと月もたったように感じました。
あまりのことに、こわさを通りこして、心がしびれたようになって、ボウッとなってしまって、今にも気をうしなうのではないかとあやぶまれたほどでした。
ピストルをかまえた怪人物は、一晩中カーテンのかげから動かなかったのです。
ですから、かわいそうな不二夫くんは、朝までまんじりともせず、カーテンとにらめっこしていなければならなかったのです。
しかし、その長い長い一夜がすぎて、やっと、夜が明けはじめました。
部屋の中がなんとなく、ボウッとうす白くなって、表の道路を牛乳屋さんの車が走る音、なっとう売りの呼び声などが聞こえてきました。
「ああ、うれしい。
とうとう朝になった。
でも、賊は客間のものを、根こそぎ持っていったにちがいないが、ああ、ほんとうに、ぼくが子どもで、どうにもできなかったのがざんねんだ」
不二夫くんは、ざんねんはざんねんでしたけれど、それでも、ホッとした気持ちで、れいのカーテンのほうを見ますと、ああ、なんという執念ぶかい、ずうずうしいやつでしょう。
あいつは、まだじっと立っているのです。ピストルをかまえて、カーテンの下から長ぐつの足を見せて、だまりこくって、立っているのです。
それを見ますと、不二夫くんはぞっとして、また首を毛布の中へちぢめてしまいました。

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