死にたくて虫けらのように生きる姿を描いた『墓標』を書き、食欲以外の何もない人生を嘆いた『ファンタジア』や『鍛冶屋のぽかんさん』を書き、暗闇におびえる『扇を持てる孤児の娘』や、青春の衰えに星雲の中で歯ぎしりして死んでいく、生き埋めのような自分の『一生』を書いた。そうしてほとんど再び行き詰まりの絶頂に達したとき、自分は突然、生きようとする勢い強い「誕生(発生)」を感じたのだ。
自分は生きる。
成長する。
今までのあらゆるものを振り払って、新しい世界へ思い切って飛び込む。
自分のこれまでは死の世界であって、生きるために目を開いた世界ではなかった。生きるために力を尽くした世界ではなかった。
自分はそもそも、自分の肉体というものを少しも愛したことがなかった。この体を殺そうとしても、生かそうとしても、ちゃんと向き合った世界ではなかった。
実際に、この人生に自分が生まれたということだって、とてつもなくすごい大事件ではないか。
この死の世界の中に、自分がそもそも産声をあげたというのも、実に力強い声だったのではないか。
この世界の中に新しい一つの存在、なくてはならない一つの存在を与えられたのではないか。
ああ、それなのに自分自身の手で、その自分を殺そうとしたものだな。
新しく生まれ変われ。
こうして、自分の世界を見る目は一変した。
見る見るうちに自分の心は、冬枯れの草が春の温かい日に出会って一度にすくすくと伸び出したように、いままで知らなかった世界に憧れを抱き、それに向かってぐんぐنと伸びていった。
そして、いても立ってもいられなくなって声をあげた。
これこそが誕生の声だ。
産声(うぶごえ)だ。
言葉の出ない子が突然しゃべりだすお伽話(おとぎばなし)にあるような奇跡的な出来事が、こうして自分の人生の途中で起きたのだ。
それは本当に奇跡であり、命の不思議であった。
計り知れない自分の力が急に目を覚まし、見慣れない地、見慣れぬ空、見慣れぬ人間に、心が驚きでいっぱいになった。
そして、いままで縮こまっていた力が一斉に地下から天へと向かい、まわりのすべてに対して目覚ましいほどにぐんぐん伸びていった。
自分は新しく生きる。
新しく育つ。
いままでのあらゆる過去を栄養にして、新しい命の芽生えに言い知れない愛おしさを感じる。
自分は感謝した。
自分のなかに眠る、かすかですごい力に感謝した。
その感謝の気持ちから『日の子』という詩を書き、「自分はこの太陽の愛し子であり、隠し子なのだ」と言ったとき、自分の心は言葉にできないほどの喜びに満ちあふれた。
ああ、自分は何よりも光を愛している。
明るく輝く世界こそが、自分の進むべき世界だ。
自分はたとえ涙を流しながらでも、それをどこまでも追いかけていくだろう。
永遠に追いかけていくだろう。
それからの自分は、大洋の波のように、海の底を潜っては水面に浮かび、底を潜っては水面に浮かびしながら、はるかな岸を目指して進んでいった。
この「発生」は、自分にとってめったにない心の火花だったけれども、それが心のすべてを一気に変えたわけではないことは、そのとき、それとはまるで違った『冬の日暮れ』や『遠い故郷』といった詩が、自分でも気づかないうちにまじって生まれてきたことでもわかる。
その「発生」が爆発するような喜びは、『すべての友達に送る手紙』を最初のきっかけとして、古いしきたりや人間関係、そして今までの古い自分をすっかり焼き尽くす情熱となった。そして、今までの自分や周囲の人間関係を攻撃し、破壊し、ひっくり返す役割を果たした。
こうして戦いの上にさらに戦いを重ね、戦いの上にまた戦いを重ねて、自分の心は疲れ果てるまで力いっぱい戦い抜いた。
『太陽崇拝』の仲間たち、『自分のものとする女に送る歌』『あらし』『日本の文学者に与ふる歌』『男性の歌』『航海の歌』などは、そうした戦いの中から生まれた、命を愛する叫びなのだ。
とくに自分は、『航海の歌』のある部分がとてもお気に入りだ。
そして自分は、自分で叫んだその声に何度も励まされて、新しい人生を歩み始めたその年(大正二年)を過ごした。
自分は太陽の子だ。
どんなに暗い奈落の底へ落ちたとしても、あの燃え上がる空中の、偉大で厳かな火の玉に憧れずにはいられない。
自分は、あの太陽から遠ざかれば遠ざかるほど、その愛おしさがぐっと深まるのを感じる。
この詩集の最後にある『太陽崇拝』を書いた頃の自分と比べると、詩を書くことができていない今の自分は、一層苦しい境遇にいることを感じざるを得ない。それでも、自分はここから燃え上がる炎のような未来に向けて、すごいことが起きると信じて疑わない。
ここからどんな剣の穂先が飛び出すか、どんな魂の叫びが飛び出すか、よおく見ていろ。
自分がここまで来るにあたって、感謝しても感謝しきれない人がどれほどいることか分からない。
今そのなかでも、この詩集を世に出すためにものすごく骨を折ってくれた兄、自分をいつも励まし、力を与えてくれた木村荘太(きむらそうた)くん、木村荘八(きむらそうはち)くんに心から感謝して、このはじめにを締めくくろう。
わたしの愛は、いつかきっとみんなにわかる。
わたしの愛は、いつかきっとみんなにわかる。
見てほしい、この狂おしくも強烈なわたしの愛を。二月二十八日
福士幸次郎
錘
これは全世界を失って、自分のたましいを取り戻した人の問題である。
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