初級翻訳・妖怪博士 第20話

妖怪博士

殿村でなくても、この不意うちには、ギョッとしないではいられません。
部屋にいあわせた人々は、いったいなにごとがおこったのかと、あっけにとられて、天井を見つめました。
名探偵の勝利

見ていますと、その人の顔が、ヒョイと屋根裏のやみの中へ引っこみました。
オヤッと思ううちに、こんどはその穴から、きたない二本の足が、ニューッとおりてくるではありませんか。
そして、ひざからもも、腰、腹と、すべるようにズルさがってきたかと思うと、いつのまにか、二本の手で天井にぶらさがり、器械体操でもするように、はずみをつけて、ヒラリと部屋の中へとびおりました。
じつにみごとな早わざです。
あの高い天井からとびおりて、しりもちをつくでもなく床の上を二、三度ピョンピョンはねて、スックと立ちあがると、人々の顔を見まわしてニコニコ笑っているのです。
それは十四、五歳ほどの、乞食のようなうすぎたない少年でした。
思いもよらぬ天井から、子どもの乞食がふってきたのです。
人々がアッと仰天したのもむりではありません。
「殿村君、この子どもに見おぼえはないかね。
きみがさいしょ東洋製作会社へやってきたときから、この乞食の子どもは、たえずきみの身辺につきまとっていたんだぜ。
よく見たまえ、きみは今までこの子どもに、たびたび出あっているはずだ。」
殿村は乞食少年を、穴のあくほど見つめました。
見つめているうちに、彼の顔がだんだん青ざめていくではありませんか。
たしかに見おぼえがあるようです。
何かしら、ひしひしと思いあたることがあるらしいのです。
明智は殿村のうろたえるありさまを、しりめにかけながら、一同に話しかけました。
「みなさん、ご紹介しましょう。
この子どもは、こんなきたないふうをしていますが、けっしてほんとうの乞食ではありません。
ぼくの少年助手小林芳雄君です。
わざとこんな変装をさせて、先日から、この男を尾行させておいたのです。
小林君は殿村の一挙一動を、残るところもなく見とどけました。
そして、毎日ぼくに報告していたのです。」
読者諸君は、この数日、毎晩のように、窓から明智探偵の書斎へしのびこんだ乞食少年をご記憶でしょう。
あの異様な乞食少年こそ、今ここにいる小林芳雄君だったのです。
人々はそれを聞いて、またべつのおどろきにうたれました。
「ああ、こんな奥の手が用意してあったのか。
やっぱり明智探偵はたいしたものだ。」と、声をのんで感嘆しないではいられませんでした。
「では、この小林君の口から、殿村の秘密をお話しさせることにしましょう。
小林君、かいつまんで話してみたまえ。」明智がさしずしますと、乞食少年の小林君は、すぐ快活に語りはじめました。
「ぼくは明智先生の命令で、殿村を尾行しました。
そして、殿村が人目をしのびながら、コッソリこの家へはいるのを見とどけたのです。
そこで、先生とご相談したうえ、殿村のるすを見はからい、ぼくは、この家の屋根裏へしのびこむことにしました。
それにはひじょうな苦心をしましたが、けさ、やっとその目的をはたしたのです。
ぼくは天井の上をはいまわり、天井板にナイフで、下から気づかれぬように、小さいすきまを作って、部屋の中のようすをすき見していたのです。
そして何もかも見てしまいました。
この人はせむしの殿村探偵だけでなくて、また別の人にも化けるのです。
三角形のあごひげをはやして、大きなめがねをかけた、五十歳ぐらいのりっぱな紳士に化けるのです。この人はそういう姿に化けて、地下室から相川君たち四人の子どもを、順番にこの部屋へ連れてきました。
そして、みんなをしばりあげてさるぐつわをはめて、あの石膏像の中へかくしたのです。
石膏像の底には大きな穴があいています。
みんなをひとりひとりその中へ入れて、またもとのように立てておいたのです。
そうして、相川君たちをおどしつけているとき、この人は自分のことを蛭田博士といっていました。
それから、ぼくは殿村が夕方外出するのを待って、事務所へかけつけ、ぼくの見たり聞いたりしたことを、すっかり明智先生に報告したのです。」

こんなに見とどけられてしまっては、もう運のつきです。
殿村こと蛭田博士は、まっさおになって、ギリギリと歯がみをしながら、小林君をにらみつけていましたが、なんという強情なやつでしょう。
まだやせがまんをはって、気でもちがったように、ゲラゲラ笑いだしたのです。
「ワハハハ……、おい、小僧、でたらめもいいかげんにしろ。
きさま夢でもみたんじゃないか。
このおれが蛭田博士に化けたんだって? ば、ばかな、おれは知らん。
おれはそんなまねをしたおぼえはない。」

しかし、小林少年は少しもひるみませんでした。
いきなりきたない着物のふところから、何か髪の毛のかたまりのようなものを取りだして、それを殿村の前にさしつけながら、はげしい口調で、たしなめるように言いました。
「それじゃ、ひとつ、これをかぶってごラんなさい。
きみが蛭田博士に化けたときのかつらと、つけひげと、めがねです。
きみが昼間、変装をといて、あの衣装部屋へ投げこんでおいたのを、ぼくがソッと手に入れたのです。
さあ、これをつけてごらんなさい。
そうすれば、きみが蛭田博士かどうか、相川君たちが一目で見わけてくれるでしょう。」

ああ、さすがは小林少年です。
相手にうむをいわせぬ、りっぱなしょうこ品を、ちゃんとにぎっていたのです。
いくら強情な殿村でも、このかつらやあごひげをつけて、四人の少年に顔を見せる勇気はありません。
もう絶体絶命です。
殿村は血走った目で、助けでも求めるように、あたりをキョロキョロ見まわしました。
そして、ゾッとするようなおそろしい表情になって、ジリリ、ジリリとあとじさりをはじめたのです。
殿村はそのとき、書斎のまんなかの大机の前に立っていたのですが、だんだんあとじさりをして、机のうしろにまわりました。
そして、人々にさとられぬように、そっと机の下の床に出ている小さなボタンのようなものをふみつけました。
ああ、あぶない! それはいつか、相川泰二少年が蛭田博士のために地下室へ落とされた、あのおとし穴をひらくボタンなのです。

ところが、いったいどうしたということでしょう。
殿村がいくらボタンをふんでも、部屋の中にはなんの異変もおこらないではありませんか。
ちょうど明智探偵と小林少年の立っているあたりの床に、四角な穴があくはずなのですが、そんなようすは少しも見えぬではありませんか。
「ハハハ……。」
とつぜん、明智探偵が、さもおかしくてたまらない、というように笑いだしました。
「おいおい、つまらないいたずらはよしたまえ。
そのボタンはききゃしないんだよ。
こんなこともあろうかと思って、ぼくはこの部屋へ来るまえ、そっと地下室にはいって、機械装置をとりはずしておいたのだ。
いくらきみがふんだって、おとし穴はあきゃしないよ。」

ああ、なんというぬけめのないやり口でしょう。
さすがは名探偵です。
これではいかな悪人も、手も足も出ないではありませんか。
「ちくしょう!」
殿村は憤怒の形相ものすごく、口をゆがめてさけびました。

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