よしよし)と考え直して、腹に力を入れて答えました。
「俺は、魚屋の前から来たんだ」
すると外から支那人が、噛みつくような勢いで怒鳴りました。
「声が大きすぎます。静かにするよろしい!」
山男はさっきから、この支那人の態度がむやみにしゃくに障っていたので、この時はもう一気にカッとなってしまいました。
「何だと! 何を抜かしやがる。泥棒め。お前が町へ入ったら、俺はすぐに『この支那人はあやしいやつだ!』と大声で叫んでやるからな。さあ、どうだ!」
支那人は、外でピタリと静かになりました。じつにしばらくの間、しいんとしていました。山男は、支那人が両手を胸で重ねて泣いているのかな、と考えました。そう思ってみると、今まで峠や林の中で荷物を下ろして、ひどく考え込んでいた支那人たちは、みんな誰かにこんなことを言われていたのかもしれないな、と思い当たりました。
山男はすっかりかわいそうな気持ちになり、今の言葉を撤回しようとしたところ、外の支那人が哀れでしわがれた声で言いました。
「それ、あまりに同情がない。わたし商売が立ちません。わたしご飯が食べられません。わたし往生してしまいます。それは、あまりに同情がない」
山男はもう支那人が気の毒でたまらなくなり、(俺の体なんか、支那人が六十銭儲けて宿屋に行き、イワシの頭や菜っ葉汁を食べる代わりにくれてやればいいや)と思いながら答えました。
「支那人さん、もういいよ。そんなに泣かなくてもいい。俺は町に入ったら、あまり大きな声を出さないようにするから。安心しな」
すると外の支那人は、やっと胸をなでおろしたようで、ホッとする息の音や、ポンポンと足を叩く音が聞こえてきました。それから支那人は荷物を背負ったようで、薬の紙箱が互いにガタガタとぶつかり合いました。
「おい、誰だい。さっき俺に話しかけてきたのは」
山男がそう聞くと、すぐ隣から返事が返ってきました。
「わしだよ。そこでさっきの話の続きだがね、お前は魚屋の前から来たというなら、今スズキが一匹いくらするか、また干したフカヒレが十両で何斤買えるか、知っているだろうな?」
「さあな、そんなものはあの魚屋にはいなかったようだぜ。もっともタコはいたがなあ。あのタコの足の曲がり具合は最高だったな」
「へえ、そんなにいいタコかい。わしもタコは大好きなんだ」
「うん、誰だってタコが嫌いなやつなんていないよな」「そんなタコを嫌いなやつなんて、ろくなもんじゃないよな」
「まったくだ。あんなに立派なものは、世界中どこを探したってないよ」
「そうさ。ところで、お前は一体どこから来たんだ?」
「俺かい? 上海だよ」
「それじゃあ、お前はやっぱり支那人(しなじん)なんだな。支那人っていうのは、薬にされたり、それを売って歩かされたりして、本当に気の毒なもんだな」
「そうじゃない。ここらを歩いているのは、みんな陳(ちん)みたいな卑しいやつばかりだが、本当の支那人なら、いくらでも立派でえらい人がいるんだ。俺たちはみんな、孔子(こうし)聖人の子孫なんだよ」
「なんだかよくわからないけれど、外にいるやつは『陳』っていう名前なのか」
「そうだ。ああ暑い。蓋を取ってくれるといいんだけどな」
「うん、よし。おい、陳さん! どうも蒸し暑くてかなわんよ。少し風を入れてくれないか」
「もう少し待つよろしい」陳が外で言いました。
「早く風を入れないと、俺たちはみんな蒸れてダメになってしまうぞ。そうなったらお前の損になるだろうが」
すると陳が外でおろおろした声を出しました。
「それ、とても困る。がまんしてくれるよろしい」
「がまんも何もないよ。俺たちが好きで蒸れているわけじゃないんだ。勝手に蒸れてしまうんだから、早く蓋を開けろ!」
「あと二十分待つよろしい」
「ええい、仕方ない。それなら、もう少しいそいで歩きな。……なあ、ここにいるのはお前だけなのか?」
「いいや、まだたくさんいる。みんな泣いてばかりいるよ」
「それはかわいそうにな。陳はひどいやつだ。なんとかして俺たちは、もう一度元の姿に戻れないだろうか」
「それはできる。お前はまだ、骨まで六神丸(ろくしんがん)になっていないから、丸薬さえ飲めば元に戻れるんだ。お前のすぐ横に、その黒い丸薬の瓶があるはずだよ」
「そうか! それはいい。じゃあすぐ飲もう。……しかし、お前さんたちは飲んでもダメなのか?」
「ダメなんだ。だけど、お前が飲んで元の姿に戻ってから、俺たちをみんな水に漬けて、よく揉んでもらいたい。それから丸薬を飲ませれば、きっとみんな元に戻れるはずだ」
「そうか、よし、引き受けた! 俺がきっとみんなを元の姿に戻してやるからな。……丸薬っていうのはこれだな? そしてこっちの瓶が、人間を六神丸に変えるほうか。陳もさっき俺と一緒にこの水薬を飲んだはずだけど、どうして六神丸にならなかったんだろう?」
「それは、一緒に丸薬も飲んだからさ」
「ああ、そうか。もし陳がこの丸薬だけ飲んだらどうなるんだろうな。人間がまた人間になるだけなら、変な話だよな」
そのとき、外で陳が「支那たものよろしいか。あなた、支那たもの買うよろしい」と呼びかける声がしました。
「ははあ、始まったね」山男はこっそりそう言って面白がっていたのですが、急にパカッと蓋が開いたので、まぶしくてたまりませんでした。
それでも無理やりそちらを見ると、おかっぱ頭の子供が一人、ポカンと陳の前に立っていました。
陳はすでに丸薬を一粒つまんで、子供の口元に持っていきながら、水薬とコップを出して「さあ、飲むよろしい。これ長生きの薬ある。さあ飲むよろしい」と言っています。
「始まった、始まった。いよいよ始まったぞ!」行李(こうり)の中で誰かが叫びました。
「わたしビール飲む、お茶飲む、毒は飲まない! さあ、飲むよろしい。わたしの飲む!」
そのとき、山男はこっそりと丸薬を一粒飲みました。
すると、メキメキメキメキッ!
山男はすっかり元通りの、赤髪の立派な体に戻りました。
陳はちょうど丸薬を水薬と一緒に飲もうとしていたところでしたが、あまりのことにびっくりして、水薬はこぼしてしまい、丸薬だけを飲み込んでしまいました。
さあ大変! 見る間に陳の頭がメラーッと伸びて、今までの二倍になり、背丈がメキメキ高くなっていきます。そして「わあ!」と叫びながら、山男に掴みかかってきました。
山男は丸くなって一生懸命逃げました。ところが、いくら走ろうとしても、足が空回りしているみたいでうまく進めません。とうとう背中を掴まれてしまいました。
「助けてくれ、わあ!」
山男がそう叫んで、パッと目を開きました。
……全部、夢だったのです。
雲は光って空をかけ、枯れ草はいい香りがして温かい。
山男はしばらくぼんやりして、投げ出しておいた山鳥のキラキラ光る羽を見たり、六神丸の紙箱を水につけて揉むことなどを考えていましたが、いきなり大きなあくびを一つして言いました。
「ええ、畜生、夢の中のことだったか。陳も六神丸も、どうにでもなれ」
それから、もう一つあくびをしました。
コメント