初級翻訳・怪塔王 第21話

怪塔王

5

扉の向こうで、初めて人の声が聞こえました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰が来ても会わんぞ。今日はダメだ、ダメだ。帰ってくれ」
博士はしゃがれ声で怒鳴るように言いました。塩田大尉と一彦は、顔を見合わせました。
「博士はいらっしゃるのですね」
と一彦は小さな声で塩田大尉にささやきました。
「うむ、博士はやっぱりこの中に居られたんだね、ふふむ」
と大尉は何か意外な面持ちで、ひとりで感心していました。大尉は博士が留守だと思っていたようです。
「塩田大尉が来たということが、はっきり博士の耳に通じていないのですよ。もう一度呼んでみてはどうです」
「そうだね。じゃあもう一度、声をかけよう」
塩田大尉はまた声を張り上げて、扉に向かって博士の名を呼びました。
すると、室内からは返事がありました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰が来ても会わんぞ。今日はダメだ、ダメだ。帰ってくれ」
一彦はそれを聞いて、この調子ではとても博士は会ってくれないだろうと思いました。塩田大尉の方を見ますと、どうしたことか顔を真っ赤にしています。「大尉、どうしたのです」
 大尉はこれに答えようともせず、何をおもったのか、ポケットから手帳と鉛筆をとりだしました。
 そして扉の方をにらみすえるようにして、三たび博士の名をよびました。
 すると室内からの返事が、きこえてきました。
「ああ、ああ、うるさい。
 わしは研究中だ。
 誰がきても会わんぞ。
 今日はだめだめ。
 帰ってくれ」
 一彦が見ると、大尉は一生けんめいになにか書き留めています。

意外な仕掛

     1

「塩田大尉、そんなところで、なにを書いているんですか」
 一彦は、不思議に思ってたずねました。
「おう、これだ。
 うーむ」
 と、大尉は大利根博士の居間の扉をにらんで、うなるように言いました。
「ど、どうしたんです、塩田大尉」
 大尉はなにごとに気をいらだたせているのでしょうか。
「おお一彦君、ちょっとここへおいで」
 大尉はこのとき、われにかえったように目をぱちぱちさせて、一彦をよびました。
「はい、な、なんですか」
「これをよんでごらん」
 といって、大尉はさっきから何か書きこんでいた手帳を、一彦の方へさしだしました。
 一彦がその手帳をうけとって、大尉の走り書きをよんでみますと、次のようなことが書いてあります。
“ああ、ああ、うるさい。
 わしは研究中だ。
 誰がきても会わんぞ。
 今日はだめだめ。
 帰ってくれ”
 それから、一行あけてその次に、また書きつけてある文句がありました。
それは、
“ああ、ああ、うるさい。
 わしは研究中だ。
 誰がきても会わんぞ。
 今日はだめだめ。
 帰ってくれ”
という文句です。
 前の文句も後の文句も、全く同じことが書いてあります。
「塩田大尉は変だなあ、同じことを二度も書いてありますよ。
 気分でも悪いのですか」
 と一彦がききますと、大尉は首をふり、
「体もなにも変りはないよ。
 変なのは、この扉のうちで返事をした博士の言葉が、いつも同じ文句だということだ。
 まるでゴム判をおしたように、『ああ、ああ、うるさい』などと、同じことをいっているのだ」
「それがどうしたのです」
「一彦君、おどろいてはいけない。
 博士は留守なのだ。
 博士はこの部屋の中にはいないのだよ」

     2

 博士は留守だ――と、塩田大尉は、意外なことを言いだしました。
「だって、それは変ですね」と一彦は腑におちない顔です。
「だって、この扉の中で、大利根博士が『今日はだめだめ、帰ってくれ』などと、いまさっきも喋ったではありませんか」
 一彦には、塩田大尉の言葉がどうしても信じられません。
 塩田大尉は、ますます顔を赤くして、心臓のどきどきするのをじっとおさえている様子です。
「一彦君。
 私の考えはきっとあたっているよ。
 大利根博士は留守なんだ。
 この私の言葉に間違いのないということを、これから見せてあげよう」
 塩田大尉は、この扉のなかに、大利根博士がいないということを一彦に見せてやろうというのです。
 一彦はたいへん不思議におもいました。
 彼はあくまで、それは塩田大尉の思いちがいだと思っていました。
 塩田大尉は、ポケットのなかから、小さい紙包と長い電線をひっぱりだしました。
「それはなんですか」
「これは爆薬だ。
 これを入口にしかけて扉をこわすのだよ」
 軍人だけに、塩田大尉のやり方は思いきったものです。
 これが探偵だったら、合鍵をつかったり、重い材木でつきこわしたりするでしょうに。
 開かぬ扉は、ついに轟然たる一発の爆音とともにこわされてしまいました。
 大尉と一彦は、だいぶはなれた地下道のかげに、じっと息をころして、その爆破をまっていたのです。
「さあ、もうこんどは入れるぞ」
 大尉は一彦に目くばせをして、扉のところへかけつけました。
 なるほど扉の錠まわりが、丸窓ぐらいの大きさにぽっかりと穴があいています。
 ですから扉をおすと、すうっとあいてしまいました。
「さあ、奥へ行ってたしかめよう。
 博士がいられるかどうかを――」

     3

 入口に、爆薬のけむりがまだ消えてしまわないうちに塩田大尉は室内へおどりこみました。
 一彦は、ちょっと気持がわるくなりましたが、こんなことで退却をしては、日本の少年の名折れだと思いましたから、思いきって大尉のあとにつき、勇敢にとびこみました。
「ああ、こんなことをやっていたんだ。
 おい一彦君、はやくこっちへ来てごらん」
 と、塩田大尉はけむりの向こうから、大声でさけびました。
「え。
 なんですって」
 塩田大尉がなにかかわったものを見つけたらしいので、一彦少年は、胸をわくわくさせながら、そこへかけつけました。
 すると大尉は、テーブルのうえにのっている蓄音機のようなものを指さしていました。
「これ、なんでしょう」
「おお一彦君。
 これは蓄音機だよ。
 しかし普通の蓄音機とちがう」「これはね、こちらから大利根博士の名前を呼ぶと、勝手にレコードが回りだして、蓄音機から声が出る仕組みになっているんだよ」

「えっ、なんですって?」

「君にはわからないかな。つまり、この室内には大利根博士はいなくて、その代わりにこの蓄音機が仕掛けられていたんだ。入り口の外で博士の名前を三回呼ぶと、室内ではレコードが回りだして『研究中だ、会わないぞ、帰れ帰れ』なんて博士の声が、この蓄音機から聞こえてくるのさ。だからこれを聞いた者は、室内に博士がいるんだと思うわけだ。本当はこうやって、博士は留守なんだよ。誰が作ったのか、とんでもない仕掛けをこしらえてあったものだ。もう少しで、まんまとひっかかるところだった」

 そう言って塩田大尉は、機械のそばからもう一度、大利根博士の名前を繰り返して呼んでみました。すると三回目には、確かに蓄音機の中から「ああ、うるさい……」と、博士の声が飛び出してきました。一彦は驚いて、目を丸くするばかりでした。

     4

 大利根博士の研究室に、博士の姿はどこにもなく、ただ博士の声が飛び出してくる蓄音機だけがあったのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました