(しまった!)
と、思った時にはもうおそかった。
火星人は、くるりと後をふり向き、先生の方へのこのこ歩いて来た。
そうして、右手をふり上げたかと思うと、びゅうんという、うなりとともに、何だか鎖のように固いものが飛んで来て、先生の背をぴしりと打った。
「ああっ!」
先生は、思わず悲鳴を上げて、そこへ、へたばった。
火星人は、またぞろ右手を上げた。
先生はそれを知っていたが、さっき強く打たれたいたみで、もう逃げることが出来ないのだった。
やがてまた強い一撃が、先生の頭の上に、降って来るかと、先生は目をつぶった。
しかし次の一撃は、いつまでたっても、上から、降って来なかった。
不思議に思った先生は、おそるおそる顔を上げた。
すると火星人は、いつそこへ来たのか黒マントの丸木の前に、しきりに、憐みを乞うている様子だった。
丸木は、首を横に向けた。
すると、前にかしこまっていたその火星人は、外へ出てしまった。
丸木に叱られでもしたのであろうと、先生は思ったことである。
黒マントの丸木は、先生の方へ寄って来た。
何か用事でもありそうな様子である。
新田先生は、立上って、身がまえた。
怪人丸木は、ずんずん前に寄って来る。
彼の手には、妙な形の灯火がにぎられている。
まるで竹筒のようでもあり、爆弾のようにも見える。
先生は、じりじりと下った。
穴ぐらの監禁室の中!
新田先生は、もうさがれるところまで、後さがりした。
それでも、黒マントの怪人丸木は、まだじりじりと先生に迫って来る。
もうこれ以上、後にさがれない。
先生はさっき丸木の言うことに、どうしても従わないと言ったので、丸木は大へんきげんを悪くしているはずだ。
こうして、今また丸木が先生の前に迫ってきたからには、いよいよ丸木は、先生の体に危害を加えるつもりではないか。
そう思うと、じりじりと穴の奥まで、追いつめられた先生は、もうどうにも助かる道がないように思った。
先生は最後の勇気を出して、自分の鼻の先に迫って来た丸木の顔を、ぐっとにらみつけた。
「おや!」
この時先生は、非常におどろいた。
急にくらくらと目まいを感じたほど、おどろいたのであった。
それは一体なぜだったろう。
丸木の眼は、いつも黒く色のついた眼鏡をかけていることは、誰でも知っている。
今丸木はマントの下から手を出して、その眼鏡をとったのである。
すると、その下から二つの眼が現れて、くるくると動いた。
――生きている目だ!
火星人もそうであるように、怪人丸木もよく自分の首を下に落した。
ぽっくり下に落ちる火星人の首には、目玉がついているけれど、先に先生が発見したように、その目玉はガラス玉同様で、決して生きている人間の目玉のように動きはしないのである。
ところが今、丸木の目玉が、くるくるぎょろぎょろと動いたので、先生は、びっくりしてしまったのだ。
なぜ急に丸木の目玉が、生きている人間の目玉のように、動き出したのであろうか? 丸木だけが火星人として、特別仕掛のにせ首を持っているのだろうか?
先生は、丸木の動く目玉に、気を失いそうくらいおどろいた。
全く丸木という奴は、なみなみならぬ怪物だ。
「しずかに、声を立ててはいけない!」
怪人丸木が、とつぜん口を開いた。
その声は、あたりをはばかるような低い小さい声だった。
先生は、二度びっくりであった。
なぜなら怪人丸木の唇がたしかに動き、その中からは白い歯も見えた。
丸木だけは、他の火星人と違って、作り物の首を肩の上にのせていないのか。
「……」
新田先生は、声もなく恐怖の色を浮かべた。
全く、どんなに考えても、正体のわからない奴は、この丸木だ!
「新田先生、何とか返事をしなさいよ。
おっとおっと、大きな声を出してはいけない。
火星人だの、それから丸木なんかに知れると大変なことになる」
怪人丸木は、先生の耳のそばに口をつけて、ささやくように、こう言った。
「えっ、丸木に知れると大変だと言って……丸木は君じゃないか」
「違う違う。
丸木じゃない。
わしだよ。
新田先生。
わからないのかい」
「えっ、君は、誰?」
「わしだよ、佐々刑事だ」
「ええっ、佐々刑事? へえ、佐々さんですか。
ほんとうですか」
新田先生は、あまり話が意外なので、信じてよいかどうか、大迷いのかたちであった。
「よくわしの顔を見たまえ。
へんな仮装のお面をかぶっているが、わしだということが、わかるだろう。
何しろ、こんな竹ぼらのような声を出す人間が、世間にそうたくさんあるものかね」
「ああなるほど、佐々さんだ。「あっ、佐々さん、あなたはよくまあ、こんなところへ……!」
新田(にった)先生は、うれしさのあまり、佐々刑事の手につかまりました。
「どうしてあなたは、丸木(まるき)に変装したりして、こんなところへ忍びこんできたのですか?」
新田先生は佐々に尋ねました。
もちろん、だいたいのわけは心あたりがありましたが……。
「わしの任務かね?」
佐々刑事は、仮装のお面をぬいで上に持ち上げ、こう言いました。
「わしの任務については、くわしくお話しすることはできないんだ。大江山(おおえやま)捜査課長にでも聞いてくれ給え。しかし新田先生、わしは重大な使命を背負って、こうして火星人に近づいているんだ。いまは命がけで仕事をやっているのさ」
先生はうなずきました。
たしかに、たった一人で火星人のむれに飛びこむなんて、命がけの仕事に違いありません。
「それで、その仕事というのは……」
「それはやっぱり、あまりペラペラとはしゃべれないけれど、とにかく先生、今夜からこのあと、大変なことが起きるんだよ!」
「大変なことって? 佐々さん、それは一体なんですか?」
「今夜のうちに、火星のボートのむれが、ものすごい数でこのあたり一帯に着陸するだろう。火星人は、いよいよその数をふやしてくるんだ」
「えっ、本当ですか! それはなんだか、話が早すぎますね。さっき私は、この山の中一帯をゆずってくれと、丸木にせまりにせられたんですよ。もちろん私が首を縦にふらなかったので、丸木はおこっていました。その時の丸木は、まさか佐々さんじゃなかったでしょうね?」
「違う違う! あれは本物の丸木だよ。わしはかげからこっそりのぞき見していたから、よく知っているんだ」
佐々はにが笑いを浮かべ、こう続けました。
「そこで先生、わしはいよいよ、思いきったことをやってやるつもりだ!」
怪人丸木に変装した佐々刑事が、ものすごくやる気を出しているのは、とても頼もしいことでした。
つかまって牢屋に入れられている新田先生も、佐々の話を聞いていると、自然と勇気がわいてくるような気がしました。
「あのね、佐々さん、私は一つ、ものすごく心配していることがあるんだが……」
「心配ごとって、それはいったい何だい? 早く言い給え」
「それはほかでもない、千二(せんじ)少年のゆくえのことなんだよ」
「ああ、千二のことか」
「どうですか、佐々さん。千二少年は、丸木につれ去られたんだけれど、ここで見かけたりはしませんでしたか?」
先生はどこまでも、教え子の千二のことを心配していました。
さすがは先生です。本当にありがたいことですね。
初級翻訳・火星兵団 第56話
海野 十三
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