初級翻訳・手長と足長 第3話

喜田 貞吉

日本でも大昔、天皇のごちそうを作る役所(内膳司・ないぜんし)のボスには、安曇(あずみ)さんと高橋(たかはし)さんという二つの特別な一族が選ばれる決まりになっていましたが、この二つの家は、どちらも手長族と深い関係があるのです。

高橋さんは、大昔の景行(けいこう)天皇が東の国へ旅をしたときに、ご飯を作る係をした人の子孫だと言われています。昔の歴史書『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には、高橋さんは宍人(ししひと)さんや阿倍(あべ)さんたちと同じく、大彦命(おおひこのみこと)という神様の子孫だと書かれています。しかし、この「宍人」というのは、イノシシやシカなどのケモノの肉を料理する係のことで、後の時代で言えば、お肉をさばくような、あまり身分の高くない人たちの仕事でした。

また、阿倍さんは大彦命の子孫としてとても有名ですが、その親戚として知られている人たちの中には、大昔に朝廷に従わされた東北地方の人々(俘囚・ふしゅう)の家柄もたくさん混ざんでいました。

その東北のグループのリーダーだった安倍貞任(あべのさだとう)という強くて有名な武将も、のちの時代になってから「実は大彦命の子孫なんだ」ということにしてはいますが、その子孫である秋田(あきた)さんというお家では、「本当は、神武(じんむ)天皇と戦ったあの長髄彦(ながすねひこ)のお兄さんの子孫なんだ。天皇がやってくるよりももっと前から、この土地を治めていたすごい家柄なんだぞ」と、むしろそちらを誇りに思っているそうです。

そう考えてみると、この阿倍さん、高橋さん、宍人さんたちのグループの中には、大彦命よりもさらに古い時代からいた一族の人たちが、何かの都合で「自分たちも大彦命の親戚ですよ」と、歴史の記録に書き加えてもらったケースがかなり多かったのではないでしょうか。

たとえ、そのリーダーである高橋さんが本当に大彦命の子孫だったとしても、その下で実際に働いていた料理人たちの中には、料理がとても得意だった、昔からの先住民の子孫がたくさん混ざっていたはずです。

もう一つの安曇(あずみ)さんは、海を渡る「海の民(海人・あま)」のリーダーでした。海の民の中には、はっきりと「自分たちは土蜘蛛(つちぐも)の子孫だ」と名乗っていた人たちもいましたし、そうでなくても、彼らの多くが大昔からの先住民の子孫であることは、いろんな証拠から間違いありません。

ということは、大昔の宮廷の料理人(膳夫・かしわで)たちには、手長族や足長族と呼ばれた人たちがとても多かった、ということになります。

神話の中で、大国主神(おおくにぬしのかみ)が国を譲り渡すときに、水の神様のお孫さんを料理人にしたというお話があります。これも、水辺で暮らす漁師さんたちが料理の係を務めていたという、大昔の決まりを表しているのです。

特に、あの有名なヒーロー、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東の国へ遠征したときの料理人は、「七掬脛(ななつかはぎ)」という名前でした。

「八つ」よりはちょっと短い「七つ」ですが、これは「百里」にちょっと足りない「九十九里浜(くじゅうくりはま)」と同じような言い方で、やっぱりあの長髄彦の仲間、つまり「足の長い足長族」であることを表している名前なのです。

もしも大昔の料理人たちが本当に手長族や足長族の人たちだったとしたら、彼らのことを「手長」というあだ名で呼ぶようになり、それがそのまま、のちの時代までお給仕をする人たちの呼び名として残った、と考えても、決して不自然ではありませんよね。

これまでの話をまとめると、こういうことです。「手長」や「足長」というのは、大昔に「土蜘蛛」と呼ばれていた先住民たちについてのウワサ話でした。それが貝塚や古いお墓(古墳)の伝説と結びついて語り継がれ、やがてみんなにお祈りされる不思議な神様になっていきました。そして、いつの間にか他のおっきな神社のすみに居候(いそうろう)するようになったのです。これは、道ばたの「道祖神(どうそじん)」や、人形劇の神様「百大夫(ひゃくだゆう)」と同じような成り立ちなのです。

東の海のはるか向こうにあるという、手が長い人の国「長臂国(ちょうひこく)」や、足が長い人の国「長脚国(ちょうきゃくこく)」というお話も、もしかしたらこの伝説と関係があるのかもしれません。

そしてその一方で、大昔にその一族の人たちが料理人として身分の高い貴族たちに仕えていたため、「手長」という名前が、ずっと後になってもお給仕をする人たちの呼び名として残ったのではないでしょうか。

……と、ここまでは、すべて私個人の勝手な予想(推測)にすぎません。

これに関連する、もっと詳しい「土蜘蛛」の研究については、またいつか別の日に、新しく発表するのを楽しみにしていてくださいね!

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