初級翻訳・日本の伝説 第28話

日本の伝説

岡山県久米郡大倭村南方中)

 四国にある二つのお箸杉の伝説だけは、どういうわけか、今日では「お昼ごはんを食べた箸」ということではなく語られています。
その一つは、阿波(あわ)の芝村(しばむら)にある「不動の神杉(ふどうのかみすぎ)」というものです。二本の大きな木が、地面から二丈(約6メートル)ほどの高さのところで、なんと三間四方(約5.4メートル四方)もある巨大な岩をしっかりと支えているのです。
昔、弘法大師(こうぼうだいし)がこの土地を通りかかったとき、大きな岩が今にも落ちてきそうなのを見て、「これはあぶない!」と思い、二本の杉の箸を柱のようにつっぱってその場を去りました。
それがなんと、年月を経て芽をふき立派に成長し、今ではすっかり安全な大木になったのだと伝えられているのです。
(徳島県老樹名木誌)徳島県にある海部郡川西村の芝というところへ行きますと、伊予(いよ)の飯岡村(いおかむら)の王至森寺(おうししんじ/おうじもりじ)にあるものに至っては、いったい誰が使ったお箸だったのかということさえ分からなくなってしまいましたが、それでも今でも杉の木の名前は「真名橋杉(まなばしすぎ)」と呼ばれています。「まなばし」というのは、昔の言葉で「お箸」のことなんですよ。
今から八十年ほど昔に、この大切な木をうっかり伐(き)り倒してしまったところ、村でいろいろな悪いことや不幸が立て続けに起こりました。
村の人たちは、「もしかしたら、あの真名橋杉を伐ってしまったバチが当たったのではないだろうか」と心配になり、新しく今の木を植え直して、古いお名前をそのまま受け継がせ、今でも山の神さまのように大切に尊敬しているのです。
(『老樹名木誌』より。愛媛県新居郡飯岡村)

九州のほうには、またこんな面白くて不思議な昔話のような伝説が残っています。
むかし、肥前(ひぜん)の松浦(まつうら)の領地と、伊万里(いまり)の領地の間で、どちらの土地にするかその境界線を決めようとしたときのことです。
松浦の殿さまである波多三河守(はたみかわのかみ)は、伊万里の兵部大夫(ひょうぶたいふ)と約束をして、お互いの領地から「夜明けを知らせる鶏の声」を合図として馬を走らせ、途中で行き会った場所を自分たちの領地の境目にしようということになりました。
ところがその夜、岸嶽(きしだけ)の鶏がまだ夜が明けてもいないのにフライングして鳴いてしまったため、松浦の使いの者はうんと早く出発することになってしまいました。そして、隣の領地にある「白野なた落(しらのなたおし)」というところまで来たときに、はじめて伊万里の使いの者とばったり行き会ったのです。
これではあまりにも松浦のほうへ寄りすぎていて、伊万里がかわいそうだという話になり、伊万里のほうから頼み込んで、少し引き返してもらい、「十三塚(じゅうさんづか)」というところまで下がってもらうことにしました。そして、その広い野原で馬から降りて、みんなで楽しくお酒を飲みながら食事をしたのです。
そのときにお昼ごはんのお箸として使ったのが、なんと栗の木の箸でした。男たちはそれを記念にしようと、その場所に地面につきさして帰ってきたのですが、あとになって不思議なことに、その箸からぐんぐん芽が出てきて、ついにはそこに立派な栗の木が大きく茂るようになったというのです。
しかもおかしなことに、毎年きれいな花はたくさん咲くのだけれど、なぜか一度も実はならなかったと、今でも語り伝えられています。
(『松浦昔鑑』より)

これと同じようなお話は、注意して探してみると、日本全国どこにでもあって、知っている人が次から次へと出てきます。
昔の人たちは、「昔は本当にこんなすごいことが実際に起こったんだ」と本気で信じていたので、長い年月が経ってもみんながずっと覚えていたのです。
里であっても、深い山の中であっても、村と村の境界線であっても、神さまをお祭りする大切なしるしの場所には、必ず何かふつうとはちょっと変わった木が、伐られずにそのまま残されていました。
それが近江の「花の木」のように、生えている種類がものすごく珍しいものもあれば、また向島の「相生の樟(あいおいのくすのき)」のように、枝の伸び方や幹の形がひときわ目につくものもありましたが、いちばん普通によく見られたのは、同じくらいの年齢の同じ種類の木を、仲良く二本だけ並べて残すというやり方でした。
そうやって植えておけば、それが自然に生えたものではなく、人間の手で特別に残されたものだということが、あとの時代の人たちにもすぐに分かったからです。
そして、その片方では、神さまをお祭りするときだけに限り、木の串や木の枝を地面にさすという古い習慣がありました。
それと同時に、新しく削ったお箸を使って、神さまと一緒にお祝いのごはんを食べるという習慣もあったのです。
ふつうに考えたら、お箸が地面から芽を出して大きなどんぐりの大木に育つなんてことは絶対にあり得ませんが、「遠い昔の大昔のことならば、そして偉大な神さまの不思議な力なら、そんなことが起きても決して不思議ではない」と、昔の人たちは素直に信じていたのです。
それに、そんなすごい奇跡は、ただのふつうの人には到底できることではないので、「昔、ものすごく偉くてすごい人がこの場所を通ったとき」や、「国中を揺るがすようなものすごい大事件が起きたとき」に、そういうびっくりする出来事が起こったのだろうと、みんなであれこれ想像を膨らませたのでした。
しかし本当は、それよりもさらにずっと昔の時代から、これはずっと語り継がれてきた神様のお話だったのだろうと私は思います。

行き会う坂、すなわち「行逢坂(ゆきあいざか)」のお話です。

土地の境目は、もともと神さいたちがお決めになったものだと考えている人が、昔はたくさんいました。
人間はいつの時代も自分たちの領地を広げようと境界線を争いたがりますが、神さいたちの間ではもっと早くに約束が決まっていて、その大事な目印には、たいてい境の木や、ものすごく大きな岩が置かれていたのです。
大和(やまと)と伊勢(いせ)の国境にある高見山(たかみやま)のまわりでは、奈良の春日(かすが)の神さまと、伊勢の大神宮(だいじんぐう)さまが、ふたりでお話し合いをされて国境をお決めになったといわれています。
春日の神さまは、「大和の領分がなんだか少し狭すぎるなあ」と思われて、「もっとこっちへ、もう少しこっちへ領地を広げたいなあ」と、いつまでたっても欲が尽きませんでした。
そこでいっそのこと、お互いに歩いていって「行き会った場所」を新しい境目にし直そうということになりました。
ここでいう「裁面(さいめ)」というのは、つまり「堺(さかい=境界)」のことで、双方からそれぞれ歩いて進んでいき、パッと出逢ったところを境界線にしようというルールです。
それを聞いて、春日の神さまは「鹿(しか)」に乗って勢いよくおがみ出発されました。

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