初級翻訳・暗黒星 第2話

ニューコム シモン

この暗黒星のニュースが届くやいなや、世界中の人びとの心が一斉に激しく揺り動かされました。
「その星はいったいどこにあるんだ!?」「いったいどんな性質の星なんだ!?」「これから世の中にどんな大事件が起きる前ぶれなんだ!?」といった質問の電報が、世界中からヒマラヤ山頂の天文台へあとからあとへと殺到しました。係員たちは、送られてくる電報の山にすっかり埋まってしまうほど忙しい毎日を送ることになったのです。
けれど、彼ら科学者たちでさえ、まだその星を自分の目で探し出すことはできていませんでした。
ただ、火星の出した信号が「ドラゴン星座(りゅう座)」のあたりを指し示しているため、「おそらくそのあたりの空に現われるだろう」と答えるのがやっとだったのでした。

三 人心の動揺

十 しかし、その星は、まだなかなかこの地球の空には姿を現しませんでした。よほど度の強い望遠鏡でなければ写らないほどでしたが、それでも人々は手持ちの双眼鏡などを取り出しては、しきりに空を眺めました。
信号が届いてから一週間が過ぎてもまだ姿が見えないため、人々は疑い始めました。
もしかしたら信号を読み間違えたのではないか、もしかしたら火星世界の望遠鏡のほうが地球のものよりも性能が劣っているのではないかなどと疑い、あわや人々の心に平和が戻りかけたその時でした。
突然、ヒマラヤ天文台が再び報告を発信しました。
ついに暗黒星が写真の乾板の上に影を焼き付けたというのです。
場所は、火星が指し示したあたりの空でした。
ドラゴン星座の頭とこと座(リラ星)のちょうど中間あたりを、東南の方角へ向かって進んでいるようです。

十一 さあ、こうなると多くの天文学者たちは、この新しい星の軌道を実際に測ることに夢中になりました。
いったいどこを通ってどこへ行く星なのか、なにしろ進むスピードがとてもゆっくりなので、それを正確に測り定めるには一週間から二週間の日数を必要としました。

四 驚くべき方角

十二 軌道の測定結果が分からないうちに、今度は火星からの信号が、ものすごい変化を見せました。
あの五本の信号光線が、これまでには一度もなかったような奇妙な動き方を始めたのです。
その意味することはさらに分かりませんが、とにかく火星の世界ではこれを一大事変と受け止めて、人びとの心が並大抵ではないほど騒ぎ立っているものと推測されました。
私たちの世界では、なぜ火星がこの暗黒星のためにこれほどまで激しい信号を発するのか、その理由すら理解できませんでした。ただ気長に意味の分かる時を待つよりほかなかったのです。

十三 天文学者たちはこれまで以上に熱心に軌道の測量を続けましたが、どうしても正確な測量が追いつきませんでした。
天文学が始まって以来、このようなことは一度もありませんでした。
いったいどんな曲線を描いて進んでいくのか、少し観察すればすぐに分かるはずなのに、一か月が過ぎても分かりませんでした。
そんな中、ヒマラヤ天文台は先日の報告よりもさらに驚くべきニュースを発表しました。
次のような内容でした。

この暗黒星には決まった軌道がなく、太陽めがけて真っ逆さまに落下しつつある。
現在の落下のスピードは、すでに一秒間に三十キロメートルに達している。
(一時間におよそ日本の一万五千里に相当する)もちろん、スピードはますます加速している。
このスピードの割合でいけば、二百十日後(約七か月後)には太陽に激突するはずである。

五 理学博士の先見

十四 暗黒星がやってきて太陽と衝突したら、いったいどうなってしまうのでしょうか。その結果を知る者は誰もいませんでした。
しかし、

世界でただ一人、あらかじめその結果がただ事ではないことを見抜いていたのは、理学研究所の長を務める理学博士でした。
この時代にはすでにすべての学問が限界のてっぺんまで進歩しきっており、これ以上新しい発明をする余地などない決まりになっていました。それなのに、いまだに理学研究所のようなものが存在しているのはおかしいのではないかと、不思議に思う人もいたかもしれません。
けれど、人間の欲望には際限がありません。
もしかしたら何かの拍子に、多少の発明や多少の改良ができるかもしれないという見込みから、とても大きな理学研究所が建てられていたのです。
それではまず、その研究所の大まかな様子を記しておきましょう。

六 理学研究所

十五 理学研究所は、ある半島のいちばん南の端にありました。
その土地は昔、ニューヨークとか何とか呼ばれていた、非常に賑やかな大都会だったそうです。
いつごろのことなのかは考古学者に聞かなければよく分かりませんが、昔大きな地震があって、町全体が地下深くへ埋もれてしまったのです。
今ではただ大きな古い遺跡として残っているだけでした。
街の広さは何マイルにも及んでいたようです。

十六 この同じ半島の北のほうには、今の世界の大市場がそびえ立っていました。
その名は「ハットン」市と言いました。
道路の美しい石畳の敷き詰められ方や、建物がいちだんと高くそびえ立っている様子などは、言葉では言い表せないほど見事でした。
街全体は北と西の方角へと広大に広がり、端から端まで歩いて行くだけで丸一日を費やさなければならないほどでした。
空高くそびえる塔や、立派な役所など、これ以上の建築物はもう作れないというほどすべてが完璧で、世界の富がここに集まってきているため、何でもかんでも豊富にそろっていました。
世界中の人たちが、たとえ特別な用事がなくても見物のために集まってきました。
「人生で一度はこの街を見なければもったいない」と言われるほどで、理学研究所はこの街のすぐ隣にありました。
もちろん理想を追求して作られたものですから、どんな点から見ても欠点のない素晴らしい研究所でした。
まず第一に、

春夏秋冬という暑さや寒さの変化があっては不都合なので、それを防ぐために地下百尺以上の深い場所を掘り下げて作られていました。
その広さは何百間四方にも及び、地下の建造物としてはこれに並ぶものは他にありませんでした。
人間の知恵のすべてを絞って作ることのできる理学の機械という機械は、残らず完璧に備え付けられていたのです。

七 博士の異様なる挙動

十七 もちろん、この博士も他の人たちと同じように、恐ろしい暗黒星が太陽に衝突するというニュースを耳にしていました。
その知らせを聞いてからの博士の行動は、それはそれはおかしなものでした。
ふだんであれば、まわりの人たちも「なんだか変だな」と怪しんだことでしょうが、誰もかれもが暗黒星のことで頭がいっぱいになっていたため、だれもその異変に気づかなかったのです。

十八 まず博士は、数え切れないほどの理学機械が置いてあるその場所に、これまで一度たりとも持ち込んだことのないような品々をせっせと運び込みました。
その主なものは、パンを作るための小麦の粉をはじめ、生の麦、そしてあらゆる種類の食料品や、植物学で知られているすべての草木の種などでした。
それはまるで、大洪水のときにノアがいろんな生き物や品物を箱舟に乗せたときの行動と、そっくりそのまま同じような振る舞いでした。

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