初級翻訳・暗黒星 第5話

ニューコム シモン

たとえ気が付いたとしても、その形があまりに微小なのを見て、「どうして今まで見えなかったところに、こんなちっぽけな星が出たのだろう」と怪しむくらいのものだったはずだ。

三十五 けれど、現代の人間はそうはいかない。
その進んでいく様子があまりにもゆっくりとしているだけに、かえって人々の苦痛はますます大きくなった。
昔の中国人は、頭の上から一滴ずつ水を垂らすという拷問を用いたという話がある。
初めはほんのちっぽけな一滴だから何とも感じないが、それが長く続くうちに、とうとう耐えられないほどの苦痛になるのだ。
動きが遅いぶんだけ苦痛が長く続き、ついには人々は日々の仕事さえ手につかなくなってしまった。
このままでは社会全体の人間がすっかり破産してしまうことになってしまうため、「これまで通り仕事を大切にしなくてはならない」という警告の文書がたくさん出されたのだった。

三十六 いよいよ十二月が間近になると、あの暗黒星が太陽めがけて落ちていくスピードがぐんと増し、その光もだんだんと強くなってきた。
初めのうちは夜にしか見えなかったものが、今では真昼でも見えるようになり、まるで大空に恐ろしい龍がとぐろを巻いているかのようにも思われた。

三十七 ここまでくると、人間の心というのは妙なものである。
大昔の人種と同じように、一種の畏怖の念を伴った宗教心が湧き起こってきたのだ。
こうした宗教心は、もう数知れず長い時代のあいだ、人々の心からすっかり忘れ去られていたものだった。
今の世の中の人心が信じているのは、ただ科学的なエネルギーのみである。
宇宙のあらゆるものの中に潜む極小の分子一つひとつにまで活動の気を吹き込んで、不思議な働きをさせあっている、そのあまねく行き渡るエネルギーこそ、目で見ることはできなくても慈しみが満ちているものだから、いつの時代までも信じるべきであるはずだ。それなのに今の人間は、このエネルギーがまるで無慈悲な裁判官のようになって、自分たちの先祖の汚れ、先祖の罪のために、世界の終わりの厳罰を下すのだと信じ込むようになってしまった。
「最後の審判だ!」「最後の審判だ!」などと身を震わせ、急に神の御名を叫ぶ者も多かった。

三十八 それでも、十二月の到来を押しとどめることはできない。
あと十二日、いや十一日――十日――と、日々が減っていくのが数えられるようになった。
その時に世界の運命が決まるのだ。
こうなると、

よほど勇気のある人でなければ、顔を上げて星を見ることができない。
自分の目にさえ見えなければその災いが消えるかのように、人々はギュッと目を閉じた。
その中で、思い切って双眼鏡を空に向ける人には、ちょうど肉眼で見える月の大きさほどに災いの姿が見えた。
しかし、月のようにおだやかで、静かな顔立ちはそこにはない。その光はただただ恐ろしく、いわば猛獣の目がギラギラと光るような色なのだ。

三十九 七日――六日――五日――と残りの日数が少なくなるにつれて、空に輝く目の光がますますすさまじくなってくる。
まるで復讐に飢えた怪物の目なのだ。
人は目を閉じて見まいとしても、また眠ろうとしても、その光が頭のなかに浮かんでくる。
それは確かに、地獄の底から人間を狩り出しにやってきた悪魔の目である。
人はその光に追い立てられ、逃げ回っているようなものだった。
私たちの先祖には、猛獣や毒蛇に追い回されてぐっすり眠ることもできない時代があっただろう。
私たちは、まさにあの時代に引き戻されたのと同じことなのだ。

四十 もう三日――もう二日――こうなると、冷静に理屈を考える心が人間から失われてしまった。

十三 衝突のその日

人から理屈を考える心がすっかり消え失せ、まるで酔っ払ったかのように街中を狂ったように走り回る者がたくさんいた。
警察官でさえも、これを制止しようとはしなかった。
通りですれ違う人々はみな無言で、目と目を見合わせた。
言葉がなくとも心の中は互いに分かっている、ただ恐れでいっぱいなのだ最後の日がついにやってきた、ああ。

四十一 今夜――分からないが、今夜はいったいどうなってしまうのだろう。
朝は風も穏やかで、空はどこまでも静かである。
空にかかっている太陽は、今まさに自分にぶつかってこようとする恐ろしいものが近づいていることを知っているのかいないのか、いつものようにやさしく輝いている。
そのあまりに落ち着き払った様子が、あるいはこの世界の人々に対して、「そんなに騒ぐには及ばないよ」と戒め、何事もないことを告げているかのようにも思われた。
空を見る勇気さえないほどに気力を失っていた人々も、少しばかり気力を取り戻して、ふたたび望遠鏡を取り出すことになったのだった。しかし何事も無く、静かに又静かに太陽は運行し、昼をも過ぎて、西に西へと傾き始めた。
もはや、幾時間の後とは成った、イヤ幾分時と数えらるるに至った。

四十二 いずれの望遠鏡にも、必ず一人は縋り付く勇者がある。
いよいよ衝突の時はどの様になるだろうと、その人々は皆目をこらした。
刻一刻に、悪魔の目の様なかの暗黒星は明るくなった。
輝き方が次第に強く、次第に恐ろしくなった。
それだけずつ、太陽に向かって近づくのである。
しかしてついに太陽の一端に接触した時の、人々の心は想像する事さえ出来ぬ、ハットン市全部の人心に、電気の様に戦慄の波が伝わった。

四十三 戦慄の後で、少しの間だけれど安心の思いが浮かんだ。
かの怪星は忽ち姿が消えた、誰の目にも見えなくなった。
太陽には未だ何の異状も無い、多分太陽の大熱火の為に、かの暗黒体が、溶けて蒸発して消えたであろう、と人々は思った。
けれどこの安心は直ちに掻き消された。
間も無く太陽の表面に、一つの黒点が現われた。
ああ分かった、怪物は未だ太陽へ衝突せぬ単に太陽と地球との間の所へまで落ちて来たのだ。
丁度金星や水星が、小さい黒点となって太陽の表面を削りつつ通過する時と同じ事だ。

四十四 どうかこの儘に太陽の表面を通過してくれよ、金星や水星が去る様に、暫くにして立ち去ってくれとこれも少しの間だけれど人々が心に祈った。
この間の心持ちは譬え様が無い。
ああ幾千年来、天文学者の計算は一度も誤った事が無いのに、この場合のみは過ったのだ、過ったらしい、過っていれば好い。

四十五 と思う間に、思うその心の過ちであることが分かった。
一黒点となった怪星がやがて太陽の表に没した。
その姿が見え無くなった、これは確かに衝突して、太陽の肉の中へ弾丸の如く突入したのだ。
かく見ると同時に、その突入したと思われる箇所が忽ち光の中の光とも見ゆる様に明るくなった。
詰まり突入したその傷口から、太陽が炎々の焔を吐くのであろう、その輝きの強い事は、もう見ていることが出来ないほどだ。
勿論太陽を覗く眼鏡は光線を避ける為に黒く塗ってある、しかしそのですらも眩しくて見ていることが出来ぬ。
いわば肉眼で常の太陽を見る様なものだ、強いて見ていれば目が潰れるのだ。
これより以後の事柄は、これを見るのに望遠鏡も何も要らぬ。

十四 その日の夜

四十六 望遠鏡は無くとも、黒いガラス板一枚あればもう肉眼によく見えた。

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