シャンパンの勢いに背中を押されて、少しふらつく足をしっかりと踏みしめながら、春樹はあの薄墨色のドレスを着た女と踊っていた。しかし、その次のダンスでは、銀髪でふくよかな貴婦人の手を取っていた。見るからにお金持ちそうなこの女性は、年齢に似合わず派手なネックレスをつけており、大粒のダイヤモンドが胸元でゆらゆらとぶら下がり、これ見がしにギラギラと光を放っていた。
お酒の酔いも手伝って、すっかり大胆になっていた彼は、夢中で踊っているふりをしながら、背中に回した片手で、貴婦人の首筋に食い込むようにめり込んでいる細い鎖を探り当て、留め具の輪を外した。――そう思った瞬間、ネックレスをスルスルと自分のポケットの中に滑り込ませてしまったのだ。
銀髪の婦人はすっかりいい気分で踊っていたため、そんなことが起きているとは微塵も気づいていなかった。
それから何曲か過ぎたあと、婦人はふと自分の胸元からダイヤがなくなっていることに気づき、大騒ぎを始めた。
急にホール内がざわめき立ち、どうしていい分からず困惑したような青い顔をした支配人が、その銀髪の婦人を別室へと案内していった。
「いったい何事だろう?」と、人々は次から次へと言葉を交わし、噂はたちまちのうちに広がっていった。
貴婦人たちはお互いに申し合わせたかのように、それぞれ自分の宝石が盗まれていないかと、慌てて確かめ始めた。
「シャンパンをだいぶお飲みになって、酔っていらしたからねえ」
と、一人が言った。
「どこかに落としちゃったんじゃないかしら」
「いいえ、違うわよ。
盗まれたんですって!
あの方、アメリカの大富豪なんですってねえ」
舞踏会はすっかり白けてしまい、冷めた空気になってしまった。
◆
ネックレスの紛失騒ぎで人々が大騒ぎしている頃、平松春樹は地下室のバーで、面白そうに酒を飲んでいた。
彼はなぜだか嬉しくてたまらなかった。
ボーイをつかまえては冗談を言ったり、お酒を注いであげたりしていたが、相手がいなくなると急に寂しそうな顔になり、ポツンと一人で、お酒をちびりちびりと飲み始めた。
すると、背後から軽い靴音がして、あの薄墨色の女がスいと入ってきた。
「ラム酒をちょうだい!」と言って、どこに腰掛けようかとボックス席を見回していたが、ふと彼の顔を見るとニッと笑い、いそいそと彼の隣へやって来た。
春樹は慌てて席を半分空けて譲った。
「あなた、一人でこんなところにいたの? いつの間にホールを抜け出したのか、私、ちっとも知らなかったわ。
一緒に飲む約束をしたくせに、置いてきぼりにするなんて、ひどい人ねえ」
「ちょっとくたびれちゃったからさ……。少し休んでから、また戻るつもりだったんだ。
君も酒でも飲んで元気を出してよ。――さあ、どう? もう一度僕と踊らない?」
女はびっくりしたような顔をして、
窯、「あなた、何もご存じないの? もう舞踏会はおしまいになっちゃったのよ。
悪い奴がいて、銀髪の奥様のネックレスをすり取っちゃったんだそうよ。
ホールの中は、いま、その話ですですごい大騒ぎよ」
春樹はプッと吹き出して、
「いったい誰がやったんだろうな。
またどこかのポケットにでもうっかり入れてあるんじゃないのかな?」
「オホホホ、お妹さん、もう話しちゃったのね、いやだわ」
と女はクスクス笑いながら、大きな目で彼をじっと睨みつけた。
彼は少し真面目な顔つきになって、
「だが――、
その話はなんだか少し変だな。
僕は妹から聞いて、すぐに三越に電話で問い合わせてみたんだが、『ダイヤは一つも紛失しておりません』って言ってたぜ」
「それなら少しも不思議はないわよ。
三越のダイヤなんかに手をつけるわけないもの。
あれは私が持っていた偽物よ。
それを使わせたの」
「用意周到だなあ。
しかし、偽物を返してもらったって、何の得にもならないじゃないか」
「あのときは、ほかに別の目的があったから、儲からなくたってよかったのよ」
「どんな目的さ?」
「あなたにお会いしたかったからよ。
お妹さんに紹介してほしかったの。そのためにあんなに苦労して、お芝居(狂言)まで仕組んだんだわ」
春樹はちょっとくすぐったいような気分になったが、それでも悪い気はしなかった。
「今夜は君のその話につられてやって来たんだが――、世界的のスリなんて言うけれど、どれがその人だかさっぱり分からないじゃないか。
すっかり失望しちゃったよ」
「まあ! そんな妙なことに興味を持っているのね。
世界的の名人なんて、大抵は一目でわかるものよ。
私なんかの目から見たらね――」
と言いながら、女はふと立ち上がったが、どんな拍子か足を滑らせてしまい、危うく前へ倒れそうになった。
彼は慌てて中腰になり、彼女の肩を支えてやった。
彼女は姿勢を立て直すと、顔を赤らめながら、
「これ、――私からあなたへプレゼントするわ」
と言って、彼の手のひらの上に、冷たくて、シャリッとしたものをポンと乗せた。
「ダイヤのネックレスよ!」と、彼女は力を込めて言った。
春樹は胸がドキッとした。
夢中でそれを凝視した。
薄墨色の女は誇らしげに細い鎖をつまみ上げていたが、次の瞬間、低く小さな声で「あっ!」と叫んだ。
それは確かにネックレスに違いなかったが、ダイヤではなく、ルビーと真珠を散りばめたものであり、銀髪の婦人がつけていたものとは似ても似つかない安物だった。春樹は顔を真っ赤にして、それをひったくるように奪い取ると、自分のポケットにぐっと押し込みました。
「生意気な真似をしやがる。だが、これは俺のものじゃないんだ」
「じゃあ、いったい誰のものなの?」
「妹のだよ。陽子のやつ、俺がよせってあれほど言ったのに、こんな安物を首にぶら下げてきやがったんだ。ホールの入口まで来たら、なんだか急に恥ずかしくなったみたいでさ、『取ってちょうだい』って俺に預けたのさ」
彼女はがっかりしたような顔をしながら、クスクスと苦笑いしました。
「でも、あなたもなかなかのすごい腕前ねえ」と、彼女は心から感心したように言いましたが、すぐに舌打ちをして、こう続けました。
「だけど――、くやしいなあ。今まで人にこんなことやられたのは、人生で一度もなかったのに……!」
「それはしかたないわよ。だって、相手がこの私だもの」
「なんだって?」
「世界的なスリの名人を相手にしちゃあ、いくら平松の若さまだって、かなうわけないじゃない」
「フム、やっぱり君だったのか。もしかしてそうじゃないかとは思っていたけどさ。
それにしても、観光団の中にものすごいスリが紛れ込んでいるって噂は、最近やたらと耳にするぜ。警察をあまり甘く見ていると、すぐに捕まっちまうぞ」
「大丈夫よ! 警察が躍起になって血眼で探していたって、私はこの通り、平然と大東京の真ん中を大手を振って歩いて、ダンスを楽しんでいるじゃないの。
大好きな蛇みたいに、捕まえようとしてもするすると滑り出て、いつのまにか逃げ出しちゃうんだから。警察の網の目は、私にするにはちょっと大きすぎるのよ」
春樹はすっかり気圧されてしまい、しばらく返事ができませんでした。すると彼女は、急に雰囲気をガラリと変えて、しんみりと言いました。
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