初級翻訳・楽聖物語 第15話

楽聖物語

ある夏の日、灰色の服を着た背の高い、厳粛な雰囲気の男がモーツァルトを訪ねてきました。その男は一曲の鎮魂曲(死者の霊を弔うための曲)を依頼し、莫大な謝礼を約束しました。
まるで地獄の使いのように不気味な男で、注文主の名前さえ明かそうとしませんでしたが、お金が必要で他に気を回す余裕もなかったモーツァルトは、その注文を引き受け、一世一代の鎮魂曲の作曲に取りかかりました。
健康が悪化するにつれて、モーツァルトは「この地獄の使いとの約束は、自分の葬式のための音楽を作らされているのだ」という強迫観念に囚われるようになりました。
それにもかかわらず、鎮魂曲に熱中したモーツァルトでしたが、わずかに第二曲までと、その後の四分の三のノートを完成させただけで、一七九一年十二月五日の明け方、混乱の中にいるコンスタンツェを後に残して、この世を去ってしまいました。
彼の死後、この鎮魂曲はフランベルク伯爵が、亡くなった自分の夫人のために、自分の名義で発表しようと、家臣を遣わしてモーツァルトに代作を依頼したものだと分かりました。しかし、それはもはや後の祭りでした。
翌日、モーツァルトの遺体は共同墓地に埋葬されました。荒れ狂う風雨を恐れて、柩を見送ったわずかな友人たちも町の門まで帰ってしまい、二人の作業員が風雨の中でその哀れな仕事を続けました。
モーツァルトの墓には、花も墓石も、十字架さえもなく、貧民よりもひどい扱いで、しばらくの間はどこに彼が眠っているのかさえ分からない状態だったと言われています。
しかし、モーツァルトが遺した千曲にも及ぶ作品は、天にそびえ立つ大きな記念碑として、今もすべての人の前に堂々と立っているではありませんか。
百五十年経った今日、モーツァルトの葬儀が貧しかったことを嘆く人がどこにいるでしょうか。
モーツァルトほど愛され、親しまれる音楽家は、この世界に二人と生まれてはこなかったのです。

**光輝と愉悦の音楽**

モーツァルトの音楽は、古典音楽の絶頂に位置するものであり、その形式の美しさ、華やかさにおいては、誰も彼にかなう者はいません。
清らかで明るく、光と愛情に満ち溢れ、豊かで優雅なことこそが、モーツァルトの音楽の特色だと言ってもいいでしょう。
晩年の作品に少しだけ影が差し、意志の強さや燃え上がるような情熱を感じさせるのは、ベートーヴェンの出現を予言するような役割を果たしていたと言っても間違いではありません。
傑作といえば、最後の三つの交響曲(三十九番変ホ長調、四十番ト短調、四十一番「ジュピター」)や、歌劇「魔笛」「フィガロの結婚」、そして数え切れないほどの室内楽です。中でも最後の三つの交響曲は、わずか六週間で書き上げたという、超人的な逸話さえ残っています。
モーツァルトの全貌を知るには、それらの傑作をじっくり味わうべきですが、一般の家庭で、彼の美しさや愛らしさ、燦然と輝く天才の片鱗を知りたいというのであれば、子守唄やトルコ行進曲、あるいは小夜曲(セレナーデ)を聴くだけでも十分でしょう。
それはまさに、人生を楽しくしてくれる音楽です。
光と喜びに満ちた音楽なのです。
三十五歳で不遇のうちに亡くなったモーツァルトの遺産が、どれほど後世の私たちの生活を豊かにし、生きる張り合いを与えてくれたことでしょうか。

**モーツァルトの作品とそのレコード**

モーツァルトの宝石のように澄んだ音楽は、人類にとって大きな贈り物の一つです。
モーツァルトはどんな場所でも、どんな時でも、私たちの光であり、慰めであり続けるでしょう。
空軍の兵士たちが、激しい訓練や実戦で疲れ果てて基地に帰ってきたとき、真っ先に蓄音機に飛びついて聴くのはモーツァルトの音楽だ、という記事を読んだことがあります。
さもありそうなことだと思います。
日々の苦労をねぎらう音楽として、モーツァルトの作品以上のものなどあり得ません。
それは華やかなステージで聴くよりも、暖炉のそばや休憩室で聴く方がずっとふさわしく、そうしてこそ、より多くの人の役に立つのでしょう。光り輝く魅力と、美しさ、そして愛らしさをふりまくモーツァルトの音楽こそは、私たちの生活と最も深く結びついているものだと言えるでしょう。

**交響曲(シンフォニー)**

モーツァルトの交響曲のレコードを揃えるなら、まずは最後の三大傑作である「ジュピター」、「ト短調」、「変ホ長調」の三つが欠かせません。
とりわけ、その壮大さから「ジュピター」と名づけられた「交響曲第41番ハ長調 K.551」を、ワルター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のレコードで聴くことができるのは、本当に嬉しいことです(コロムビア JS19-22)。
これこそ、まさにジュピターの名にふさわしい威厳と、美しさを兼ね備えた名演だと言えるでしょう。
「交響曲第40番ト短調 K.550」は、どこか悲しげな響きを湛えており、「ジュピター」よりもこちらを好む人も多い曲ですが、レコードではビクターから出ている、トスカニーニ指揮、NBC交響楽団の演奏が白眉です(JD1720-2)。
ワルターがベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものもありますが、少し録音が古くなっています。また、「交響曲第39番変ホ長調 K.543」については、ワルターがBBC交響楽団を指揮したコロムビアのレコード以外に、良いものは見当たりません(J8331-3)。
以上の三つの交響曲を揃えるだけでも、モーツァルトの晩年の円熟した境地を知るには十分ですが、さらに深く知りたいという方のために、トスカニーニ指揮の「交響曲第35番(ハフナー)ニ長調 K.385」(ビクター VD8028-30)と、ワルター指揮の「交響曲第38番(プラーグ)ニ長調 K.504」(コロムビア JW8-10)も挙げておきましょう。
特に後者は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したもので、ワルターの数あるレコードの中でも傑作の一つです。豊かな情緒と洗練された美しさを持ち、優雅で華麗な極みと言える演奏です。

**ヴァイオリン協奏曲**

モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲」には、数え切れないほどのレコードが存在します。
第3番の「ヴァイオリン協奏曲ト長調 K.216」にはメニューイン盤とフーベルマン盤がありますが、前者のビクター盤はモーツァルトらしい甘美さに少し欠け、後者のコロムビア盤は透明な端正さが足りないかもしれません。
第4番の「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 K.218」は、シゲティー盤とクライスラー盤の二通りがあります。
前者のコロムビア盤は暗い印象で、モーツァルトらしい爽快さに乏しく、後者の新しいビクター盤は、老境に達した枯淡の味わいが強すぎて、少しやりすぎな感があります。
クライスラーには、電気録音以前の吹き込みにこの曲の名盤がありましたが、今となっては手に入れるのは難しいでしょう。
第5番の「ヴァイオリン協奏曲(トルコ風)イ長調 K.219」は、ヴォルフシュタール盤、ハイフェッツ盤、ダーメン盤があります。
ヴォルフシュタール盤(コロムビア 3910-3)は非常に古い録音ですが、若くして亡くなったこのヴァイオリニストの形見として、私はその情緒豊かな演奏を愛しています。

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