初級翻訳・火星兵団 第42話

海野 十三

国中の市場の株価は、がたがたーっとものすごい勢いで下がっていきました。
銀行や郵便局には、預けてある貯金を今すぐ引き出そうとする人たちがどっと押し寄せ、道路はその人たちで完全に埋め尽くされてしまいました。
走っている自動車も電車も、みんなその場でストップしたまま動けなくなってしまいました。
そんな中、割合に落ち着いた様子で、パイプをくわえながらこの大騒ぎを眺めていた一人の年老いたイギリス人が、納得がいかないというふうに首をふりながら言いました。
「あいつらは一体、何をそんなに大さわぎしているのか、わしにはちっともわからんね。
地球がこなごなにこわれてしまうっていうんなら、いくら紙幣の束を持ってたって、何の役にも立たないじゃないか」
すると、そのそばを通りかかったアメリカ人の若い男が、足を止めて言いました。
「おじいさんには、そのわけがわからないのかい?
僕はね、銀行に預けてあるお金を全部引き出して、これからすぐに、ものすごく大きな風船を作るのさ。
ガスタンクくらいある、とびっきり大きいのをね!」
「ほほう、そうかね。
そうして、その風船をどうするつもりのかね」
「つまり、彗星が地球にドカンとぶつかったら、地球はこなごなになっちゃうだろう?
その瞬間、僕はその大きな風船にしがみついてぶら下がるのさ。
そうすれば、足の下に踏んでいた地球がなくなっちゃっても、僕は安全に宇宙にプカプカと浮かんでいられるってわけさ!」
若い男は、得意そうに胸を張って言いました。
「そうかねえ。
それもいいかもしれないがね、わしは、彗星が地球にぶつかる時、お前さんの風船だけは壊さずに残しておいてくれるなんてことは、とてもないと思うがね……」
老人がそう言うと、若い男は、「な、なるほど……!」と気づき、その場で腰を抜かしてひっくり返ってしまいました。
モロー彗星が地球にぶつかるというこの大ニュースは、日本の国際無電局のアンテナでもしっかりキャッチすることができました。
あまりにも大変な事態だったため、その驚くべきニュースは、日本では一時的に発表がおさえられました。
そんな恐ろしいニュースをいきなり世間に発表したら、国内の人々がどれほど驚き、そして大パニックになってしまうかわからなかったからです。
また、もしかしたらこのニュースがただのウデモ(嘘)であるかもしれないので、とにかくしっかりと調べてからでなければならないと、お上の人たちは考えたのです。
そこで、このとてつもないニュースは、まず我が国の一番えらい天文学者たちが集まる学会へと知らせられ、本当のことなのか嘘なのかについての問い合わせがなされました。
また一方では、警視庁のような警察のえらいところへも知らせがいき、大きな騒ぎが起きないようにしっかりと警戒するようにという上からの命令が下されたのです。
大江山捜査課長のところへも、すぐにその知らせが届きました。
課長はちょうどその時、麻布の崖の下で起きた、崖から落ちた例の自動車事故の事件について、夜通し休みもせず、謎の怪しい男の行方を探して調べているところだったのですが、このものすごいニュースを受け取るやいなや、現場のことはそのままにして、急いで警察の本庁へと引き返したのでした。
「課長、さっきから面会の方々がお待ちでございますが……」
部下の刑事巡査が、外から戻ってきた課長の顔を見るなりそう言いましたが、課長はせわしそうに首を横に振って、
「いや、面会人なんか後回しだ。
そんなことをしている場合じゃないんだ。
それよりもまず、とてつもない大事件の報告を聞くのが先だ!」
と言い残し、奥にある総監室へと姿を消していきました。
警察のトップである総監は、真夜中であるにもかかわらず、わざわざ出てきて待っておられたのです。
それほどまでに、これは一大事だったのでした。
中でどんな話し合いがされたのかはわかりませんが、それから三十分ほど経ってから部屋から出てきた大江山課長の顔色は、いつにも増して、真っ赤な朱盆(しゅぼん)のように燃えていました。
総監室から出てきた大江山課長は、ものすごく興奮している様子でした。
彼はすぐに自分の席へと飛ぶように戻ると、中枢の警部たちを全員呼び集めて、何やら厳しい命令を下しました。
それを聞いた警部たちは、みな一緒に大きくうなずいて、課長の前から下がっていきました。
どの人の顔も、張りつめた糸のように緊張しきっていました。
警部たちはそのまま、足早に外へと出て行きました。
こうして、モロー彗星の事件の波紋は、だんだんと大きく広がっていったのです。
警部たちはそれぞれ自分の部下たちを呼び集め、ハトのように頭を寄せ合わせながら、何やら重要なことをひそかに伝えました。
それからというもの、電話をかける係も、無線をあつかう係も、目が回るほどの忙しさになりました。
ものすごい警告の知らせと、何やらただならぬ秘密の命令があちこちへと飛び交ったのです。
そのうち、おまわりさんたちのチームがいくつもいくつも、しっかりと警棒(けんぺ)を握りしめながら、ドヤドヤと勢いよく外へ飛び出していきました。
警察の中は、もう息が詰まるほどの緊張した空気にすっかり満たされていました。
その時、課長室のドアが開き、大江山課長が、すっと顔を出したのでした。「おい、佐々刑事はいるかね」
 机の上で電話をかけていた係長が、
「いいえ、ここにはおりません」
「どこへ行ったのか、君は知らないのかね」
「はい、佐々くんは、やはり麻布の崖の下で、警戒と捜索にあたっているはずであります」
 課長は、なるほどとうなずき、
「そうか。
電話をかけて、すぐ彼に戻って来るように伝えてくれ」
「はい、かしこまりました」
 課長がまた部屋の中へ引っ込もうとしたその時、当番の刑事巡査が飛んできて声をかけた。
「課長!
あの面会の方ですが、いつまで待たせるんだと怒っていらっしゃるのですが……」
「ああ、面会人だったな。
いったいどこの誰かね、その気の短い面会人は?」
「蟻田――と名乗っていらっしゃいました」

24 博士怒る

 モロー彗星が地球に衝突する――という国際放送を受けて、にわかに大さわぎとなった警視庁!
 そのただなかで、大江山課長を訪ねてきた蟻田博士が、あまり長く待たされたものだから、とうとう怒り出したという知らせだった。
「おお、蟻田博士だったのか、その面会人は……」
 と、課長もたいへん驚いたが、
「そうだ、ちょうどいい。
博士にはすぐにお会いしよう。
今すぐお通しすると伝えてくれ」
 と言うと、課長の前にかしこまっていた取次の刑事巡査は、ほっとした顔つきで、
「はい、そうお伝えします。
いやあ、どうもあの蟻田博士という人は、扱いが難しくて困りますよ」
 と言って出て行った。しかし間もなく、部屋の入り口のあたりで、巡査と言い争う声が聞こえてきた。
「おやめください、蟻田博士、困りますなあ。
こちらへ勝手に入ることはできませんよ」
「いいや、かまわん!
大江山氏がすぐに会うと言うのだから、わしの方から入っていくのは一向にかまわんだろうが!」
「だめです、博士!
応接室でお待ちください!」
「おいおい、まあいい。

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