初級翻訳・火星兵団 第8話

海野 十三

火星のボートの中に、地球の人間が一緒に乗っているなんて」
千二くんは、もともと度胸のある男の子でした。
はじめは驚いて少しパニックになっていましたが、だんだんと心が落ち着いてきたのです。
「別に変なことなんてないさ。まあ、そんな細かいことはどうだっていいじゃないか。オレの頼みを聞いてくれたら、たっぷりお礼をあげるよ」
「さっきから頼みがあるって言っていますけど、一体どんなことなんですか?」
こんな薄気味悪いおじさんに頼まれる用事なんて、どうせろくなことじゃないに決まっています。
「なあに、ちょっとした買い物だよ。薬を買いたいんだ。それについて来てほしいんだよ」
「えっ、薬の買い物? どこへ買いに行くんですか?」
「どこでも近いところでいい。たくさん薬を売っている店がいいんだが……やっぱり東京まで行った方がいいだろうな」
「東京!? へえ、東京ですか。……ははあ、ということは、僕たちはまた地球へ戻るわけですね?」
「フフン、まあ、好きに考えていればいいさ。とにかく東京まで一緒に行こうじゃないか。今すぐお前を元気にしてやるから、待っていなさい。元気にしておかないと、途中で歩けなくなったら困るからな」
大男は、部屋の奥へ向かおうとしました。
それを見た千二くんは、後ろから声をかけました。
「おじさん、ちょっと待ってください! おじさんの名前は何ていうんですか?」
「オレの名前か? それは――」
大男は、背中を向けたまま、黙って立ち止まりました。
どうやら、すぐには名前が出てこないようです。
「おじさん、名前がないんですか?」
「馬鹿を言うな! オレの名前は……」
と、彼はうなっていましたが、
「そうだ、オレの名前は丸木というんだ。丸木だ! よく覚えておけ」
そう吐き捨てると、丸木と名乗った大男は、薄いピンク色の湯気の向こうへ姿を消してしまいました。

あとには、千二くん一人だけが取り残されました。
相変わらず、床に寝かされたままです。
やっぱり、体は思うように動きません。
一体どんなもので自分の体を縛りつけられているのか確かめようとして、首を持ち上げようとしましたが、首すらろくに上がりませんでした。
なんと、のどの部分までもが、何かによって床に縛りつけられているようでした。
千二くんは、自分がいつの間にか捕虜(囚われの身)になっていることに気がつきました。
捕虜といっても、普通の捕虜ではありません。
火星の生き物たちがたくさん乗っている火星のボートの中で、捕まえられてしまったのです!
これから先、一体どうされてしまうのでしょうか?
このまま火星まで連れて行かれてしまうのでしょうか?
それとも、火星の生き物のエサにされてしまうのでしょうか?
考えれば考えるほど、不安はどんどん膨らんでいきます。
こうなっては、いくら薄気味悪い男だとはいえ、あの真っ黒ずくめの「丸木」と名乗るおじさんを頼るしかありません。

そのとき突然、湯気の向こうで火花のようなものがバッとキラリと光ったかと思うと、千二くんは全身に何千本もの針を吹きつけられたかのような衝撃を感じました。
「あっ、痛いっ!」
けれど、それは本物の針ではありませんでした。
体じゅうがビリビリと激しく痛むのです。
電気に触ってしまったときと同じような感覚でした。
痛みがいつまでもビリビリと収まりません。
ビリビリとした激しい痛みが、千二くんの体をどんどん強く締めあげていきます。
「あっ、苦しい……!」
しまいには、千二くんは息もできないほど苦しくなってしまいました。
「おうい! 丸木さああん!」
千二くんは、ついに悲鳴をあげました。
もしもこのビリビリとした痛みがこのまま続いたら、自分の血管が破裂してしまうんじゃないかと恐ろしくなったのです。「丸木さん、早く来て……!」
千二くんは、歯をギッとくいしばって叫びました。

すると、とたんに、あのビリビリとした痛みがピタッと止まりました。
ピンク色の湯気の向こうから、誰かがのっそりと姿を現しました。
見ると、それはほかでもない丸木のおじさんでした。

「なんだ、人間ってやつは、本当に弱い生き物だなあ。ハハハハ!」
丸木は、大声で笑い声をあげました。

けれど千二くんは、丸木が笑い声をあげているのに、その顔がちっとも笑っているように見えないのを、なんだか不思議に思いました。
それに、もう一つ変なことがありました。「なんだ、人間ってやつは弱いな」なんて、自分だって人間のくせに、まるで他人事のように人間の悪口を言ったことが、すごく引っかかったのです。

「どうだい、千二。体に元気がわいてきただろう?」
「えっ?」
そう言われて、千二くんはハッと気づきました。
なるほど、さっきまでは手足の力がすっかり抜けてだるかったのに、今はすっかり元通りになっています。
それどころか、全身の筋肉がキュッと引き締まって、今すぐにでもその場でピョンと跳び上がりたいくらいの気分でした。

「うわあ、これは不思議だぞ!」
千二くんが目をぱちくりさせて驚いていると、丸木が言いました。
「さあ、千二。さあ起きろ、起き上がるんだ」
「起きろって言われたって、僕は縛られているんですよ。起き上がれるわけがないじゃないですか」
「そんなもの、もう解いてやったよ。さあ起きろ。起き上がって、これからすぐ買い物に行くんだぞ」
丸木は、すべてわかっているといった顔つきで言いました。

【第5章 あっ、火星の生き物だ!】

丸木が言ったことは、嘘ではありませんでした。
まさか本当に起き上がれるはずはないだろうと思いながらも、千二くんはお試しで首を持ち上げてみました。
すると、ちゃんと首が持ち上がるではありませんか!
おやおや、なんて不思議なんだろうと思い、今度は床に両手をついて上半身を起こしてみると、なるほど、ちゃんと上半身を起こすことができました。

(あっ、一体いつの間に、僕を縛っていた縄を解いたんだろう?)
千二くんはパッと飛び起きると、自分の足元をぐるりと見回しました。自分の体を縛りつけれていた縄が、そのへんに落ちているはずだと思ったからです。
けれど、足元には細い紐一本すら落ちていませんでした。
まるで、目に見えない透明な縄で体を縛られていたかのようでした。

「さあ、こっちへ来い!」
丸木は、大きな声で千二くんを呼びつけました。
「えっ、僕をどうするつもりなんですか?」
「どうするもこうするもあるか。これから東京へ行くんだよ。東京に着くまでは、これで目隠しをしておくからな。暴れたりしちゃダメだぞ」

丸木が言い終わるか終わらないかのうちに、千二くんの目は、急に何も見えなくなってしまいました。
「あっ!?」
千二くんは、両手をパッと目の前へ持っていきました。目をごしごしとこすろうとしたのです。
ところが、びっくりすることが起こりました。
なんと目の前が、ゴムボールを半分に切ったような柔らかいもので、ピッタリとフタをされているようになっていたのです。

「こんなもの、外してやる!」
千二くんは、その半分のゴムボールみたいなものをむしり取ろうとしましたが、表面がつるつると滑るばかりで、目にかたくくっついたまま、どうしても取れません。

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