初級翻訳・火星探険 第20話

海野 十三

こうしてはいられない、またゆっくり話をしてあげようね」
 老博士は、大事な用事を思い立ったと見え、すたすたとむこうへ行ってしまった。
それから河合は食堂へ行った。
そこには仲間が集っていた。
山木もいた。
張もいた。
ネッドの顔も。
皆無事であった。
運がよかったのだ。
ただ張だけが右脚に打撲傷を負っていて、足をひいていた。
河合少年は、老博士からいわれた話を、ここで皆にして聞かせた。
この宇宙艇では地球へ戻れない、という話は一同を失望させた。
河合は一同を励まさねばならなかった。
デニー博士の信頼と期待とを破らないように、これから一層勉強をしなければならない。
これは地球人類の光栄と幸福のために、ぜひそうしなければならないのだと力説して、ようやく一同の気を引立てることができた。
折からマートン技師が入ってきた。
彼もまた無事だったが、衣服は油ですっかり汚れ切っていた。
またエンジンと組打をやって大奮闘をしたのであろう。
「おお、皆無事だったな。見たかね、火星の表面を。宇宙塵圏を通り抜けたので、今はすっかり晴れて、火星の表面がよく見えるよ。火星の運河というのを知っているね。あれもちゃんと見えるよ。さあ早く、展望室へ行ってごらん」
 そういわれて、四少年は飛出していった。
そして展望台へ駆けのぼった。
おお、見える見える。
火星の表面が明るく見える。
火星の昼なんだ。
それはもう地球を上空から見下ろすのと大差はなかった。
緑色の長い条が、蜘蛛の巣のように走っている。
あれが火星の運河にちがいない。
が、それは運河ではなさそうだ。まだはっきりとはわからないけれど、なんだか森の木々がまっすぐにずらっと並んでいるように見えるぞ。
火星の地面は、茶色っぽかった。
やっぱり土があるみたいだ。
海みたいな場所も見えている。
でも、地球の大きなお海を見慣れている目からすると、あまりにも小さな海だなあ。
まるで湖のようだ。
いったいこの宇宙艇は、どのあたりに着陸するのだろうか。
火星の生き物たちは、もうこの宇宙艇を見つけているだろうか。
どこかに火星の生き物が飛んでいる姿は見えないかなあ。
少年たちはそれぞれに、わくわくする想像をふくらませていた。
神経が参っていたネッドでさえも、めずらしいものを見る目をキラリと光らせて、下の世界をじっと見つめている。
しかし、そのとき|思わぬ大事件が起きた。
「全員、エンジン室へ集まれ!」
うるさい警報のベルと、悲しそうな叫び声。
それが言い終わらないうちに、宇宙艇はまるで嵐の中に巻き込まれたみたいな変な音を立てはじめ、そしてぐんぐん下へ落ちていくのが感じられた。
「墜落だ!」
「あっ、火事だ!」
「後ろの方から煙のしっぽを引きずっているぞ!」
さっきまで何事もなく空を飛んでいた宇宙艇だったが、火星の高さ二万メートルのところから突然、きりもみ状態になって煙を引きながら落ち始めたのだ。
おじいちゃんのデニー博士たちの運命は、どうなってしまうのだろうか。
――火星への着陸。

エンジン室の様子は、まるで戦場のようにものすごかった。
船長のデニー博士は、まわりよりも一段高い指揮台の上に立ち上がり、声をからしながら次から次へと命令を出した。
博士の顔は、血がふき出しそうなくらいまっかっかで、白髪の頭はまるで風に吹かれた枯れすすきの原っぱのように逆立ち、博士の目はびっくりしたお皿のように大きく見開かれたままだった。
「磁石の力を決める電圧を、六百ボルトまで上げろ!
……発電機がこわれたっていいんだ!
あと五分だけもてばいい!
……三番目のモーター、回転を上げろ!
三千八百回転まで、油の圧力を上げろ……!」
老博士の声は、まるで若い人のように力強く響いた。
四人の少年たちも、あっちへ走ったりこっちへ走ったりして手伝った。
マートン技師と河合少年が、まるで二人三脚をしているみたいに体をくっつけ合って、電気のスイッチが集まる配電盤の方へ走っていく。
張(ちょう)くんは、磁石を調節するレバーにしがみついて、両足をバタバタと動かしている。
ネッドは――ああ、かわいそうに、顔中が真っ黒な油まみれになってしまった。
山木くんは、がっちりした鉄の棒の上のほうによじ登り、そこに据えつけられていた大きな双眼鏡にしがみついて、外をじっと見ている。
「……あと一万三千メートル!
宇宙艇はすこし西の方へ流されている!
……砂漠だ!
広い砂漠が見える!
湖があるぞ!
大きな輪っかがいくつも見えている!
あれは何だか分からない……!」
山木くんは、双眼鏡の中に飛び込んでくる景色をとらえて、目にしたものを片っ端から大きな声で伝えていく。
「まだか、まだか、マートン技師!」
デニー博士の爆風のような声が響く。
しかし、すぐには答えがない。
「マートン技師!
どうしたんだ……!」
すると、やっとマートンの右手がすっと上がった。
その瞬間、博士の肩がブルブルとふるえた。
「重力(じゅうりょく)を打ち消す機械のスイッチを、全部入れろ!」
「それっ、よいしょーっ!」
ぐぐぐぐーッと地響きのような音がして、うるさい警報ベルがけたたましく鳴りひびいた。
「うわあっ!」
「ううーっ……!」
エンジン室にいる全員が、まるで電気にしびれたみたいにうめき声をあげた。
そして誰もが、まるで苦しくて死んでしまいそうな顔をして、目をぎゅっと閉じ、歯をくいしばった。
ネッドは、油の海にこれでもかと顔を押しつけられてしまった。
張くんは配電盤に体を押さえつけられ、服のお尻のあたりから火花がパチパチと飛び散った。
河合くんはマートン技師の足のすき間に首を突っ込んでしまった。
山木くんは後ろへ引っ張られて、鉄の梁(はり)にぶら下がったような状態になった。
時間で言えばたった四十秒の短いあいだだったけれど、みんなはその時間を百年のようにながく感じた。
そのあいだ、みんなは息が止まり、心臓さえもピタリと止まってしまったように思えた。
「うまく行ったぞ……!
重力が軽くなった!
落ちるスピードが落ちたぞ!
た、た、助かるぞ、これなら……!」
真っ先に声をあげたのは、船長のデニー博士だった。
博士の最後のがんばりが、ついに効果を発揮したのだ。
嵐が急にやんだように、荒れ狂う大波がスーッと静まったように、乗組員たちの気持ちは急にすっきりとした。
立っていた人たちは、みんなその場にへなへなと座り込んでしまった。
油の海の中で気を失っていたネッドを、河合くんが助け起こした。
そこへマートン技師がかけつけて元気を飛ばしてくれたので、ネッドはふうっと息をふきかえした。
助けられた人も、助けた人も、みんな顔は真っ黒で、体中から油がポタポタしたたり落ちていて、まるで油まみれのお坊さんのようだった。
「……高さ五百メートル、六百メートル!
少しずつ上に上がっていきます!」
いつの間にか元の双眼鏡のところに戻っていた山木くんが、元気いっぱいの声で叫んだ。
すると、デニー博士がフラフラとよろめきながら、指揮台の手すりに手をかけて立ち上がった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました