初級翻訳・火星探険 第21話

海野 十三

「マートン技師!
重力中和機をちょうどいい具合に調整するんだ!
着陸の準備だ!
舵(かじ)を下に下げろ!
五度まで下げろ!
それから零度に戻すんだ……!」
マートン技師は、油を飛び散らせながら走り出した。
「……大きなジャングルだ!
すごい密林だぞ!
あっ、密林が切れて、今度は海だ!
海だ、海が見えるぞ……!」
山木くんが叫ぶ。
「右へ曲がれ――!」とデニー博士の声。
「なに、やっぱりダメなのか……!」……噴流器の右側の列を使うんだ。早く早くしろ」
博士のこの言葉がなかったら、宇宙艇はむざんにも火星の海に頭を突込んで沈んでしまったろう。
そうなれば折角ここまで宇宙艇を護りつづけてきたデニー博士以下の乗組員たちも、哀れ、火星着陸の声を聞くと共に異境の海に全員溺死してしまったであろう。
博士の沈着にして果断な処置が、危機一髪のところで全員を救ったのだ。

「沙漠! 沙漠!」
右側の噴流器から、その全部ではないが、二三本の猛烈なる黒いガスを吹きだしたので、宇宙艇はお尻を右に曲げた途端に、海が無くなって、白い沙漠が現れた。
それから四五秒後に、ものすごい音とともに、宇宙艇のお腹が砂原に接触した。
これこそ、歴史に記録すべき火星着陸の瞬間だった。

「開放……」
エンジンは止められた。
けれど、機体にはまだ弾むような勢いが残っていた。
宇宙艇は沙漠のまん中を、もくもくと砂煙をあげながら、なおもすべっていった。
だが、何が幸いするかわからないもので、この沙漠への着陸のおかげで、宇宙艇の後ろのほうで起きていた火災が、急に下火になっていった。
感激の乗組員

すべること約三千メートルで、宇宙艇はようびんと停止したのだった。
乗組員たちはみんな、おどりあがって大喜びの声をあげた。
誰の目からも、うれし涙があふれて頬をぬらしていた。
それもそのはずだ。
火星への大飛行が、ついに自分たちの手によって成し遂げられたのだから。
乗組員はわずか十人に満たない少人数で、このものすごく困難な大事業を見事にやりとげたのだった。
命の危険にさらされることが、いったい何度あっただろう。
それを乗り越えてこられたのは、本当に不思議でならない。
いや、これこそ全員が、お互いに助け合い、勝手な行動をとらず、指揮官であるデニー博士の命令をよく聞き、すこしも乱れることなくチームの力を最高潮に発揮した結果にほかならないのだ。
そして、友を助けようとしたことが、自分をも救うことにつながったのだ。
美しい友情だ。
それは愛の勝利であった。

艇長のデニー博士の喜びは、誰よりも大きかった。
火星探険協会を立ち上げてから二十五年、ついにその大いなる事業が成功したのだ。
そのあいだ、博士は、ある時には山師とばかにされ、またある時には資金が底をついて、ナイフやフォークまで売り払わなければならなかったこともあった。
だが今や、そんな苦労はすっかり忘れてしまっていいのだ。

しかし、博士はこの大喜びだけに酔いしれているわけにはいかなかった。
なぜなら、博士が自分で設計し作り上げたこの宇宙艇は、今やっと火星に着陸したばかりなのだから。
仕事はそれで終わりではない。
いや、むしろ本当の仕事はここから始まるのだ。

着陸した場所は、地球の上ではない。
勝手のわからない火星の上だ。
気候や風土がまったく違う火星の上なのだ。
空気もとても薄い。
重力も地球とは大きく違っている。
気温も激しく変化する、とても住みにくい土地だ。
それに、火星には、どんな生き物がいるかもわからない。
彼らの心と、私たち地球人の心は、果たしてうまく通じ合うだろうか。
自分たちの一行は、火星の生き物たちから恐ろしい攻撃を受けることはないだろうか。
ちょうど、むかし私たちの祖先が、はるか昔の時代に、昼も夜も関係なく猛獣や毒蛇におそわれ、毎日のように大きな犠牲を払いながら、苦しみながらも我慢して戦い続けたように――。

――デニー博士は、大喜びする気持ちをひとまずおき、すぐに適切な命令を次々に出さなければならなかった。
人類の最高の誇りを背負った部下たちを率い、みんなを守り、さらには火星の生き物たちとのあいだに難しい交渉をはじめて、それを平和的に解決しなければならないのだ。
そう考えると、デニー博士の肩にかかっている責任は、測り知れないほど重く、そして大きかった。

「各室の空気漏れを点検!」
博士が一番はじめに出した命令は、これだった。
空気がもれている場所がないか、すぐに調べるのだ。
火星には空気が少ない。
これまでの研究では、火星の空気の濃さは、地球で一番高いといわれるエベレストの山頂よりも、さらにうすいだろうといわれていた。
それは地上の空気の圧力の約三分の一にあたるもので、火星の大気は地球の四分の一か、それ以下だろうと考えられていた。
だから、もし宇宙艇の部屋のどこかに空気のぬける穴が空いたままになっていたら、中の空気はどんどん外へ逃げてしまい、乗っている人たちは息ができなくなってしまう。
だから、空気の漏れる場所をもし見つけたら、その部屋をあきらめて、次の部屋とのあいだにある頑丈な扉を閉めなければ危ないのだ。

しかも、この作業はものすごい急ぎでやらなければならなかった。
あいにく宇宙艇は、これまでの長い旅の難航で、あちこちが傷んで壊れていた。
そのたびにその場しのぎの修理はしたものの、航行を続けることで手いっぱいで、空気もれを防ぐための点検は十分にできていなかったのだ。
デニー博士が、まずこの後始末について一番はじめに命令を出したのは、本当になんとしても正しい判断だった。全員は各室を駆けまわり、すこし惜しかったけれど、空気がもれている部屋はどんどん切り捨てて、それより手前の頑丈な扉をしっかりと閉めていった。
その作業は、みんなの頑張りによって、なんとたったの五分後にはだいたい終わらせることができた。
「全員、上陸用空気服の点検!」
デニー博士の口から、二つ目の命令が飛び出した。
今度は、それぞれが使う「上陸用空気服」のチェックだった。
上陸用というのは、文字通り火星の大地に降り立つためのもので、宇宙艇の中から外へ出るには、ふだんの服装のままでは絶対に生きていられないからだ。
まず酸素が足りないのを補うために、特別に作られたボンベから空気を送ってもらって呼吸しなければならない。
そのために、深海にもぐる潜水服によく似た服を着て、頭には潜水用の兜のようなヘルメットをかぶり、背中には空気のつまったボンベを背負わなければならなかった。
それだけではない。
火星の上は、気温がものすごく激しく変化すると予想されているので、この空気服はスイッチ一つでぽかぽかと温まるようになっていなければならなかった。
つまり、電気であたたまる「電熱服」なのだ。
ふつうの電熱服なら、服についているコードの先のプラグを、お部屋のコンセントにさしこめば、電気が流れてすぐに暖かくなる。
しかし、この上陸用空気服では、そうはいかなかった。
宇宙艇から何メートルもある長ーいコードを引っ張りながら火星を歩くわけにはいかないからだ。
そこで、特別のあたためる仕組みが用意されていた。

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