「まず『にじの宝冠』を見せてください。
それが本物だとわかるまでは、正一くんを渡すわけにはいきません。」
老人がしずかに言いました。
園井さんはしかたないので、ふろしきづつみをほどいて黒ぬりの箱を取り出し、そのフタをあけて老人の前にさしだしました。
老人は「にじの宝冠」を手にとると、いかにもうれしそうに長いあいだ眺めていましたが、偽物ではないことがよくわかったらしく、深くうなずいて言いました。
「ああ、じつに美しい。この光は、まったく本物の虹のようじゃ。
園井さん、たしかに『にじの宝冠』を受け取ったぞ。
わしの美術館の宝物として、長く大切に保存させてもらおう。
それじゃあ、正一くんを連れて帰っていいぞ。」
そう言って、老人は部下に目で合図をしました。
部下はまた、うやうやしくおじぎをして、正一くんを園井さんのそばへと連れていきました。
「お父さん!」
「正一、無事で本当によかったなあ!」
親子は手を取りあって、心から喜びあうのでした。
それから、園井さんも正一くんも、ふたたび目かくしをされ、部下の人に手を引かれてせまい地下道を通り、そこを抜けると、森の中の草をふみわけて丘をくだりました。
そして、そこに待ち構えていた賊の自動車に乗せられて東京にもどり、神宮外苑(じんぐうがいえん)のさびしい林の中で、車から降ろされました。
園井さんと正一くんは目かくしをとって、どこへともなく走りさっていく賊の自動車を見送ってから、外苑を出て、大通りを走るタクシーをよびとめ、無事にお家に帰ることができたのです。
それにしても、あのきみょうな形をしたコンクリートの建物は、いったいどこにあるのでしょうか。
東京から一時間ばかり離れた丘の上。
いったい、その丘はどこにあるというのでしょうか。
—
切られた黒糸
お話はもとにもどります。
こちらは、探偵犬のシャーロックを自動車の前にくくりつけ、その自動車には明智探偵と小林少年が乗りこんでいました。犬の走る勢いのままに車を運転し、賊の自動車のあとを追いかけていたのです。
小林くんが、あらかじめ賊の自動車の下にコールタールを入れたカンを取りつけておいたので、そのカンの小さな針の穴からタールが黒い糸のようにトクトクと流れ落ち、道路にタールのにおいを残していきました。
名犬シャーロックは、そのにおいをしっかりと嗅ぎつけて、賊の自動車をずっと追跡しているのです。
シャーロックは品川をあとにして、夜の京浜国道をどこまでも走りつづけました。
やがて横浜をすぎ、さらに二十分ほど走りつづけたとき、どうしたことか、シャーロックの走るスピードがだんだんのろくなってきました。
さすがの名犬も、一時間以上も休みなく走りつづけたので、つかれてしまったのでしょうか。
「あ、わかったぞ!
コールタールの糸が切れてしまったんだ。
あの中のカンは、だいたい五十分くらいで空っぽになってしまうんだよ。
ぼくたちはここまで一時間以上もかかったけれど、賊の自動車は全速力で走っていたから、ちょうどこのあたりでちょうど五十分たったんだ。
だから、コールタールの黒い糸がすっかりなくなってしまったんだよ!」
小林少年がすばやく頭をはたらかせて、犬のスピードがにぶったわけを説明しました。
「うん、どうやらそのようだな。
しかし、もう少しだけためしてみよう。
黒い糸のつながりが途絶えてしまっていても、まだ道路にタールのしずくがポツポツと落ちているかもしれない。
シャーロックなら、そのかすかなにおいさえも嗅ぎつけてくれるだろう。」
明智探偵はそう言って自動車のスピードをグッと落とし、シャーロックの歩くにまかせて車を進めました。
探偵犬はしきりに地面のにおいを嗅ぎながら、のろのろと国道からわき道へと曲がっていきます。
やはり明智探偵の言ったとおり、あちらの道にコールタールのしずくが落ちているらしいのです。
しかし、そのしずくはだんだん小さくなり、ポツリポツリと落ちるしずくとしずくの間隔もすごく長くなっていたので、シャーロックの苦労は半端なものではありませんでした。
長いあいだ道に迷いながらも、やっとの思いでわずかなにおいを嗅ぎあて、すこしずつ進んでいくのです。
そうして三百メートルほど進んだとき、いよいよにおいが完全に消えてしまったのか、シャーロックはピタッとその場に立ち止まり、一歩も動かなくなってしまいました。
「こんなことなら、もっと大きなコールタールのカンをつけておくべきだったね……」
明智探偵はとても残念そうにつぶやきましたが、まだあきらめきれない様子で、こう言いました。
「ともかく、一度車から降りてみよう。」そして、シャーロックの綱を持って、このへんを歩きまわってみよう。」
と、小林くんに声をかけました。
そこでふたりは自動車からおりて、偽物の宝冠が入ったふろしき包みを明智探偵が脇にかかえ、犬の綱は小林少年が持って、シャーロックが進むままにそのあたりを歩きはじめました。
そこは国道からそれた、とても人のいないさびしい場所で、片側は畑、もう片側は大きな森になっていました。
しかもただの平地の森ではなく、小山のような丘になっていて、木がたくさん生えた深い森です。
シャーロックはその森に沿ってのろのろと歩いていましたが、ある場所まで来ると、何かほかのにおいをかぎつけたのか、いきなり森の中へガサガサと入っていきました。
大きな木の下に小さな木が茂り、草がいっぱいはえていて、道すらないところでしたが、シャーロックがどんどん進んでいくので、小林少年も綱にひっぱられてそこへ入っていきました。
明智探偵もあとに続きます。
深い草や、足にからみつく木の枝をかきわけながら、しばらく丘をのぼっていきましたが、やっぱりダメでした。
シャーロックは、きょとんとした顔でそこにうずくまったまま、まったく動かなくなってしまったのです。
明智探偵は、なおもそのあたりを歩きまわって調べてみましたが、あるのは大きな木ばかりで、家らしきものはどこにも見当たらず、こんなところに賊の隠れ家があるとは思えない様子でした。
ふたりはとうとうあきらめて、いったん引きあげることにしました。
こんどはシャーロックも自動車に乗せて、全速力で東京へと帰ったのです。
東京に帰ると、まずシャーロックを持ち主のもとに返してから、すぐに園井さんの家をたずねました。
もう夜中の十二時でしたが、正一くんがちゃんと戻っているかどうか、それが何よりも心配だったからです。
園井さんの家の玄関のベルをおすと、女中さんがドアをあけてすぐに応接室に通してくれました。まもなく、園井さんが正一くんをつれて、ニコニコしながら部屋に入ってきました。
「やあ、おかげさまで正一は無事に戻りました!
特にいじめられたりもしなかったそうで、ご覧のとおり、こんなに元気ですよ。」
園井さんがうれしそうに言うと、正一くんも小林少年となつかしそうに握手をして、明智探偵にはピョコンとおじぎをしました。
「無事で本当によかったですね。
それで、賊のアジトはどこにあったのですか?
その家はどんなふうでしたか?」
明智探偵がたずねると、園井さんは困ったような顔をして言いました。
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