初級翻訳・碁石を呑んだ八っちゃん 第3話

有島 武郎

……あのね、お兄ちゃんがね」
と言って僕のほうを見つめたけれど、僕がまだシクシク泣いているのに気づくと、
「まあ、お兄ちゃんも弱虫ねえ」
言いながら、お母さんもなんだか泣き出しそうになられた。
それなのに、僕の前では「泣いてなんかいないよ」という顔をして、涙を隠そうとなさるんだ。
「お兄ちゃん、泣いてばかりいないで、そこにあるおざ布団を一つ持ってきてちょうだい!」
とお母さんが言った。
僕は、お母さんが泣いているのを隠そうとしているのを見て、なおさら「八っちゃんが死んじゃうんじゃないか」と不安になって、お母さんの言うとおりにすれば八っちゃんが助かるかもしれないと思い、すぐに走っておざ布団を取りに行った。

お医者さんは、いつも見る白いおヒゲの人じゃなくて、金縁のメガネをかけたほうの若いお医者さんだった。
その若いお医者さんが八っちゃんのお腹を優しくさすったり、手首をにぎったりしながら、心配そうな顔をしてお母さんと小声でお話をしていた。
お医者さんが帰るころには、八っちゃんは泣き疲れて、ぐっすりとよく眠っていた。
お母さんはそのそばにじっと座っていた。
八っちゃんはときどき、こわい夢でも見ているのか、急にうなされて泣き出したりした。
その晩は、僕は婆やといっしょに寝た。
そしてお母さんは、八っちゃんのそばに寄り添って寝なさった。
婆やがときどき夜中に起きて八っちゃんの方の様子を見に行くので、やっと眠りかけた僕も何度も目を覚ましてしまった。
八っちゃんは今どうなっているんだろうと思うと、僕は本当におそろしくて、淋しくて、悲しかった。
時計が夜の九時を打っても、僕は全然眠れなかった。
眠れないなあって思いながら目をパチパチさせているうちに、いつの間にか、ふっと気がつくと、もうすっかり朝になっていた。
いつの間に眠っちゃったんだろう。

「お兄ちゃん、目を覚まして」
そんなやさしい声が、僕の耳元で聞こえた。
お母さんのその声を聞くと、僕の体は一気にぽかぽかとあたたかくなる。
僕は目をパッチリと大きく開けて、うれしくてたまらなくて、思わず寝返りを打って声のするほうへと体を向けた。そこにお母さんがちゃんと着がえをして、髪をきれいに結って、にっこりと僕を見つめていらっしゃった。
「よかったねえ、八っちゃんがね、すっかり元気になったのよ。
夜中にお腹の掃除があったから、そこから碁石が出てきたんだからね。
……でも本当にこわかったんだから、これからはお兄ちゃんも碁石をおもちゃにしちゃダメよ。
お兄ちゃん……八っちゃんが苦しそうだった時、お兄ちゃんは泣いていたんだよね。
もう泣かなくても大丈夫になったんだよ。
今日こそは、ふたりとも大好々なお菓子をあげちゃうからね。
さあ、起きて」
と言って、僕の両脇に手を差し入れて、起き上がらせようとなさった。
僕はくすぐったくてたまらなくて、大きな声を出して「あはは、あはは」と笑った。
「八っちゃんが目を覚ましちゃうでしょ、そんなに大きな声を出しちゃ」
と言ってお母さんはちょっとおすましした顔をなさったけれど、すぐそのあとからにっこり笑って、僕の寝間着を着替えさせてくださった。

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