初級翻訳・神州天馬侠 第64話

吉川 英治

ちょっとくらい、オレにだって貸してくれてもいいだろう! こっちは命がけで合戦の様子を探ってきてやったんだぜ。そんな根性の悪いことをするなら、オレだって、もう何も話してやらねえからな!」
「いいとも、もうお前になんか教えてもらうことはないよ。おいらが木の上から、おおよその見当をつけてしまったからね」
「勝手にしやがれ! そもそも戦(いくさ)なんてもんが、本当にあるもんか」
「ああ、蛾次公(がじこう)なんかにかまっちゃいられないんだ。こっちは、今夜が一生一度の大事なときなんだからな!」
竹童は二十本の松明(たいまつ)を藤づるで背中に背負い、一本の松明には焚き火の炎を移すと、ヒラリと鷲の背中飛び乗りました。
「やい、オレも一緒に乗せてくれ! 乗せなきゃ松明を返せよ、オレがやってやった松明を返してくれえ!」
「もう、うるさいなあ!」
「なんだと、この野郎!」
と、胸をつつかれた蛾次郎は、身の程知らずにもボロ鞘の刀を抜き放ち、いきなり竹童に斬りかかりました。
「何をっ!」
竹童は炎のついた松明で蛾次郎のなまくら刀を叩き払い、とっさに鷲をバタバタと羽ばたかせて舞い上がらせました。
蛾次郎はその鋭い翼で力いっぱいはたかれて、
「ああっ!」
と、四、五間先の流れ(川)へと弾き飛ばされましたが、夢中になって飛び上がり、届かない両手をパタパタと振りながら、
「やーい、竹童! 竹童っ!」
と、泣き声混じりに叫び声を上げました。
けれど、そんな声には一切見向きもしない大鷲は、静かに宙へ舞い上がると、しばらく空を旋回し、やがて――まるで一本の流れ星か、あるいは炎をくわえた火食鳥(カソワール)のごとく、松明のまばゆい光を乗せて、暗い夜空を一文字に駆け抜け、今やまさに三角戦(三つ巴の戦い)の真っ最中である人穴城の真上まで飛んできたのでした。

虎穴に入る鞍馬の竹童

一

軍令を破って抜け駆けした轟又八(とどろきまたはち)が、伊那丸側の計謀(はかりごと)にまんまと引っかかり、ついに首を討ち取られてしまったと聞き、人穴城の中の者たちはすっかり意気消沈して、再びがっちりと城門を固め直しました。
敗走してきた手下からその報告を受けた丹羽昌仙(にわしょうせん)は、
「まったく、言わんこっちゃないのに……」
と、苦り切りながら、望楼(見張り台)の階段を踏みしめるようにして登っていえました。
そこには、宵のうちから呂宋兵衛(るそんひょうえ)と可児才蔵(かにさいぞう)が床几(折りたたみ椅子)を並べ、戦いの始終の様子を上から見下ろしていました。
「呂宋兵衛さま」
「おお、軍師か」
「又八は城外へ出て討ち死にいたしました」
「ふむ……」
呂宋兵衛は自分にも責任の一端があるため、気まずそうに沈み込んでいましたが、「おお、それはともかく――」と話をすっと逸らしました。
「伊那丸と徳川勢の勝敗はどうなったのだ? かすかに鬨(とき)の声や矢叫びは聞こえてくるが、この暗い夜ゆえ、戦いの様子が全く分からぬ」
「今はちょうど、双方が死にもの狂いで戦っている最中かと存じます」
「そうか。いくら伊那丸とはいえ、三千人もの三河武士に取り囲まれては、一たまりもあるまい」
「ところが、斥候(せっこう)の者の知らせによりますと、急に四、五百人ほどの隠し部隊が現れ、亀井武蔵守をはじめとする徳川勢をさんざん悩ませているとのことですぞ」
「ふむ……とすると、勝ち目はどちらに多いだろうか?」
「もちろん、最後には徳川勢が凱歌(がいか)を上げるでしょうな」
「であれば、こっちは高見の見物だな。伊那丸の首は、三河勢が槍の穂先に掲げて見せてくれるというわけか」
「ですが、油断はなりませぬ。なるほど、伊那丸の一党は徳川の手によって滅ぼされるでしょうが、その次には、勝利に勢いづいた三河の精鋭どもが、この人穴城を乗っとろうと押し寄せてくるのは確実でございます」
「一難去ってまた一難というわけか……。おい昌仙、今度という今度は、必ずそちの采配にすべてを任せる。なんとかして、見事な妙策を考えてくれ!」
呂宋兵衛は、ついに弱音を吐いて兜を脱いでしまったのでした。「仰せまでもなく、時と場合に応じて、軍配の妙技をお見せいたしますゆえ、決してご心配には及びませぬ」
「それを聞いて安堵いたした。
おお、また麓(ふもと)の方で武者たちの叫び声が上がったな。
しかし、しばらくの間、人穴城は日和見(ひよりみ)でいるのがいい。幸い、可児才蔵殿もこうして同席しておられることだし、伊那丸たちが木っ端みじんになるまで、一献酌み交わすとしよう」
手下に命じて望楼へ酒を取り寄せた呂宋兵衛は、昌仙と才蔵を相手に、ゆったりと酒宴を楽しみながら、戦の様子を対岸の火事のように眺め、夜を更かしていました。
すると突然、星一つない暗闇の空から、ヒューッという不気味な音が響きました。
その音は遠くから近くへと、人穴城の真上を旋回するように鳴り響きます。
「風であろう。少し空模様が荒れてきたようだ」
杯を手にしながら三人が一斉に空を見上げると、これは一体何事か。狐火のような火の塊が、ボーッという唸りを上げて、頭上へと落ちてくるではありませんか。

二

可児才蔵も呂宋兵衛も、そして丹羽昌仙も、思わず折りたたみ椅子から飛び上がり、
「あッ!」
と声を上げて、櫓の三方へと身をかわしました。
と同時に、空から降ってきた火の塊が、音を立ててそこに叩きつけられました。
倒れた壺から酒が望楼の床にザッとこぼれ、花火のような火の粉が辺りに舞い散りました。
「不思議だ……どこから落ちてきたというのだ」
「昌仙、昌仙! 早く踏み消さねば望楼に燃え移ってしまうぞ!」
「お、これは松明(たいまつ)ではないか」
「え、松明だと?」
三人は呆然としました。
いくら天変地異とはいえ、空から火のついた松明が降ってくるはずがありません。そんな道理はあり得ないのです。
もしそんなことが現実に起きているとすれば、世の中にこれほど恐ろしい話はありません。
しかし事実はどこまでも事実で、ほんの瞬間の後、またもや同じような火の玉が、今度は籾蔵(もみぐら)へ落ち、続いて外壁、獣油小屋など、よりによって燃えやすい危険な場所ばかりを狙って落ちてくるのです。
「火が降るぞ、火が降る!」
「おい、あそこにも燃え移った!」
「そこにあるのを踏み消せ! なんてことだ、不思議でたまらん!」
城の中は大騒ぎで、まるで鼎(かなえ)が沸き立つような混乱ぶりです。
ある者は屋根に登り、ある者は水を運んでいます。
その中で機転の利いた者が、闇を照らすための龕燈(がんどう・持ち運びできる明かり)を集め、十四、五人が一箇所に集まって空を照らしてみた結果、初めてそこに恐るべき敵がいることを悟りました。
彼らには何者なのか判別はつきませんでしたが、地上から明かりを向けた瞬間、かつて話にも聞いたことのない巨大な怪鳥が、空中で風を切って舞う姿がチラリと見えました。
それは鷲の背を借りて白旗の森を飛び出した、竹童であることは言うまでもありません。
鞍馬育ちの竹童にとって、今夜は一生に一度の大勝負です。

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