「では、もしやきさまは、伊那丸(いなまる)のために働いている者ではないのか?」
と、厳しく問い正しました。
「あたりまえさ! 伊那丸さまのほかにおられるか、誰のためにこんな危ない真似をするものか。おいらもお師匠さまも、みんなあの方を立派に世に出したいために働いているんだ!」
「おお、さてはそうだな!」
と、才蔵はパッと飛び退き、にわかに態度をあらためたのでした。竹童は、手をひかれて起きあがったものの、少しポカンとしてあっけにとられていました。
「そうとわかれば、お前を手ひどい目にあわせるのではなかった。何を隠そう、私はわけがあって、秀吉公の命令を受け、この裾野の様子を探りにきた、可児才蔵という者だ」
「おじさん、おじさん、そんなことを言っていると、本当に火薬の山がドカーンとくるぜ。おいらの言ったことは嘘じゃないんだからね」
「では竹童、少しでも早く逃げるがいい」
「えッ、おいらを逃がしてくれるっていうのかい?」
「ああ、秀吉公は、伊那丸どのに対して悪意をもっちゃいない。あのお方に会ったら伝えてくれ、『可児才蔵という者が、いずれ改めてお目にかかりに参ります』とな」
「はい、承知しました!」
あきらめかけていた命を思いがけず拾った竹童は、さすがにうれしいとみえて、小躍りしながら前の欄間に足をかけました。
「危ないぞ、落ちるなよ」
今度は、さっき足を引っ張った才蔵が、下から優しく助けてくれます。
竹童は棟木の上へ飛びつきながら、
「ありがとう、ありがとう! だがおじさん――いや、可児さま。あなたも早くここを降りてどこかへ逃げないと、もうそろそろ火薬の山が爆発しますよ!」
「わかった。では竹童、今の伝言を忘れるなよ」
そう言い残して、可児才蔵はバラバラと望楼を降りていきました。
一方の竹童も、やっと屋根瓦の上へ這い上がってみると、なんとありがたいことか、獣でありながら霊鷲(りょうじゅ)のクロにも心があるのでしょうか、巨人のように大きな翼を休めて、竹童が戻ってくるのを待っていました。
「さあ、もう天下はこっちのものだ!」
鷲の翼にかくれた竹童の体は、みるみるうちに望楼の屋根を離れ、まるで黒馬(磨墨:するすみ)のように真っ暗な空高く舞い上がりました。
――と思った瞬間です。突然、天地をひき裂くような凄まじい轟音が響きました。
まるでここに時ならぬ噴火口ができて、富士山の形が一夜のうちに変ってしまうのではないかと思われるような、すさまじい火の柱が人穴城から天高く突き上がりました。
ドドドドドドウン!
二度目の爆発音とともに、ふたつに裂けた望楼台は、真っ黒なもうもうたる煙と、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の悲鳴を包み込みながら、大紅蓮(だいぐれん)の炎を吹き上げる城の建物の上へとぶっ倒れました。
そして、数え切れないほどの魔物たちが、火となり煙となって舞い踊る炎の底に、いったいどんな恐ろしい地獄が現れたことでしょうか。
(果心居士の壁叱言)
一
「また富士山が火をふきだしたのだろうか」
「いやあ、まだ今朝もあんなに黒い煙があがっているよ」
「なにさ、お山はいつものとおり、変ったところなんてないさ。きっと猟師が野火でも出したんだろ」
「いやいや、野火ごときであんなすごい音がするものか。戦(いくさ)だ、戦があったにちがいない!」
「えっ、戦? 戦だとしたら大変だ、このあたりも物騒なことになるんじゃないかしら」
ここは、裾野や人無村(ひとなしむら)からもずっと離れた、甲斐国の法師野(ほうしの)という山間の部落です。
人穴城が焼け落ちたときの轟音は、このあたりまで響いたとみえて、家の中に落ち着けない村人たちがあっちに一群れ、こっちに一団となって、はるか遠くまでのぼる煙に手をかざしながら、今朝もガヤガヤと心配しあっていました。
「おい、与五松(よごまつ)」
そのうちの一人が言いました。
「お前の家で、ゆうべ宿をかした旅の客がいただろう。なんだかこわもてで恐ろしい顔をしていたが、もの知りらしいところもあったし、ひとつあの客人にきいてみようじゃないか」
「なるほど、矢作(やはぎ)の言うとおりだな、いいところに気がついた。どこで戦があるのか、あの人なら知っているかもしれない。はやく呼んできてくれよ!」
「あ、その人は、俺が家を出るときに『先を急ぐ』とか何とか言って身支度をしていたから、もしかするともう出かけてしまったかもしれないけれど、まだいたらすぐに連れてくるよ」
与五松という若者は、すぐ自分の家へむかって駆け出していきました。
ちょうど出発しようとしていたところに間に合ったのか、しばらくすると、彼はひとりの旅人を連れて村人たちのほうへ戻ってきました。
「あれかい、与五松の家にとまったお客というのは?」
村人たちは互いに袖を引き合いながら、クスクスと笑い合いました。
なぜなら、片方の鼻がそげ落ちたその顔が、あまりにも怪異で変わった姿に見えたからです。
その旅の男とは、越後路へ向かっていた、鼻かけ卜斎(ぼくさい)の八風斎(はっぷうさい)でした。
彼は途中で蛾次郎(がじろう)を見失い、ひとりになって、昨夜はこの部落で一夜を明かしていたのです。
「わざわざ恐れ入りまする」
と、年かさの矢作が卜斎の前に小腰をかがめながら、ていねいに尋ね始めたのでした。「あなたさまは、裾野からいらした鏃(やじり)師さんとお見受けしますが、あの黒煙が二日二晩もずっと立ちのぼり続けているのは、一体なんの騒ぎでございましょうか」
「あれかね」卜斎は、くだらないことを聞くものだと言わんばかりに答えました。
「あれはたぶん、人穴(ひとあな)の殿堂が燃えているのだろう」
「へえ、人穴の殿堂と申しますと……」
「野武士たちが立てこもっていた山城だよ。和田呂宋兵衛(わだ・ろそんべえ)や丹羽昌仙(にわ・しょうせん)といった連中が、長らく巣食っていた場所だ。それもとうとう時が来て、あの通り焼き払われたというわけさ」
「ああ、あの野武士どもの城ですか。それならいい気味だ」
「お富士さまの罰が当たったんだ」
里人たちはにわかにほっと安心しただけでなく、日頃のうっぷんを晴らすかのように、わっと盛り上がりました。するとまた二、三人が「あ、誰か来たぞ」と叫び出しました。見ると、鳥刺しの姿をした可児才蔵(かに・さいぞう)が、山道を越えてこの集落に入ってきたのです。
ここは街道の要所であり、甲府へ行くにも南信濃へ入るにも、どうしても通らなければならない場所でした。
「おお、鳥刺しだ!」
里人たちは再び才蔵を取り囲み、裾野の様子を根掘り葉掘り聞きたがりました。しかし才蔵は、これから安土(あづち)へ昼夜兼行で急いで帰らねばならない身の上です。裾野での出来事は、まず第一に秀吉公へ報告すべきことなので、多くを語るはずがありません。
「さあ、詳しいことは分かりませんが、とにかく裾野はいま、人穴城の火が枯れ野に燃え広がって、一面火の海ですよ。
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