なかなか七十人や八十人の小勢で押し寄せたところで、たやすく険しい廓(くるわ)は落ちまいと思う」
「わたくしもあのなかを見てきましたが、どうしてどうして、恐ろしいほど厳重な山荘でございました」
「それゆえ、力で押さず、智で落とす。しかし、智に頼って勇を失ってもならぬゆえ、わざと伊那丸さまには知らせず、そちにだけ第二の密計を授けるのじゃ。竹童、耳を……」
「はい」
すり寄ると、果心居士は白髭に包まれた唇からひそやかに、二言三言の秘策をささやきました。
それがどれほど驚くべき内容であったかは、聞いている竹童の目玉にありありと表れ、驚き、感動し、あるいは危惧の色となり、せわしなく瞳がクルクルと回転しました。
「よいか、竹童!」
離れ際に、果心居士は最後に言いました。
「一心になって、仰せの通りにやりまする!」
「その代わり、この大役を首尾よく済ませたら、伊那丸さまにお願いして、そちも武士のひとりに取り立てて進ぜよう」
「ありがとうございます!」「お師匠さま、侍になれば、わたくしでも、刀が差せるのでございましょうね」
「差せるさ」
「差したい! きっと差してみせるぞ」
竹童は、その興奮で立ち上がりました。
しかし、彼が引き受けた大役とはいったい何なのでしょう。
もとより鞍馬山の霊気を受けたような怪童子ですから、危ぶむことはないでしょうが、居士の口ぶりから察するに、ことはなかなか容易ではなさそうです。
一
夜通し百八ヵ所で焚き明かしているかがり火のため、人穴城の殿堂は、まるで地獄の祭りのように赤く照らされています。
和田呂宋兵衛たちが、大きな十字架を掲げて層雲崩しの祈祷に出かけたあとは、腹心の轟又八が軍奉行の役目を引き受け、伊那丸と咲耶子を討つための明日の作戦に追われていました。
「東の空が白んできたら一番貝を鳴らせ。勢ぞろいの用意と思え。富士川が見えだしたら二番貝で部署につき、三番貝は俺が吹く。同時に八方から裾野へ下りて、時刻ごとの合図とともに遠巻きの輪を縮めて、一人残らず討ち取る計略だ。必ずこの手はずを忘れるなよ」
一同へ軍令を終えた轟又八は、やや得意げな顔で広場に立ち、明日の天候を占うような様子で暗い空を見上げていましたが、ふと何が気に入ったのか、
「ふふん、この闇の晩に何が見えるんだ。バカ軍師め、人の忙しさも知らずに、まだあんなところでのんき面をさらしていやがる」
上のほうへ吐き捨てるように呟き、そのまま殿堂の道具部屋へ隠れてしまいました。
又八をぷんぷんと怒らせたものとは、いったい何であったか――と空を見上げると、炎々と昇るかがりの煙にいぶされながら、高い櫓がそびえています。そのてっぺんに、さっきから一人の影が立っていました。
山寨の軍師、丹羽昌仙です。轟又八が「バカ軍師」とののしった相手です。
昼間から攻守の意見が分かれて対立していたため、昌仙は詮なきことと諦めたのか、呂宋兵衛が裾野へ出陣してからは軍備には一切関わらず、まるで継子のように一人望楼の頂へ上がり、寂しげに立ちすくんで、四方暗々たる裾野を睨みつけていたのです。
彼は、ひやりと冷たい高所の風に吹かれながら、一体何を見つめているのでしょうか。星こそあれ、月のない荒涼とした闇夜です。
――おお、はるかに焔の列が蛇のようにうごめいていく。呂宋兵衛らの祈祷の行列だ。火の動きは人の動き。散り散りになる時も、固まる時も、静かな時も、騒ぐ時も、なるほど、ここから見れば手に取るようにわかる。
と、何に驚いたのか、昌仙の顔色がサッと変わり、不意に、
「あああ」
と望楼の柱につかまりながら身を乗り出しました。
見れば、はるか彼方の火が、風に吹き散らされた蛍のように算を乱して動きはじめたのです。
「むう」
思わず重苦しい呻き声が漏れます。
「しまった! あの竹童という小僧の奇策にはめられた。もう遅い――」
と、彼が痛嘆の言葉を漏らすか終わらぬうちに、遠き闇のなかでズーンと一道の火柱が立ち、それが消えると、一点の微光も残さず、すべてが暗黒に包まれてしまいました。
「それ見ろ! このほうが言った通りだッ」
昌仙は手を伸ばしていきなり天井へ飛びつき、そこに垂れていた縄の端をグイと引きました。
すると、人穴城の八方に仕掛けてある自鳴鉦が一斉に「ジジジジジジジジッ……」とけたたましく鳴り渡ります。
これは大手の一の門、二の門、三の門、人穴門、水門、間道門の四つの口をすべて同時に守るための手配です。言うまでもなく出門は厳禁、無断で持ち場を離れることは許されないという軍師からの合図でした。
さらに、櫓番へ声をかけて、部下の一人で、もと道中稼ぎの町人であった燕作という者を呼び上げ、かねて用意していたらしい一通の密書を授けました。そして口早に、
「これを一刻も早く羽柴秀吉どのへ届けてこい。ぐずぐずしていると、この山寨から一歩も出られなくなる。すぐ行けよ、何の支度もしていてはならんぞ」
と命じました。
燕作は、野武士の仲間から「韋駄天」と呼ばれるほど足の速い男です。頭を下げて、昌仙から受け取った密書を懐の奥深くにねじ込むと、
「へい、承知いたしました。ですが、その秀吉さまは、山崎の合戦ののち、一体どこのお城にお住まいでございましょうか」
「近江の安土か、長浜の城か、あるいは京都にご滞在か。まずこの三つを目指して行け」
「合点です。では――」
と立ち上がり、クルリと向き直るが早いか、韋駄天の名に背かず、飛ぶ鳥のような速さで望楼を駆け下りていきました。
二
不意に自鳴鉦を聞いた轟又八は、青筋をカンカンに立てて憤慨しました。
「こっちで攻め出す用意をしているのに、どこまでもおれに楯突く不都合な丹羽昌仙め……」「軍師といえども、野放しにしておけば調子に乗るだけだ」
恐ろしい形相で、又八は望楼の階段へ駆け寄りました。すると、ちょうど入れ違いに、上から悠々と昌仙が降りてきたのです。
「おお、又八よ。籠城(ろうじょう)の準備に手ぬかりはあるまいな」
「黙れ。いつ頭領から籠城の用意をしろというお触れが出た。それどころか、夜が明けるのを待って、裾野へ討って出る準備の真っ最中だというのに」
「ならぬ! 呂宋兵衛(ろそんべえ)さまから軍配を預かっているこの昌仙が、そのようなことは許さぬ。七つの門は、一寸たりとも開けることはまかりならんぞ」
「このめくら軍師め! 頭領の呂宋兵衛さまも帰らぬうちに、洞門を閉ざしてどうするつもりだ」
「今に見ていろ。祈祷に出た連中は散り散りバラバラだ。呂宋兵衛さまも手傷を負い、命からがら逃げ帰ってくるはずだ」
「馬鹿馬鹿しい! そんなことがあってたまるものか」
又八が大口を開けてあざ笑っていた、まさにその時でした。
祈祷の列に加わっていた足助主水正(あすけもんどのしょう)や佐分利五郎次(さぶりごろうじ)たちが、髪を振り乱し、血まみれの姿で逃げ帰ってきたのです。
「やあ、その姿は……?」
さっきまで強情を張っていた又八が目を丸くして叫ぶと、裾野から逃げ帰ってきた者たちは声を揃えて言いました。
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