初級翻訳・籠の小鳥 第3話

徳田 秋声

そしてまた、この鉱山の労働者たちは、都会で見かける工事現場や道路、高いビルで働いている多くの労働者たちよりも、ずっと幸福な日々を送っているようにも思えました。
もちろん、どの作業場を見ても、彼らの顔は青白くて寂しげで、こわばっていました。
彼らがその荒々しい仕事に、心から楽しんで取り組んでいるとは到底思えませんでした。
淳二は古びた制服を着た事務員の一人と、いつの間にか鳥猟の話に夢中になっていました。
ハイカラな若い技師たちは、その二人の不思議な話を聞いて、にやにやと笑っていました。
帰り着いたのは、もう五時ごろでした。
二人はいつものように電気風呂に入ってから、やがて晩ご飯の席につきました。
「鉱山生活も、それほど悲惨なものではないようですね。坑夫はどのくらい稼ぐものなのですか?」羊三は食後に梨の皮をむきながら、兄に尋ねました。
「そうだな、それは成績次第だから、まあ腕のいいやつで二円くらいは稼ぐ。中には子供も女房もそれぞれ働いている家族もいるから、相当な収入があるよ」
淳二はそう言って羊三の問いに答えるだけで、それ以上のことはあまり多くを語りませんでした。
「今日はみんな変な顔をしていたな。あの連中の中には、表面上は運動に賛成しながら、実際には参加していない奴もいる。さっき下へ寄ってみたら、こいつはすぐそこにいる奴なんだが、Aという人物が東京からやってきたとき、真っ先に旗を持って盛り上げていたんだ。ところが運動は失敗するし、首は切られるしで、ここを去るにも借金だらけで身動きが取れないらしくてね。青ざめた顔をして泣きを入れてきたんだよ」無理もないことだ。参加しなければ、成功したときに肩身が狭いし、成功しなければ自分たちの食い扶持がなくなる。だから彼らとしても、実際にはどちらにつくべきか迷っているのさ。

「弱いものですね」

羊三がそう言うと、淳二は違った意味を込めて、

「弱い」

とつぶやいた。
それからしばらく、この山で最初の鉱脈が発見されたときのことや、これまでの発展の道のりなどについて、羊三はぽつりぽつりと話す兄と向かい合ってくつろいでいた。

「私も、この山にこんなに長くいるつもりはなかったんだ。O鉱山を買うという話が持ち上がった縁で、あの山へ行くことになり、あそこに前後で六年ほどいたせいで、だんだんと年をとってしまった。山を経営しようと思えば、私ならいくらでも出資してくれるところがあるし、希望者もいた。けれど、自分には子供がいるわけでもないし、儲けたところで仕方がないという気持ちもあってね。後継者が見つかるまでと思って、ついに今日までやってきたんだ。こんなことで一生を終えるのも残念だが、今となってはもう年をとりすぎてしまったよ」

淳二はいつの間にか取り出していたかすみ網を編みながら、感慨深そうに言った。
淳二は隙さえあれば、網まで自分で編んでいた。もうそんな網を作る人も、今では少なくなってしまった。売っているものがあっても、精巧なものは手に入らないのだ。

「今日会った採鉱課長なんてどうです、後継者として……」

羊三が尋ねた。

「あれなら有望な方だ。さしずめそういう順序になるかもしれないな。Fなんかも、製錬の腕でいえば、あれほどの男は他の鉱山にはいない。彼もどうかなと思っているんだが、あの男も少し気が小さくてね。大勢の人間をまとめていくのは難しいかもしれない」

Fも羊三たちとは、多少の縁があった。

「Fがそんなに凄い人なんですか」

「どこへ行ったって立派なものさ。鉱業界で彼の名を知らない者はいない」

そう言う兄自身も、優れた頭脳と経験の持ち主であることは、羊三も人づてに聞いて知っていた。最近亡くなった甥――といっても、羊三より一つ年下なだけだったが――のSにしても、やはり同じように優秀だった。

「Sや誰かと一緒になって、独立してやるのも良かったでしょうね」

「私はもしやるなら、大阪の兄さんを呼ぼうと思っていたんだが、結局その機会もなかったよ」

羊三は、そんなしみじみとした述懐のような言葉を、これまでこの兄の口から聞いたことがなかった。彼らは山で大人になったようなものだったが、生涯をここで過ごしてしまったのは、一つには古い主従関係の情義からでもあった。羊三には、それが不思議でならなかった。

やがて羊三は、若い事務員に誘われて、今夜の演説を聞くべく事務所を出て行ったが、人が集まるにはまだ時間があった。今夜はたぶん中止だろうという噂も流れていた。羊三はしばらくそのあたりをぶらぶら歩いたが、いつしか興味がそれてしまった。
帰ってみると、兄は廊下に出て、囮(おとり)の鳥に火をかけていた。籠の小鳥は、まぶしい電灯に照らされてきょろきょろとしていた。兄が広間へ入って寝たのは、それから二時間も経ってからであった。

演説会場にあてられていた労働者のクラブでは、どうやら演説が中止になったらしく、熱狂的な万歳の声がしきりに聞こえてきた。羊三は久しぶりに頭が冴えていたので、次の間で、切迫してくる創作の興奮に駆られながら、せっせとペンを走らせていた。しかし、ふとした瞬間に、先ほどの兄の述懐が脳裏に浮かんできた。
そして兄の生涯について考えさせられると同時に、長いあいだ兄が蓄えてきた富に対する羨望の気持ちも、どこかへ消え失せてしまった。

「クイ、クイ」

火をかけられたクロツグミが、思い出したように威勢よく二声三声、続けて鳴いた。

翌朝起きてみると、兄の淳二は、小鳥を物干し場の柱の上高く括りつけた長い竿(さお)に仕掛けられた、長さ一間(約1.8メートル)ばかりの籠掛けに、一羽ずつ籠をかけて吊るし上げていた。
籠掛けには、籠の大きさと同じくらいの距離をおいて、籠をかけるための折釘が打ってあった。空高く掲げられた籠の小鳥たちは、爽やかな朝風を受けて、どれもこれも大空へ放たれたかのように、元気よく籠の中を駆け回っていた。

羊三は、父が鳥を訓練するように、やはりそんなことをしていたのを何度も見たことがある。もちろんそれは、遠くの山や谷々から渡ってくる仲間の群れを見逃さないように、遠くを見る視力を養うためであった。

「なかなかに手がかかるものですね」

羊三は、よくもそんなに兄がまめまめしく働けるものだと、驚嘆の目で見つめながら言った。

「なに、どうせ暇なんだから」

淳二はそう言って、第二の籠掛けを吊るすべく、竹竿を別の柱に縛りつけていた。
羊三は、庭の隅にある大きな果樹の幹の上に、父が囮を吊るし上げた当時のことが思い出された。それは朝の少し寒い、たぶん十月の末頃のことだっただろう。荒れた庭に虫が鳴いて、樹木や石の上には露がしとしとと降りていた。

「兄さんが体が弱いからと、父が毎年、鳥の世話に連れて行ったものだ」おかげさまで、私もさんざん鳥の世話をさせられたものだ。

羊三は、三十年も四十年も経った今日、兄がやはりそんなことをしているのだと思うと、すくすくと生えた白い頬ひげの兄の顔が、どうやら父の面影にそっくり似てくるように思えた。
羊三だけは、そんなことには何の興味も感じなかった。
朝飯が済むと、羊三は昨夜遅くに出来上がった原稿を綴じたり、封筒に入れたりした。

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