初級翻訳・良寛物語 手毬と鉢の子 第14話

新美 南吉

新太郎ちゃんの努力が、ついに実を結ぶときがやってきました。
新太郎ちゃんが栄蔵に応援されながら、苦心に苦心を重ねてこっそり貯めてきたお鳥目は、ついに銭差しがいっぱいになりました。
「今からね、長岡へ行って紙鳶(たこ)を買ってくるんだ」
と新太郎ちゃんは、背中の赤ん坊をゆすり上げながら言いました。
その顔は輝いていました。
「一人で?」
と栄蔵はびっくりして聞きました。
「前に父ちゃんについて行ったことがあるから、道は知ってるよ」
そう言って、新太郎ちゃんは平気そうに答えました。
しかし栄蔵は、新太郎ちゃんは心細いに違いないと思いました。
真昼の、白く光ってどこまでも続く長い長い道。
川を越えたり、丘を回ったりしてゆく知らない道。
それに、知らない村の子供たちが、きっと待ち構えていて石を投げつけてくるかもしれません。
「やあい、他村(よそもの)のやつ、糞(くそ)のやつ」
できることなら栄蔵は、ついて行ってやりたかった。
しかし家の用事があって、それもできませんでした。
「道、間違えちゃだめだよ」
と栄蔵は言いました。
「うん」
と言って、新太郎ちゃんはすたすたと歩いていきました。
そして、行ってしまいました。
夕方になって、栄蔵がお燈明の油を買いに行ったとき、暗くなりかけた道を向こうから、新太郎ちゃんが足をひきずりながら帰ってきました。
新太郎ちゃんは、やっぱりやり遂げたのです。
大きな紙鳶を、盾のように肩にかけて持っていました。
「よかったね」
と栄蔵が言うと、新太郎ちゃんは笑おうとしましたが、あまりに疲れ切っているため、笑うことができませんでした。
自分がたやすく過ごした半日という時間を、新太郎ちゃんはどんなに心と体を労して過ごしたのか……そう思うと、栄蔵の胸は痛みました。
次の日、栄蔵は塾で惣兵衛ちゃんに予告しました。
「明日、遊びに行ってもいいかな」
「うん、栄坊ちゃんなら、いつ来てもいいって母さんは言ってたよ」
「ほかの者が行っちゃいけない?」
「ううん。母さんは子供が嫌いだから、子供が家へ遊びに来ると頭が痛むって言うのさ」
「新ちゃんも行くよ」
「新ちゃん?」
「ほら、あの新太郎ちゃんのことだよ」
「新太郎ちゃん?」
この様子では、惣兵衛ちゃんはもう、紙鳶の約束なんて忘れてしまっているのかもしれません。
忘れられてしまっては大変です。それでは新太郎ちゃんの努力が水の泡になってしまいます。
「ほら、いつか紙鳶を一緒にあげた……」
「紙鳶を?」
案の定、忘れてしまっています。
「お前の家の裏の畑で、紙鳶を一緒にあげたろう。お前の真っ新な大きい紙鳶を。そして逃がしてしまったじゃないか」
惣兵衛ちゃんは、しばらく目をギョロギョロさせていましたが、
「うん、そんなことがあったね。うん、そうそう、家にいた嘉助のガキね」
惣兵衛ちゃんの家では、お祖母さんでも誰でも、よそ者の子をガキと呼ぶんだな、と栄蔵は思いました。
「あんなもん、来ない方がいいな」
と惣兵衛ちゃんが言いました。
「一緒に行きたいそうだから、いいじゃないか」
「どうして?」
「どうしてってことはないけど……」
その理由は言えませんでした。
惣兵衛ちゃんを驚かせてやりたかったからです。その方が、新太郎ちゃんの努力のしがいがあるというものです。
そして翌日、栄蔵は、買ったばかりの紙鳶を持った新太郎ちゃんと一緒に、尼ヶ瀬の惣兵衛ちゃんの家へ出かけました。
「惣兵衛ちゃんが見たら、びっくりするよ」
と栄蔵が言うと、新太郎ちゃんは、
「うん」
と嬉しそうに笑いました。
「ほんとに、こんな、同じのがあってよかったね」「一軒の家にはなかったけれど、もう一軒の家で聞いたら、あったんだ」
「あれで買えたの?」
「夏だからさ、紙鳶(たこ)なんか買う人はいないからって、安くしてくれたんだ」
「新太郎ちゃん、こんなにいい紙鳶、自分だけのものにしたいだろう?」
「ううん」
と新太郎ちゃんは首を横に振りました。
心の重荷を早く払ってしまいたいのだ。ただそれだけなのだ、と栄蔵は察しました。
今日の新太郎ちゃんは気が張っていたので、惣兵衛ちゃんの家の前でも、野良犬のような卑屈な格好はしませんでした。
栄蔵のすぐあとについて、敷居をまたぎました。
惣兵衛ちゃんは、土蔵の陰に置かれた縁台の上で、矢を削っていました。
脇には、生木を曲げて作った下手な弓が置いてありました。
惣兵衛ちゃんの六つばかりの弟が、熱心に兄さんの手元を見ていました。
「それ、ミツちゃんの弓?」
と栄蔵が聞きました。
ミツちゃんは、惣兵衛ちゃんの弟の名前です。
「ううん」
と惣兵衛ちゃんは首を横に振りました。
ミツちゃんは、兄さんのお友達が声をかけてくれたので、嬉しそうな顔をしました。さっきからその弓が欲しくてたまらなかったからです。
しかし兄さんの惣兵衛ちゃんは、ミツちゃんが少しでも弓に手を触れると、癇癪(かんしゃく)を起こして怒鳴り散らすのでした。
しばらく栄蔵たちは惣兵衛ちゃんの仕事を見ていましたが、いつまで経っても終わる様子がないので、とうとう栄蔵がしびれを切らして、
「ねえ、惣ちゃん」
と言いました。
惣兵衛ちゃんは顔も上げずに、
「うん」
と答えました。
「新太郎ちゃんが、いつか逃がしてしまった紙鳶ね、あれを買って持ってきたよ」
栄蔵と新太郎ちゃんは、これを言えばさすがの惣兵衛ちゃんも、びっくりして顔を上げるだろうと思いました。
ところが予想に反して、惣兵衛ちゃんは竹を下手くそに削っているだけでした。
そして、
「ふーん、じゃあ、そこに置いといて」
と、つまらないものでも扱うような口調で言いました。
栄蔵は、すかされたような気分になりました。
こんなはずではなかった、と思いました。
新太郎ちゃんも栄蔵と同じ気持ちになったらしく、情けないような微笑みを少し浮かべながら、持ってきた紙鳶を蔵の入り口に立てかけました。
惣兵衛ちゃんは矢を削り終えると、前掛けから緑色の削りくずを払い落としながら、ふと紙鳶に目を留めました。
――よしっ。と栄蔵は、期待で胸が躍りました。
惣兵衛ちゃんは驚いたに違いない。そして新太郎ちゃんに訳を聞き、その努力に感謝感激して、自分の心ない言葉を謝るに違いない。
しかし、栄蔵の期待はまたしても外れました。
惣兵衛ちゃんは、まるで紙鳶には何の興味もないと言わんばかりに、ぷいと横を向いてしまったからです。
その時、家の中からお祖母さんが惣兵衛ちゃんを呼びました。惣兵衛ちゃんは家の中に入っていきました。
「栄坊ちゃん、おいでよ」
と惣兵衛ちゃんが家の中から呼びました。
きっと何かご馳走があるのです。それを貧乏人の子である新太郎ちゃんには食べさせたくないので、栄蔵だけを呼ぶのです。
栄蔵も新太郎ちゃんも、それがよく分かっていたので顔を見合わせると、また新太郎ちゃんが情けないような表情になりました。
「新太郎ちゃんもおいでよ」
と栄蔵は言いました。
新太郎ちゃんはぐずぐずしていましたが、
「いいから、おいでよ」
と栄蔵は無理に引っ張っていきました。

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