水干はまだ、肩が少し落ちていて、紐の色が怪しくなっている程度ですが、指貫のほうは、裾(すそ)の傷み方がひどいものでした。
その指貫の中から、下着もはかずに細い足が出ているのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩せた公卿(くぎょう)の車を引いている痩せこけた牛の歩みを見るような、みすぼらしい気分にさせられます。
それに腰に差している太刀も、ひどく頼りない物で、柄(つか)の金具も怪しければ、黒い鞘(さや)の塗りも剥げかかっていました。
これが例の赤鼻で、だらしなく草履を引きずりながら、ただでさえ猫背なのを、冬の寒空の下でいっそう丸めて、何かを欲しがるような目で左右をきょろきょろと見回しながら、ちょこちょこと歩くのですから、通りがかりの物売りまでが彼を馬鹿にするのも無理はありません。
実際に、こんなことさえありました。
……ある日、五位が三条坊門(さんじょうぼうもん)から神泉苑(しんせんえん)のほうへ向かう途中、子供が六、七人、道端に集まって何かをしているのを見かけました。
「こま」でも回しているのかと思って後ろから覗いてみると、どこからか迷い込んできた野良犬の首に縄をつけて、叩いたり殴ったりしていたのです。
臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せることはあっても、周りの目を気にして、一度もそれを実際に行動に表したことはありませんでした。
しかし、この時ばかりは相手が子供だったこともあり、少しだけ勇気が出ました。
そこでできるだけ笑顔を作りながら、一番年上らしい子供の肩を叩いて、「もう、勘弁してやっておくれ。犬だって打たれれば痛いのだから」と声をかけたのです。
するとその子供は振り返りながら、目つきを鋭くして、見下すようにじろじろと五位の姿を眺めました。
言わば、侍所の別当(べっとう)が話の通じない相手を見るような顔つきで、彼を見たのです。
「余計な世話は焼いてほしくないね」その子供は一歩下がりながら、生意気な唇を反らせてこう言いました。
「なんだよ、この赤鼻め」
五位は、この言葉が自分の顔をピシャリと打ったように感じました。
しかし、それは悪口を言われて腹が立ったからでは、決してありません。
言わなくてもいいことを言って恥をかいた、自分自身の情けなさに打ちのめされたからです。
彼は、気まずいのを苦しい笑顔で隠しながら、黙ってまた神泉苑の方へ歩き出しました。
後ろでは、子供たちが六、七人、肩を寄せ合って「べーっだ」と舌を出したりしています。
もちろん彼はそんなことは知りません。
たとえ知っていたとしても、この気の弱い五位にとって、それが一体どうしたというのでしょう。
……では、この物語の主人公は、ただ軽蔑されるためだけに生まれてきた人間で、他に何の希望も持っていないのかというと、そうでもありません。
五位は五、六年前から「芋粥(いもがゆ)」という食べ物に、異常なほど執着していました。
芋粥とは、山の芋を細かく切って入れ、それを甘葛(あまづら)の汁で煮た粥のことです。
当時はこれが最高に美味しい料理として、上は天皇の食卓にまで出されるほどでした。
ですから、私のような五位の身分の人間の口には、年に一度、臨時の客があった時にしか入りません。
それさえ、喉をほんの少し濡らす程度のわずかな量でした。
そこで、この芋粥を飽きるほど飲んでみたいということが、ずっと前から彼の唯一の望みになっていたのです。
もちろん、彼はそれを誰にも話したことはありません。
いや、彼自身でさえ、それが彼の一生を貫く願いだとは、はっきりと意識していなかったかもしれません。
しかし事実は、彼がそのために生きていると言ってもいいほどだったのです。
――人間は時として、叶うかどうかも分からない欲望のために、一生を捧げてしまうことがあります。
その愚かさを笑う者は、結局のところ、人生という舞台を外から眺めているだけの人に過ぎないのです。しかし、五位が夢の中で思い描いていた「芋粥をお腹いっぱい食べる」という願いは、思いがけず簡単に現実のものとなりました。
その一部始終を書き記すことこそが、この「芋粥」という物語の目的なのです。
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ある年の正月二日、基経(もとつね)さまのお屋敷で、「臨時の客(りんじのきゃく)」という宴が開かれた時のことです。
(臨時の客とは、二宮の大饗(だいきょう)と同じ日に、摂政関白家が大臣以下の高官を招いて催す饗宴のことで、内容は大饗とほとんど変わりません。)
五位も他の侍たちに混じって、宴の残りの料理をいただくことになりました。
当時はまだ、一人ずつ皿に盛るような習慣はなく、宴が終わると屋敷の侍たちが一堂に集まって、残った料理をみんなで分け合って食べる決まりになっていたからです。
もっとも、大饗といっても昔のことですから、品数は多くても大した物はありません。餅や伏菟(ふす=乾燥させたウサギ肉)、蒸しアワビ、干し鳥、宇治の氷魚(ひうお)、近江のフナ、鯛の切り身、鮭の白子、焼きタコ、大きなエビ、大きなミカンや小さなミカン、橘、串柿といった類のものです。
ただ、その中に例の「芋粥」がありました。
五位は毎年、この芋粥を楽しみにしていました。
しかし、いつも大勢で分けるので、自分の口に入るのはほんの少しです。
それが今年は、特に量が少なかったのです。
それに気のせいか、いつもよりずっと味が良く感じられました。
そこで彼は、食べ終わったお椀をじっと見つめながら、薄い口ひげについている汁の滴を手のひらで拭い、誰に聞かせるでもなく「いつになったら、これをお腹いっぱい食べられることかのう」とつぶやきました。
「大夫殿(たいふどの)は、芋粥をお腹いっぱい食べたことがないそうだな」
五位の言葉が終わらないうちに、誰かが笑いました。
渋みがあり、ゆったりとした、いかにも武人らしい声です。
五位は猫背の首を上げ、おどおどしながらその人の方を見ました。
声の主は、その頃同じ基経さまの家で恪勤(かっきん=役人)をしていた、民部卿時長(みんぶきょうときなが)の息子、藤原利仁(ふじわらのとしひと)でした。
肩幅が広く、並外れて背の高い逞しい大男で、彼は栗を噛みながら、黒酒の杯を重ねていました。
もうだいぶお酒が回っているようです。
「お気の毒なことだな」利仁は、五位が顔を上げたのを見ると、軽蔑と憐れみを混ぜ合わせたような声で言葉を続けました。
「望むなら、この利仁がお腹いっぱい食べさせてやろう」
普段からいじめられている犬は、たまに肉をもらっても、なかなか近寄ろうとはしません。
五位は、笑っているのか泣いているのか分からないような表情で、利仁の顔と空になった自分のお椀とを交互に見比べていました。
「嫌か?」
「……」
「どうなんだ?」
「……」
五位は、その間に周囲の視線が自分に集まっているのを感じ始めました。
答え方一つで、またみんなから笑いものにされてしまう。あるいは、どう答えても結局は馬鹿にされるような気がしました。
彼はためらいました。
もしその時、相手が少し面倒くさそうな声で「嫌なら、無理にとは言わん」と言わなかったら、五位はいつまでも椀と利仁を見比べていたことでしょう。
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