「落語と義太夫ですよ」
「それは楽しみだなあ!
浩二や、おばあさんに『落語が始まるよ』って伝えてきておくれ」
とおじいちゃんは大喜びしました。
(忙しい中のちょっとした息抜き)
お父さんの書斎へハガキを一枚もらいに行ったときのこと。
部屋の柱に、
――惣領の筍伸びや衣更――浩郎
という一句が書かれた短冊がかけてありました。
墨の跡はとっても鮮やかだけれど、「浩郎」と署名してあるからには、これはお父さんの書いたものです。
お父さんの字は、決して上手な方ではありません。
もし学校の書道の先生が採点したら、せいぜい「乙の上」といったところでしょう。
自分で詠んだ句を柱にかけて、うっとり感嘆しているわけではないのでしょうが、お父さんの短冊掛けには時々、自分で書いたものが飾ってあるのです。
これは、字が下手くそなのに、普段は練習する暇もないまま他人から短冊の揮毫(きごう)を頼まれることがあるため、度胸をつけるためのトレーニングなのだそうです。
国務大臣クラスの大物になると、それなりに肝が据わっているから平気でヘタな字を書き飛ばせるものですが、お父さんの場合はもっと精神修行が必要なのだとか。
「俺のように上達の見込みがないものは、自分の書いた下手な字を見慣れるに限る。
その証拠に、女性はいつも鏡で自分の顔を見慣れているから、自分の顔をそんなにブサイクだと思わないだろう?」
とお父さんはいつも言っています。
この点に関しては私も親譲りで、字でも絵でも、とにかくたくさん見慣れる必要があるのです。
特に絵なんて、かなり見慣れておかないと、本来描こうとした目的なんてさっぱり分からない代物になってしまいます。
小学校の一、二年生の頃なんて、図画と習字の成績がいつもテストの順位を大きく左右していましたからね。
それはさておき、お父さんの机の引き出しを開けたら、また一枚の短冊が見つかりました。
――衣更えて昔を妻に戯れし――浩郎
と書いてあります。
お父さんが留守の間に書斎にこっそり忍び込んで、机の中を探るなんて聞いたら、私を不良少年だと思う人もいるかもしれません。
しかし、それは大きな誤解です。
これにはちゃーんと正当な理由があるのです。
お父さんは新聞記者でありながら、いざ手紙となると大の筆無精で、なかなか自分から書こうとしません。
特に葉書や便箋の類が切れてくると、それを絶好の口実にして、あちこちへの連絡をすっかりサボってしまうのです。
だからお母さんは、お父さんが言い訳できないように、葉書や切手はもちろん、手紙を書くのに必要な道具の一切を、お父さんの机の引き出しにいつも揃えて入れてあるのです。
「源太郎や、葉書はいつでもここにありますからね、お前も自由に使っていいんですよ」
とお母さんからも言いつけられています。
つまり、私は正当な特許をもってお父さんの机を開けているというわけなのです。もちろん、何か面白いものがあるかもしれないと思って、椅子に腰を下ろして引き出しの中を丁寧に探してみることもあるけれど、私は決して不良少年なんかじゃありませんよ。
さて、ハガキの話ではなくて俳句の話ですが、この俳句の世界についての私の知識は、本当に浅いものです。
学校の教科書でお手本を3つか4つ習ったばかりだから、俳句のことなんて全然わからないと言ってもいいくらいなんです。
それに、こういう俳句なんて高校の入学試験には出ないって聞いているから、すぐに忘れちゃいそうになります。
でも、お父さんが詠んだ2つの句は、すぐに意味がわかりましたよ。
だって、僕のこととお母さんのことを詠んだ句だったからです。
だんだん暑くなってきたので、僕たち家族は先度の日曜日に衣替えをしました。
妹たちも弟もみんな大きくなって、去年の夏服の「あげ(着物の丈を調整するための縫い込み)」を下ろして伸ばさなきゃいけませんでした。
「みんな、すごく伸びたわねえ! まあまあ、そのまま着ていなさい。晩になったらまた縫い目を下ろしてあげるからね」
お母さんの予想通り、誰一人として例外はいませんでした。
中でも一番背が高くなったのは僕で、もう去年の「あげ」の限界もとうに超えているくらいです。
「源太郎は大きくなったなあ。もうそろそろ俺くらいあるんじゃないか?」
とお父さんはまず僕の背丈を話題にしました。
「体操の時間には、僕が4年生全体で2番目ですから、お父さんより大きいかもしれませんよ!」
と、僕は威張って言ってやりました。
実は先日、お父さんに隠れてこっそり背比べをして確かめておいたのです。
「どれ、ちょっと比べてみようか」
とお父さんは気軽に立ち上がりました。
部屋の敷居のところに並んで背中を合わせて比べてみた結果は、僕のほうがほんの少し高かったのです。
だけどお父さんは、
「いや、ちょうど同じくらいだな。驚いたなあ」
と言いました。
なんと、自分の髪の毛の高さまで身長に入れているんです。
ちなみに僕は丸刈りなのにですよ。
「お兄ちゃんのほうが少し高いよ」
と、妹の郁子が公平な判定を下してくれました。
「いや、いい勝負さ。源太郎はまだまだ背が伸びるだろうから、来年には負けちゃうかもな」
「千駄ヶ谷の叔父さんくらいになりますよ!」
と、僕はこれくらいのお父さんの背丈では全然満足できません。
「叔父さんくらいがちょうど限度だなあ。あれより高すぎると、周りの目を引きすぎて目立ちすぎちゃうからね。日本人はやっぱり五尺六寸(約170cm)くらいが一番かっこよくて見栄えがいいのさ」
とお父さんは、自分にとって都合の良いことなら何でもかんでも自分を基準にしちゃうのです。
郁子から浩二まで4人の子供みんなが大きくなったねと褒められたあと、今度はお母さんが「若くなったね」と褒められました。
「少し派手すぎたかしら?」
と、最初は文字通りお母さんは新しく着替えた浴衣の柄のことを言っていたのでした。
「いや、そんな派手なことなんてないよ。すごくよく似合っているよ」
「そうですかねえ?」
「いやはや恐れ入った。そうやってすましているところは、お嫁に来る前とちっとも変わっていないみたいじゃないか」
とお父さんは冗談を言いました。
「まあ、そんなに大層評判がいいんですね」
とお母さんは、若いと言われることにはやっぱり悪い気はしないようで、嬉しそうでした。
そのときにお父さんが感じた感想を、短句にして表したというわけです。
お母さんが昔のまま若く見えるなんていう惚気(のろけ)の句は、大々的に柱にかけておくような性質のものではないから、机の中にこっそりしまい込んで、代わりに僕の「筍のようにぐんぐん伸びる姿」の句を柱に張り出したのでした。
だから、お父さんにとってどちらが本当の会心の作なのかちょっと判断に迷うところだけど、とにかく僕の成長をここまでお祝いしてくれたんだと思ったら、すごく嬉しかったのです。
実際、僕は本当に筍(たけのこ)のようにぐんぐん伸びています。
親戚の家に行っても、
「源太郎さんは、また大きくなりましたね!」
と、会うたびにびっくりされます。
友達からも僕のことは「ノッポ」と呼ばれてうらやましがられます。
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