初級翻訳・解かれた象 第2話

寺田 寅彦

ところが今回のお話の場合だと、ゾウが人間の言うことを聞かないので人間が怒り、それに対してゾウも怒ったわけですが、その人間が仲間の人間たちにこのときの出来事を話して聞かせるとき、どうしても「ゾウが怒って大暴れした事実」ばかりを大げさに話してしまい、「なぜゾウが怒るようになったのか」という理由の説明をつい忘れてしまいがちになるのです。

この話を聞く人たちにしても、もちろんゾウの恐ろしい大暴れの様子だけで頭がいっぱいになってしまい、ゾウを怒らせてしまった人間側の行動までじっくり考える余裕なんてないのが普通でしょう。
たまには、そこまで深く立ち入って考えることのできる人がいたとしても、自分とは直接なんの利害関係もないゾウのために、わざわざ時間を割いてそこまで考えてやる暇すらないのがふつうです。

だから結局のところ、だれからも異議を唱えられることなく、「このゾウは頭がおかしいんだ」ということが、人間の仲間から仲間へとどんどん伝わっていくのです。
そのあいだに、ゾウの暴れたときの様子はいろいろと間違った形で伝わり、そのたびに少しずつ、より悪くて恐ろしい方へ、より悪い方へと変化していくのが世の常なのです。

このまじめな人間たちは、ヒマに任せてその後のゾウの様子をじーっと観察します。
そして、「やっぱりあいつは狂っているんだ」という自分たちの予想通りのゾウの行動を見つけては、満足しようとするのです。
もしそんな満足できる証拠が見つからないときには、いっそその証拠が手に入りそうなチャンスを自分たちから進んで作り出すことすら、ちっとも厭わないのです。

「なるほど、こいつはやっぱり頭がおかしいぞ」と心の底から納得できるまでは、どうしても安心できないのです。
よくよく考えてみると本当におかしな人間の心理ですが、結局のところは、人間が「自分の信じ込んだことが正しかった」という証拠をどうしても欲しがる、まじめすぎる欲求のせいなのかもしれません。

そんなことはどうでもいいのですが、この場合にとてつもなく大迷惑をこうむっているのはゾウです。
お腹が立ってもどうすることもできないところに置かれたうえに、人間たちの「このゾウは気違いだ」という思い込み(偏見)のめがねの的になってしまっては、やりきれなくて本当にたまりません。

もしも近くにゾウの仲間がたくさんいて、仲間同士でおしゃべりすることができたなら、そんなの何でもありませんでした。
そうなれば、ゾウの仲間同士で「人間のほうが頭がおかしいよね」と言い合って、ゾウ同士で仲良くしていればよかったのです。けれど悲しいことに、このゾウにはそんな自分の居場所となる世界があたえられていませんでした。

このとき、ゾウが「頭がおかしい」という不名誉な扱いから逃れる方法は、たった一つしかありませんでした。
それは、数の上で圧倒的に多い人間たちに、自分を合わせて妥協することでした。
不運なことに、このゾウはそのようなズルい真似をするには、あまりにも正直で、あまりにも素直すぎたのです。
その結果が、あの悲惨な鎖の生活というわけです。

ここまでのお話は、もしかしたらこんな事情があったんじゃないかという、一つの想像にすぎません。
だけど、もしこの想像が本当だったとしたら、思いがけないチャンスによって、これまでとは全くちがう新しい人間たちの仲間入りをすることができて、頭のおかしな動物ではなく「普通のゾウ」として見てもらい、大切に扱ってもらえるようになったことが、このゾウにとってどれほど嬉しかったことでしょう!

そう想像するだけでも、私の胸の奥の奥までパーッと晴れ渡るような、とっても清々しい気持ちになります。

本当の本当のことは誰にもわかりませんが、もしもこれからもこのような出来事が起こりうるのだとしたら、たくさんの心優しいゾウたちのために、そして同じように心優しくゾウを育てる飼い主たちのために、ここまでのことを参考として書き残しておくのも、決して無駄なことではないと思ったのです。

(大正十三年二月、『女性改造』)

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