初級翻訳・論語物語 第53話

下村 湖人

しかし、あの頃はもうわしも五十歳をこしていた。
自分の進むべき天命(てんめい)を、はっきりと知ることができておったのじゃ。
だから、わしはその信念に基づいて、何の不安もなく政治を行うことができた。
中部の宰(さい)、司空(しくう)、大司寇(たいしこう)と、六、七年の間しっかりと仕事をしてきたが、今から考えても、わしが間違ったことをしたとは思わぬ。
天の道はいつの時代も変わらぬものじゃ。
どんな者であっても、これに打ち勝つことはできぬ。
この変わらぬ天の心と結ばれて政治を行っていると思えば、何の不安もない。
物事が成功するか失敗するか、利益になるか損になるかなんてことは、もう問題外じゃ。
しかし――」
と、孔子は沈痛な顔をして続けた。
「天命を知り、変わらぬ天の心と結ばれているという信念も、それがまだ『自分には信念がある』と意識されているうちは、究極のものではない。
今から考えると、その頃のわしの政治のやり方には、どこかぎごちないところがあったのではないかと思われる。
魯の定公(ていこう)は、わしを用いてくれながらも、だんだんとわしから遠ざかり、斉(さい)の国から送られてきた美しい女性の誘惑に乗り、家臣である季氏(きし)の甘い言葉にあやつられてしまった。それも、わしにまだ至らないところがあったからじゃ。
わしとわしの信念とは、まだ本当の意味で一つにはなっていなかった。
『自分には信念がある』と意識していたことが、何よりの証拠じゃ。
本当の信念とは、信念があることすら意識しないほどに、その信念が自分にすっかり溶け込んだときに得られるものじゃ。
わしは、魯の国を去って諸国を旅して回るうちに、次第にそのことがわかってきた。
わしが『易(えき)』を学びはじめたのは五十歳のときだったが、易の本当の心がわかり出したのも、この旅のころじゃ。
天と地と人、過去と現在と未来、これらすべてのものが、まるで一枚の美しい布に織り出されているのが易の教えじゃ。
この易の心に触れてはじめて、『信念がある』と意識するような、自分と他人を区別する世界を超えて、大自然の真理の中に自分を没頭させ、自分の心の中に自然の真理を浮かび上がらせるような、『一如(いちにょ)』の境地が得られるのじゃ。
この境地をつかむと、目に映るもの、耳に響くものに、少しの狂いや歪みもない。
何が正しく何が悪いのか、道理にかなっているのかいないのか、曲がっているのか真っ直ぐなのか――一切がありのままに自分の心にうつり、自分の心もまた、ありのままにそれに対して自然と動くのじゃ。
それを、わしは『耳順う(みしたがう)』の境地と呼んでいる。
つまり、自分の我がままな心がなく、素直に、自然に、意識することなしに、天・地・人や、過去・現在・未来を、間違いなく捉えることができる境地じゃ。
わしが、そうした境地を掴み得たのは、やっと六十歳になってからのことだった。」

門人たちにとっても、孔子の言っている言葉の表面だけは、なんとなく理解できた。
しかし、それはまるで、青空の青さを見ながらも、実際にその空に触れることができないようなものだった。
彼らのある者は、顔回(がんかい)が生きていた頃、ある日をしみじみと思い出し、こんな風にため息をついていたのを思い出していた。
「先生の徳はまるで大きな山だ。
仰げば仰ぐほど高い。
先生の信念はまるで固い岩や金属のようだ。
ノミで削ろうとしても削れば削るほど堅い。
どうしても捉えきれないのは、先生のあまりにも高い道だ。
目の前にあるかと思うと、いつの間にか後ろにある。
先生はきちんとした順序を立てて、よく私たちを導いてくださる。私たちの知識を広げるには古い聖人たちの教えを用い、私たちの行動を正すには『礼』を用いられる。
その教え方の見事さにすっかり魅せられて、もうやめようと思ってもやめることができない。
私は自分の力のかぎりを尽くして努力した。
そして、今ではやっと、先生の道の本体を、はっきりとこの目で見て取ることができる。
しかし、いざそれを自分のものにしようとつかみかかると、どうにもならないのだ。」

「しかし――」
と、孔子はさらに語り続けた。
「その心境は、ただそれだけではまだ生きた道とはいえない。
それは自分一人の心の中だけの世界じゃ。
仙人や世をすねた隠者の中にも、そうした心境に達した者がいないとは言えぬ。
だが、わしはそれだけでは満足できなかった。
きれいに磨かれた鏡は、あらゆる世界の本当の姿をありのままに映し出すが、その映し出されたものは、結局のところ影であり空っぽなものじゃ。
それと同じで、たとえわしが天・地・人と過去・現在・未来の真実を少しも狂いなく捉え得たとしても、そのままでは、それは動かない死んだものと変わりはない。
真理というものは、実際の『行動の世界』に引き戻されてはじめて、命ある本当の真理となることができるのじゃ。
わしはそう思って、それ以来さらに休むことなく努力を続けてきた。
努力を続けるうちに、わしは人間の行うこと(行為)がいかに難しいものであるかを、今さらように発見して驚いたものじゃ。
わしは『四十歳でまわなくなり(不惑)』と言ったが、なるほど物事の根本的な道筋については迷わなかった。
また『五十歳で天命を知った』と言ったが、なるほどその知った天命に根本から背くようなことはしなかった。
しかし、『耳順う』境地に達するまでは、わしの行いの物差しにつけられた目盛りは、どうやらまだ正確さを欠いていたようじゃ。
同じ一尺の物差しであることには変わりがなかったが、一寸一分の細かい目盛りを刻むときには、どうしてもわし自身の主観が混ざってしまっていたのじゃ。わしの迷わざる生活目標、わしの感じ得た天命の中に、わしの私心が働いて、こまかな目盛りをわしの好きなように勝手に切っていたのじゃ。
ところが耳順い、一切の真をありのままに捉えて、その目盛を正して見ると、わしの行為は、容易にその目盛にきちんと合って来ないのじゃ。
わしのねらっている大目標に誤りはない、また、わしの辿って行く道程も正しい。
しかし、一歩々々の足の踏み方にはわがままがあり、無駄がある。
それを正そうとしても、自分の足がなかなか自分の意の通り動かない。
これではならぬと思った。
これでは親孝行をするために盗みをするのと大した変りはないと思ったのじゃ。
そして努めに努めた結果、自分の欲するままに足を動かしても、正しい目盛にきっちり合うようになったのが、やっと七十歳になってからの事であった。
わしが、のびのびとした心の自由さを味わうことができるようになったのは、それ以来のことじゃ。
」
孔子は語り終えて目を閉じた。
風の音が、木々をつたって、静かに遠くの谷間に消えていく。
孔子は、その風の音に聞きほれながら、自分の長かった苦闘のあとを振り返った。
神秘を求めず、奇跡を願わず、常の道を、自己の力によって、一歩一歩と深めていき、その深められた極所において、一切を握りしめている一人の人間を、彼は自分自身に見出した。
彼は、自分の達し得た境地は、もし誠を積み重ねる努力さえ払われるならば、誰人もが達しうる境地であることを思った。

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