初級翻訳・豆潜水艇の行方 第4話

海野 十三

「どうして、左舷のメインタンクが開かなかったんだろうなあ」
「だって、いきなり艇が海の中へおちたから、故障がおきたのでしょう」
「さあ、どうかね。
とにかくそんなことはないようにつくったつもりだったがねえ」
 青木さんは、ふしぎそうにそういいました。
青木さんは、艇が海のなかにおちたと知ると、すぐにエンジンをかけ、メインタンクを開いたのです。
そうすると、水がはいってきますから、潜水艇はしずみます。
そうしないと、艇はおちたいきおいで一たんしずみ、しばらくすると、また海面にうきあがるから、それでは悪人どもにまたつかまると思ったので、すぐタンクをひらいて、艇が海底におりたまま、うきあがらないようにしたのです。
しかしそのとき、右舷のタンクはひらいたが、左舷のメインタンクがひらかなかったので、左舷タンクには水が入ってきませんでした。
そこで、艇はひどくかたむいていたのです。
エンジンは、しきりにまわっています。
「防毒面はもうしばらくがまんしてかぶっているのだよ。
今、艇内の毒ガスをおいだすと、そばにいる例の怪しい船にしれるからね」
 青木さんが、ふと気がついたようすで、いいました。
「いつまでも、がまんできますよ」
「しかし、あのときは、あぶなかったねえ。
悪い奴が、毒ガス弾をなげこんだとき、あわてないで、すぐ用意の防毒面をかぶったからよかったが、うっかりしていれば、今ごろは冷たくなって死んでいるよ」
「それよりも、ぼくは、青木さんが、艇内に防毒面をそなえておいた、その用意のよいのに、かんしんするなあ」
「そんなことは、べつにかんしんすることはないさ。
コレラのはやる土地へいくには、かならず、水を水筒に入れてもっていくのと同じことだ。
これからは、防毒面なしでは、外があるけないよ」

   忘れもの

 豆潜水艇のかたむきは、すっかりなおりました。
艇は今、海のそこから五メートルほど上に、うきあがっています。
艇長さんの青木学士は、こんどは舵をうごかす舵輪にとりついて、かおを赤くしています。
「よし、このくらいで、ここをさよならしよう」
「青木さん、これからどっちの方へいくのですか」
「これから、ずっと沖の方へ出てみよう。
その方が安全だし、ちょうど試運転にもいいからねえ」
「じゃあ、このまま外洋に出るのですね。
ゆかいだなあ。
青木さん、艇には、いる品ものはみんなそろっているのですか」
 春夫は、しんぱいになって、たずねました。
「うん、ちょっと入れのこした品ものがあるんだ。
しかし今さら、とりにかえるのも、めんどうなのでね」
「その足りない品ものというのは、一たいなんですか。
たべものとか、水とかが足りないのではないのですか」
「あははは。
君はくいしんぼうなんだね。
だから、たべものだの、水だののことを、しんぱいするんだね。
安心したまえ。
その方はじゅうぶんとはいかないが、せつやくすれば、二人で三十日ぐらいくらしていけるだけはある」
「へえ、そんなにあるのですか」
 春夫は、三十日分もあるときいて、目をまるくし、つばをのみこみました。「それで、なにが足りないのですか、青木さん」
「その足りない品ものというのはね、当局からもらった機関銃だよ」
「ええ、機関銃ですって? そんなものを、どうしてもらったのですか」
「だって、太平洋は、いま武装しないでは、あぶなくて航海できないじゃないか。
おねがいしてやっともらったんだけれど、大切なものだから、一番あとでのせるつもりでいたから、つめなかったんだよ」
 なるほど、いま太平洋はいつ敵国の軍艦や飛行機から攻撃をうけるか、たいへんあぶない時期にはいっていた。
そういう場合に日本男子は、おめおめ敵のためにしずめられたり、とりこになったりしてはいけない。
むかってくる敵にたいしては、あくまでたたかうのが日本男子である。
もうこうなれば、兵隊であろうが、なかろうが、かくごはおなじことである。
そういう時期にはいっているのに、青木学士は、身をまもる機関銃を忘れたといって、あんがいへいきでいるのである。
春夫は、あきれた。
「そんなものをわすれてきては、こまりますね。
ほかに、武器はあるんですか」
「かくべつ武器と名のつくものはないよ。
しかし、敵が向ってきても、またなんとかうまくあしらうよ」
「銃も刀ももたないで、敵に向うなんて、らんぼうじゃありませんか」
「そうだ。
ちょっとらんぼうらしいね。
あははは」
 青木学士は、べつにおどろいた風でもなく、なぜか、からからとわらいました。

   豆潜水艇は、どこへいく?

 次ぎの日に、海上において、おどろくべき事件がおころうとは、春夫はもちろん、青木学士さえも、しらなかったのでありました。

   ねむりにつく

「春夫君。
君はもうねたまえ」
と、青木学士がいいました。
「まだねむくありませんよ。
それにこの豆潜水艇には、まだいろいろ用事がのこっているのでしょう。
ぼくも手つだいますよ」
 春夫少年は、防毒面の中から、二つの目をくるくるうごかして言いました。
「いや、君はねたまえ。
明日になったら、また、うんとはたらいてもらう用事ができるから、今夜はもうねたまえ」
 青木学士が、しきりに春夫少年にやすむようすすめました。
「じゃあねますが、この豆潜水艇に、なにかかわったことがあれば、すぐおこしてくださいね。
ぼくだって、これでなかなか役にたちますよ。
航海のことは、海洋少年団にいたとき、一通りならったのですからね」
「わかったわかった。
早くねたまえ」
 そこで春夫少年は、すこしきゅうくつですが、防毒面をかぶったまま、きかいときかいの間に毛布をしいて、その中にもぐりこみました。
やがて、その日のつかれが一度に出て、春夫は大きないびきをかいて、ねむってしまいました。
 青木学士は、そのありさまを、にこにこわらいながら見ていましたが、春夫がすっかりねむってしまうと、彼はひとりで配電盤の前にたち、受話器を頭にかけ、水中聴音機のスウィッチを入れました。
そして目盛盤をしきりに右に左にまわしてみながら、なにごとかをうかがっているようでありました。
その顔は、しんけんに見えました。
 しばらくして、学士が、ほっとためいきをつくのがきこえました。
「もう、よかろう。
エデン号は、よほど向うにはなれているから……」
 学士は、別のスウィッチを入れました。
すると、ごとごとと音がして、ポンプがまわりだしました。
それから、しゅう、しゅうと音がして、酸素ガスが鉄管から出てきました。
そんなことが三十分ほどもつづいているうちに、室内の毒ガスは、きれいに洗いきよめられてしまいました。
学士は、そこで防毒面をとりました。
「大丈夫だ」
 学士は、うなずきました。
そしてこんどはよくねむっている春夫少年のそばによって、防毒面をぬがせてやりました。
春夫のひたいや、鼻のあたまには、玉のようなあせがふきでていました。
学士は、ハンカチーフを出して、それを念入りにふいてやりました。
「さあ、これでいいだろう。

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