追っかけてきたやつらは、うすくなって、ついに消えてしまった足あとをさがして、その辺をうろうろしていたよ」
「やれやれ、透明になっても、いいことばかりじゃないね」
「それはそうだ。
だが、もちろん、すてきなことだってあるからね。
かけまわっているうちに体はぽかぽかあたたまってきたが、すっかり風邪をひいたらしく、しきりにくしゃみがでるのには閉口したよ。
落ちついてみると、ぼくの下宿のある街にきてたんだ」
透明人間は、ケンプ博士になにもかも話してしまうつもりらしく、いっしんに話しつづけている。
博士は、なにか、落ちつかないようすだが、それでも、じっとかれの話をきいていた。
「そのうち往来の人たちが、きゅうに、なにかさけびながら、いっさんにかけだしていった。
人数はつぎつぎにふえてゆき、やがて火事だとわかったときには、どうもぼくの下宿のあたりと思われる方向から、もくもくとまっ黒な煙がすごいいきおいで、電話線とかさなりあった家のむこうに見えてきたんだ。
それをみて、ぼくは、ほっとしたね。
これでぼくの秘密は安全だ――そう考えると同時に、なにか新しい勇気がわいてくるような気がしたんだ」
透明人間は、一気にここまでしゃべってきたが、なにを思ったか、いすにふかぶかと身をしずめて、だまって考えこんだ。
ケンプ博士は、ちらりと窓のそとに、すばやい一べつをなげ、だまってすわっていた。
うらぎられた透明人間
透明人間の秘密
「透明人間になるということは、はじめぼくが考えたほど、すばらしい、ゆかいなものではなかったんだ。寒いからといって服をきれば、透明人間でいることができなくなる。
透明人間でいようと思えば、寒くても服をきることができなくなるばかりか、もっとこまることが起こってきたんだ」
しばらくだまっていた透明人間は、ゆっくりと話しだした。
「はだかでいるより、もっとこまることというと、どんなことだい?」
ケンプ博士は、つかれてしまっていたので、気のりのしない調子できいた。
「おそらく、きみには想像もつかないことだろう。
透明でいるために服をきないでいると、食べ物を口に入れることができないんだ。
なぜって、考えてみたまえ……ぼくがはだかのままでパンをたべるとするね。
パンはぼくの口にはいったときから、のどをとおり、胃にとどき消化してしまうまで、人の目にさらされてしまうのだ。
体の中にはいった食べ物がそのまま空中に浮いてみえるなんて、考えただけでもぞっとすることだろう。
ぼくはそんなことになるのはいやだ。
が、そうすれば、ぼくはいくら腹がすいていても、パンひとかけ口にすることができなくなるんだ」
「なるほど、そこまではぼくも考えつかなかったよ。
そうすると、透明になるのも考えものだね」
「もちろん、こまることもあればいいこともある。
けれども新しい生活にふみだしたいじょうは、いやでもやりぬくほかはないんだ。
いまとなっては身をよせる家もなければ、たよりにする人もない。
働いて金をもうけ、その金で楽しくくらすなどということは、夢にも思えない身の上になってしまったんだ」
透明人間の声は、しみじみとさびしそうだった。
ケンプ博士も、さすがにかれの変わった境遇に同情して、
「それできみは、それからどうしたんだい?」
「どうするといって、ぼくは道のまん中につっ立ったまま、どうしていいかわからなくなってしまったんだよ。
雪ははげしく降りだし、寒さと空腹はたまらなくぼくをせめたてるんだ。
ぼくはただ雪の中からのがれて、屋根の下でゆっくりとやすんで、腹いっぱい食べたいと、そればかり考えていたよ」
「そうだろうね。
で、それから……」
「そのうえ、これこそ思いもかけなかったことだが、雪の中にじっとしていると、体に雪がつもって、たちまち、ぼくの体のりんかくがぼーっと浮かびあがってくるんだ。
これにはまったくへいこうしたね。
ぼくは身をきるような北風が、雪といっしょに吹きつけてくる道を、あてどもなくさまよいつづけたんだ」
「なぜどこかの家の物おきへでも、もぐりこんで、雪の中を歩きまわることからだけでもまぬがれなかったんだ。
食べ物にありつくことはできなくても、寒さだけはいくらかしのぎやすいのではないか?」
「ぼくだって、それは考えたんだ。
ところがロンドンじゅうの家という家は一軒のこらずドアをしめ、鍵をかけているので、いくらぼくが透明人間でも、もぐりこむすきさえなかったんだ。
だがぼくはそのとき、ふいにすばらしいことを考えついたんだよ」
透明人間は、そのときのことを思いだしたのか、いきいきとした声になって、
「デパートのなかにもぐりこめば、ぼくのほしい物はなんでも手にはいる。
それにデパートならはいるにもでるにも、なんの苦労もないし、どうして早くこのことに気がつかなかったかと思ったね。
ぼくはすぐ、ぞろぞろとひっきりなしに客が出入りしているデパートにもぐりこみ、閉店するのをまっていたんだ。
やがて店がしまって店員たちがでていってしまった。
店の品物はすっかり片づけられ、灯はけされて、あれほどにぎわっていたデパートも、しーんとなってしまった。
ぼくはうす暗くなった店の中をわがもの顔で歩きまわって、下着やくつ下などの売場から、ふかふかしてあたたかそうな下着やくつ下をとりだして身につけた」
「ほっとしたろう」
「きみの言うとおりだよ。
服装をすっかりととのえおわり、体があたたまってくると、こんどは地下室の食堂におりていって、そこに残っていた肉やパンやチーズを、いやというほどつめこんだんだ。
おまけにおいしい果物や菓子まで食べられるのだから、まるで天国のようだったよ。
体もあたたまり、腹ごしらえもできると、にわかに眠くなったんだ。
さっそくふとんの売場のふかふかした羽根ぶとんの山の上によこになり、めずらしくのびのびとした気分でねむりに落ちていったのだ」
「まるでおとぎ話にでもでてきそうな話じゃないか……」
「ここまではよかったんだ。
だが、朝になるとおもしろくないことがもちあがったんだ。
目がさめたときには、すっかり夜があけ、明るい太陽がさしこんでいて、出勤してきた店員の話し声や掃除をする音がきこえていた。
あわててしまったぼくは羽根ぶとんの山をすべりおりて、どこから逃げたらいいかと、あたりを見まわしたとたん、羽根ぶとんの山が音をたててくずれおちたんだ。「あっと思ったぼくは、思わず横っとびにかけだすと、目ざとい店員のひとりが、大声で、『あっ、首のない人間がいるぞ! あやしいやつだっ!』とさけんだんだ」
「そりゃあ、きみ、店員だって、さぞやびっくりしたろうさ」
ケンプ博士は、ものかげから走りだした首のない人間を見つけた店員たちのようすを思いえがきながら、デパートじゅうがひっくりかえる大さわぎになっただろうと考えていました。
「ここでつかまってはたいへんだと思ったので、死にものぐるいで逃げまわったんだ。
逃げるにつれて、きれいに飾ってあった花びんがぶつかりあってくずれ落ちたり、電気スタンドがころがったり、おもちゃの山がくずれたりした。
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