初級翻訳・野のはくちょう 第2話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

このむすめはあんまり心がよすぎて、罪がなさすぎて、とても魔法の力にはおよばなかったのです。
どこまでもいじのわるいお妃は、それをみると、こんどはエリーザのからだをくるみの汁でこすりました。
それはこの王女を土色によごすためでした。
そうして顔にいやなにおいのする油をぬって、うつくしい髪の毛も、もじゃもじゃにふりみださせました。
これでもう、あのかわいらしいエリーザのおもかげは、どこにもみられなくなりました。
ですから、おとうさまは王女をみると、すっかりおどろいてしまいました。
そうして、こんなものはむすめではないといいました。
もうたれも見分けるものはありません。知っているのは、裏庭にねている犬と、のきのつばめだけでしたが、これはなんにももののいえない、かわいそうな鳥けものどもでした。
そのとき、かわいそうなエリーザは、泣きながら、のこらずいなくなってしまったおにいさまたちのことをかんがえだしました。
みるもいたいたしいようすで、エリーザは、お城から、そっとぬけだしました。
野といわず、沢といわず、まる一日あるきつづけて、とうとう、大きな森にでました。
じぶんでもどこへ行くつもりなのかわかりません。
ただもうがっかりしてつかれきって、おにいさまたちのゆくえを知りたいとばかりおもっていました。
きっとおにいさまたちも、じぶんと同様に、どこかの世界にほうりだされてしまったのだろう、どうかしてゆくえをさがして、めぐり逢いたいものだとおもいました。
ほんのしばらくいるうちに、森のなかはもうとっぷり暮れて、夜になりました。
まるで道がわからなくなってしまったので、エリーザはやわらかな苔の上に横になって、晩のお祈をとなえながら、一本の木の株にあたまを寄せかけました。
あたりはしんとしずまりかえって、おだやかな空気につつまれていました。
草のなかにも草の上にも、なん百とないほたるが、みどり色の火ににた光をぴかぴかさせていました。
ちょいとかるく一本の枝に手をさわっても、この夜ひかる虫は、ながれ星のようにばらばらと落ちて来ました。
ひと晩じゅう、エリーザは、おにいさまたちのことを夢にみました。
みんなはまだむかしのとおりのこども同士で、金のせきばんの上にダイヤモンドの石筆で字をかいたり、王国の半分もねうちのあるりっぱな絵本をみたりしていました。
でも、せきばんの上にかいているものは、いつもの零や線ではありません。
みんながしてきた、りっぱな行いや、みんながみたりおぼえたりいろいろのことでした。
それから、絵本のなかのものは、なにもかも生きていて、小鳥たちは歌をうたうし、いろんな人が本からぬけてでて来て、エリーザやおにいさまたちと話をしました。
でもページをめくるとぬけだしたものは、すぐまたもとへとんでかえっていきますから、こんざつしてさわぐというようなことはありませんでした。
エリーザが目をさましたとき、お日さまは、もうとうに高い空にのぼっていました。でも高い木立が、あたまの上で枝をいっぱいひろげていましたから、それをみることができませんでした。
ただ光が金の紗のきれを織るように、上からちらちら落ちて来て、若いみどりの草のにおいがぷんとかおりました。
小鳥たちは肩のうえにすれすれにとまるようにしました。
水のしゃあしゃあながれる音もきこえました。
これはこのへんにたくさんの泉があって、みんな底にきれいな砂のみえているみずうみのなかへながれこんでいくのです。
みずうみはふかいやぶにかこまれていましたが、そのうち一箇所に、しかが大きなではいり口をこしらえました。
エリーザはそこからぬけて、みずうみのふちまでいきました。
みずうみはほんとうにあかるくきれいにすみきっていて、風がやぶや木の枝をふいてうごかさなければ、そこにうつる影は、まるで、みずうみの底にかいてある絵のようにみえました。
そこには一枚一枚の葉が、それはお日さまが上から照っているときでも、かげになっているときでも、おなじようにはっきりとうつって、すんでみえました。
エリーザは水に顔をうつしてみて、びっくりしました。
それは土色をしたみにくい顔でした。
でも水で手をぬらして、目やひたいをこすりますと、まっ白なはだがまたかがやきだしました。
そこで着物をぬいで、きれいな水のなかにはいっていきました。
もうこのむすめよりうつくしい王さまのむすめは、この世界にふたりとはありませんでした。
それから、また着物を着て、ながい髪の毛をもとのように編んでから、こんどはそこにふきだしている泉のところへいって、手のひらに水をうけてのみました。
それからまた、どこへいくというあてもなしに、森のなかをさらに奥ぶかく、さまよいあるきました。
エリーザはなつかしいおにいさまたちのことをかんがえました。
けっしておみすてにならない神さまのことをおもいました。
ほんとうに神さまは、そこへ野生のりんごの木をならせて、空腹をしながせてくださいました。
神さまはエリーザに、なかでもいっぱいなったりんごの実のおもみで、しなっている木をおみせになりました。
そこでエリーザはたっぷりおひるをすませて、りんごのしなった枝につっかい棒をかってやりました。
それからまた、森のいちばん暗い奥の奥にはいっていきました。
それはじつにしずかで、あるいて行くじぶんの足音もきこえるくらいでしたし、足の下で枯れッ葉のかさこそくずれる音もきこえました。
一羽の鳥の姿もみえませんでした。
ひとすじの日の光も暗い木立のなかからさしこんでは来ませんでした。
高い樹の幹が押しあってならんでいて、まえをみると、まるで垣根がいくえにも結ばれているような気がしました。
ああ、これこそうまれてまだ知らなかったさびしさでした。
すっかりくらい夜になりました。
もう一ぴきのほたるも草のなかに光ってはいませんでした。
わびしいおもいでエリーザは横になって眠りました。
すると、木木の枝があたまの上で分かれて、そのあいだから、やさしい神さまの目が、空のうえからみておいでになるようにおもいました。
そうして、そのおつむりのへんに、またはお腕のあいだから、かわいらしい天使がのぞいているようにおもわれました。
朝になっても、ほんとうに朝になったのか、夢をみているのか、わかりませんでした。
エリーザはふた足三足いきますと、むこうからひとりのおばあさんが、かごのなかに木いちごを入れてもってくるのにであいました。
おばあさんは木いちごをふたつ三つだしてくれました。
エリーザはおばあさんに、十一人の王子が馬にのって、森のなかを通っていかなかったかとたずねました。
「いいえ。」
と、おばあさんがこたえました。
「だが、きのう、あたしは十一羽のはくちょうが、めいめいあたまに金のかんむりをのせて、すぐそばの川でおよいでいるところをみましたよ。」
そこで、おばあさんはエリーザをつれて、すこしさきの坂になったところまで案内しました。
その坂の下にちいさな川がうねってながれていました。
その川のふちには、木立が長い葉のしげった枝と枝とをおたがいにさしかわしていました。

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