初級翻訳・銀の匙 第32話

中 勘助

竿の先でちょんちょんと叩いてみると、イガがぴょいぴょいと首を振って、いかにも美味しそうな手応えがします。
そこでこつんと一つ叩くと、バラバラと落ちてきます。
飛んでいって拾い集めます。そして三つに一つは、味見といって食べてしまいます。
イチゴ、柿。
ユスラウメやナツメはそれほどでもないのに、意地汚いので一つも枝に残しません。
カリンは、木ぶりには似合わない優しい花が咲き、その花には似合わないいかつい実がなります。
どさりどさりと落ちるばかりで、香りは良くても渋いですし、それに石みたいに硬くて歯も立ちません。

広い庭のあちこちにつくられた花壇や、たくさんある木々には、その時々で花が絶えることがありませんでした。
ユリ、ヒマワリ、キンセンカ、センニチコウ、ハゲイトウ、魚の卵に似たシュロの花など。
夏のはじめ、この庭の自然は最も私の心を楽しませてくれました。
春の暮れの霞にいきれるような、南風と北風が交互に吹いて寒暖や晴雨が定まらない落ち着かない季節が過ぎると、天地はまったく若々しくさえざえとした初夏の領地となります。
空は水のように澄み、日光はあふれ、涼風は吹き落ち、紫の影はそよぎ、あの陰鬱な槙(まき)の木までが、心からいつになく晴れやかに見えるのです。
アリはあちこちに塔を築き、羽虫は穴から出て我が物顔で飛び回り、可愛い蜘蛛の子は木の枝や軒の影で夕暮れの踊りをはじめます。
私たちは灯心で地虫を釣り、地蜂の穴を埋めてキンキン言う声に耳をすませ、蝉の抜け殻を探し、毛虫をつついて歩きます。
すべてのものはみな若く、楽しく、生き生きとしていて、憎むべきものはひとつもありません。

そんなときに私は、小暗い槙の木の陰に立って、静かに、静かに暮れていく遠くの山の色に見とれるのが好きでした。
青田が見え、森が見え、風が運んでくる水車の音と蛙の声が聞こえ、向こうの高台の木立の中からは鐘の音がこうこうと響いてきます。
二人は空に残る夕日の光を浴びて、たおやかに羽ばたいていくゴイサギの群れを見送りながら、夕焼け小焼けを歌います。
たまには白鷺も長い脚をのばして飛んでいきます。

十四

地上の花を温かい夢に包んで、とろとろと微笑ませる銀色の陽炎の中に、その夢の国の女王のごとく、花壇にはここかしこに牡丹が咲いています。白や、紅や、紫や。
これも夢のものか、いろいろな羽衣をまとった蝶々がひらひらときて花と戯れ、まだらの甲虫は花粉にまみれて、すっかり蜜に酔っています。
いつも硬く閉ざされて物音もしない離れの障子が開いて、脇息(わきそく)にもたれかかった老僧の姿が見えるのは、この頃です。
離れの前には、老僧が秘蔵している牡丹の古木があり、淡紅の一重の花びらに芳しい息をふくんで、ふくらかに花を開きます。
そこは狭い中庭を挟んで、母屋とは弓なりの橋ひとつでつながっており、日当たりのいい縁の下には秋海棠(シュウカイドウ)が自然に生えて茂り、向かって左の端には青桐、右の端にはハクウンボクが涼しい陰を作っていました。
七十七になる老僧はそこに閉じこもって、朝夕のお経のほかには物音ひとつ立てません。
私たちはただ、いつとはなしに隙間から漏れてくるお香の香りによって、そこに石のように静まり返った人がいることを知るばかりでした。
どうかすると老僧は、お茶がほしいときに、ヒグラシが鳴くような音のする鈴を鳴らすことがありました。
それでも聞きつける者がいなければ、鉢の子のように茶碗を手に受け、ことことと橋を渡って、自分で茶をいれていくのでした。また、ときどき仏事によばれて、頭巾を阿禰陀(あみだ)にかぶり、片手に数珠、片手に杖をついてとぼとぼと歩いていく姿を見ても、この見すぼらしいお坊さんが、何かのときには緋(ひ)の法衣をまとう高貴な人だとは、誰も思いもしませんでした。
本当にこの老僧は、人間の世界とは橋ひとつを隔てて、「世の中には夏になれば牡丹が咲く」ということのほかは何も知らないかのように、静まり返って修行に打ち込んでいます。
私はいつしか子供心に老僧を敬う気持ちが芽生え、どうにかしてこの人にすがりたいと思い始めました。
その頃には、もうすっかり寺の人たちと親しくなっていたので、貞ちゃんがいてもいなくても毎日のように遊びに行き、年寄りのように手を腰に回して庭を歩いたり、冷たい墓地を回ったりして、折々に人の身の上や自分の身の上を思っては、涙を浮かべることもありました。
……私は、鎖を引きずる囚人が自分の姿を恥じるような気持ちで、いつも俯いて足元を見つめながら、考え込んで歩くのが癖でした。

十五

ある日のこと、貞ちゃんが留守のときにひとりで遊んでいると、離れで例のヒグラシのような鈴の音が鳴りました。
しかし、あいにく茶の間には誰もいなかったので、私は思い切って離れへ行きました。
橋を渡ったところの薄暗い部屋には、衣桁(いこう)に輪袈裟や数珠が掛かっていて、お香の香りがすーんとしみこんできます。
私はそこまで行ったものの、急に気後れしてためらっていました。
耳の遠い老僧は、足音が聞こえなかったのか、またからからと鈴を鳴らしました。
私はようやく襖を開けて手をつきました。
老僧は何気なく大きな茶托を差し出しましたが、ふと顔を見て、
「おお、これはこれは」
と言いました。
私は瞼を震わせながらお辞儀をして茶托を受け取り、恥ずかしいような、嬉しいような、大願成就したような気持ちで茶の間へ行き、見覚えのとおりそこにある番茶を入れて持っていきました。
橋が朽ちてゆらゆら揺れるので、うっかりするとこぼれそうになります。
頭を下げてお茶を出すと、また、
「おお、これはこれは」
と言いました。
私は静かに襖を閉めて、橋を渡りました。
それからはときどき家の人のかわりにいくことがありましたが、私はいつも「どうにかして話をする機会を得たい」とそればかり願っていながら、前へ出ると何も言い出せず、黙って茶碗を受け取り、黙って茶碗を差し出して帰ってくるのでした。
老僧はフクロウか何かのようにお決まりの「おお、これは」を繰り返すばかりで、ちっとも言葉をかけてくれません。
黒塗りの茶托を手に受けて橋を渡るとき、南天の実を食べに来たヒヨドリが慌ただしく飛び立って、お茶をこぼさせたこともありました。
月の夜などに、白い花がほろほろと橋の上に散っていたこともありました。
そんなふうにして橋を渡っていくことはたびたびでしたが、この枯れ木のような隠者には、とりつくしまもありません。
ところが、あるときまたからからと鈴が鳴り、いつもの通り茶碗を置いて帰ろうとしたら、意外にも後ろから呼び止められて、
「絵をかいてあげよう。紙を買っておいで」
と言いました。
私は狐につままれたような気持ちで唐紙を買ってきて、老僧の前へ出しました。
老僧は根が生えたように座っている脇息(わきそく)のそばから立ち上がり、日当たりのいい隣の間へ私を連れていきました。
部屋はすっかり渋色に燻(いぶ)っていて、「椿寿(ちんじゅ)」と書いた小さい額が掛かっています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました