初級翻訳・魔法博士 第6話

江戸川 乱歩

おとうさんは、今から十何年まえに、会社のロンドン支店長をやっていたが、ちょうどそのころ、ロンドンのこっとう屋に、グーテンベルクの聖書のバラバラになったページが、十四枚そろったのが出た。
そのときも、世界じゅうから買いてがやってきて、大さわぎになったが、おとうさんは昔から古い本を集めるのが好きだったから、会社からお金をかりて、思いきったねだんをつけて、とうとうその十四枚を手に入れたんだよ。
そのころの三十万円だった。
いまの日本のお金にすれば、一億円いじょうだよ。」
「へえ、たった十四枚の本の切れっぱしが、一億円なの?」
 不二夫君はびっくりしてしまいました。
「グーテンベルクの聖書は、世界でいちばん高い本だよ。
もし、ちゃんとうろった一冊の本が出れば、十億円もするかもしれない。
そういう、そろった本は、どこの国の博物館にあるとか、持ち主がわかっていて、なかなか売りものには出ないのだがね。
おとうさんの十四枚の聖書も、日本では知っている人がすくないけれども、世界じゅうの学者や、本のすきな人たちには、よく知られているのだよ。」
 不二夫君は、そんな宝物がうちの蔵の中にあるのかとおもうと、なんだか胸がドキドキしてきました。
「金色の怪人は、それを知っていたのです。
だから、盗みだしにくるのですよ。
おとうさん、どうしましょう。
はやくふせがなければ……。」
 不二夫君はもう気が気ではありません。
しかし、おとうさんはおちつきはらっています。
「そんな金色の人間なんているはずがない。
おまえはまぼろしでも見たんじゃないか。
ちょっと来てごらん。
熱があるんじゃないのかね。」
 そういって、不二夫君を引きよせ、ひたいに手をあててみるのでした。「別に熱があるわけでもないね。しかし、おとうさんにはどうしても信じられないよ。もしその金色のやつが本当に泥棒だとして、グーテンベルクの聖書なんかの古文書を盗み出したところで、何の意味もないんだ。いくら価値が高くても、そんなもの売りに出せるわけがないからね。日本ではおとうさんのほかに誰も持っていないんだから、売ろうとすれば、うちから盗み出したことがすぐにバレてしまう。そんな売りものにならないものを盗んだって、しかたがないじゃないか」
「でも、おとうさん!あいつは売らないで、自分でこっそり持っているつもりかもしれませんよ。世の中には、めずらしい宝物を集めて楽しんでいる変わった泥棒だだだっているんですからね」
 不二夫君は、やっぱり天下の少年探偵団員のひとりです。だから、世の中にはフランスの怪盗ルパンみたいに、美術品ばかりをコレクションするような泥棒もいることを、ちゃんと知っていたのです。
「ふむ、そういう泥棒ももしかしたらいるかもしれないね。しかし、いくら宝物を集めても、人に自慢して見せびらかすことができないんじゃ、面白くもなんともないじゃないか。日本にそんな変な泥棒がいるはずはないよ。やっぱりおまえは、目の錯覚か何かで幻を見たんだよ。なにか怖い本でも続けて読んだんじゃないのかね?」
 おとうさんは、どうしても本気にしてくれません。不二夫君はすっかり困ってしまいました。
 ずっと前に、あの恐ろしい「黄金仮面」というふしぎな怪盗が、この東京の街にあらわれたではありませんか。からだじゅうが金色の怪人だって、どうしてこの世に現れないと決めつけることができるでしょう。
 不二夫君が見たのは、決して幻などではありません。たしかに本物の黄金の怪人を見たのです。そして、あのぞっとするような不気味な声を聞いたのです。
 あいつは、自分のからだをだんだん小さくするという、とてつもないふしぎな術を使えるのです。だから、小人のようになって、あの頑丈な蔵の中にこっそり忍び込むのも、わけないことに違いありません。
「ああ、どうしたらいいんだろう……。なんとかして、おとうさんにこの危機を本気で信じさせることができないものか!」
(奇々怪々……!)

 ところが、それからちょうど二日目の朝になると、さすがのおとうさんも、もはや不二夫君の話を信じないではいられなくなるような、とんでもない事件が起こったのです。
 なんと、その黄金の怪人から直接、家に電話がかかってきたのです。
 おとうさんが電話口に呼び出されて受話器をとると、あの歯車がぎしぎしと鳴るような不気味な声で、不二夫君に言ったのと同じ言葉をそのままくり返したのです。
「きみはいいったい誰だ?あんな貴重なものを盗んでどうしようというんだ。そんなものを売ろうとすれば、すぐ警察につかまってしまうぞ!」
『ウフフフ……、おれは別に大金がほしいわけじゃない。グーテンベルクの聖書、そのものズバリがほしいのさ。かならずもらいに行くからな』
 やっぱり、不二夫君が想像していたとおりでした。
「あれは鉄筋コンクリートの金庫の中にしまってあるんだ。わしのほかには誰にも開けられない金庫なのだぞ。どんなに優れた魔法でも使わなければ、あんなもの盗み出せるもんじゃない!」
『ところが、おれはその魔法を使ってみせるのさ。ウフフフ……、まあ、せいぜいしっかりと用心するこったな』
 そう言い残すと、電話はプッツリと切れてしまいました。
 これで、不二夫君が見たものは決して幻などではなく、まぎれもない本物だったことがはっきりとわかりました。おとうさんも、さすがに少し気味が悪くなってきたので、すぐさま警察に正式にとりつぐことにしたのです。
 すると、すぐに三人の警察官がやってきて、蔵の内と外をしっかりと見張ってくれることになりました。
 不二夫君は不二夫君で、さっそくこの大事件を電話で少年探偵団の小林団長にしらせました。すると、その日の午後には、小林少年がほかの団員たち四人を連れて、急いでかけつけてくれたのです。
 ところが、驚いたことに、その四人のなかに、あの井上少年と野呂少年までがちゃっかりまじっているではありませんか!
 いったいこれはどういうことでしょう。
 井上くんと野呂くんの二人は、あやしい西洋館に閉じ込められているはずでした。では、もうあの恐ろしい西洋館から無事に抜け出してきたのでしょうか?
 しかし、もしそうなら、あそこで体験したとてつもない冒険の数々を、まず小林団長に詳しく話すはずです。
 ところが、二人の少年はなにも言いません。まるで何事もなかったかのように、ケロリとした顔をしています。
 なんだか、すごくおかしいではありませんか。いったい、これにはどんな裏があるというのでしょうか?

 怪人は「三日のうちにてもらいにいく」と言っていたのですから、今日にもやってくるかもしれません。そうなると、やっぱり一番あぶないのは夜の時間帯です。
 そこでみんなは、夕がたになってからそれぞれの持ち場をしっかりときめて、金庫の番をすることに決めました。
 小林団長と四人の少年たち、そして不二夫君の全員が蔵の中に入り込み、それぞれの部屋の隅っこに身を隠して、宝物の金庫を命がけで守ることになりました。
 不二夫君のおとうさんである山下さんも蔵の中に入り、分厚い鉄の扉をピタリと閉めると、その入り口のところにイスを置いて、陣取ってがんばっています。

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