鏃師卜斎に姿を変えて、夜が明けないうちに竹生島を出るとしよう」
卜斎は陣羽織を脱ぎ捨てると、手早く籠手の具足を外し、脛当ての鎖を脚絆(きゃはん)に変えて、旅の鏃師らしい姿に早変わりしました。そして蛾次郎に、
「菊村宮内どのへ、ちょっと暇乞いをしてくるから、おまえもその間に支度をしてここで待っているんだぞ」
と言い残して立ち上がろうとした、その時でした。
なんだろう? 周囲の闇――樹木や笹、灯籠の影に、チカチカと動く数多の閃光。
槍だ――槍の穂先だ。
いつの間にか、卜斎と蛾次郎のまわりには、十数本の抜身の槍先が、音もなく、ただ光だけをギラギラさせて、ススキのように立ち並んでいました。
「さては、秀吉の陣からもう追手が回ってきたな」
卜斎は早くも覚悟を決め、飾りを外した陣刀を脇差にぶち込むと、リュウッという音を立てて抜き放ち、その槍の壁の一角へ向かって、自ら血路を切り開こうと駆け出しました。「親方――ッ!」
蛾次郎は悲鳴を上げました。その瞬間、突っ込んできた槍の柄でいきなり向こうずねを強く打たれ、「ワッ!」と叫んでひっくり返ってしまいました。
あとはもう、蛾次郎自身も何が何だか分からない夢中だったに違いありません。
とにかく、一人や二人ではなく十数人――あるいは二、三十人はいたであろう甲冑姿の武士たちが、何も知らずにいたところへ突然、無言のままズラリと槍の穂先を揃えて現れたのですから、肝が冷えて体から飛び出しそうなほど驚いたのです。
一度倒れた蛾次郎でしたが、本能的に跳ね起きると、すぐそばの大木へ無我夢中でよじ登りました。
猿のように梢へ登る途中でも、秀吉方の武士に槍の柄でピシリと叩かれましたが、それさえも必死すぎて、痛いとも何とも感じませんでした。
幸い、その大木の枝先が弁天堂の屋根に覆いかぶさっていたため、彼はヒラリと身を躍らせて屋根へ飛び移り、影のように素早く移動して、ようやく竹生島の磯辺へと駆け下りることができました。
すると、急な坂道のほうからは、血路を切り開いた卜斎が血のついた刀をひっさげて、同じ磯辺を目指して走ってきました。二人は前後しながら、岩から岩へと飛び移り、やがて見つけた一艘の小舟に飛び乗ると、櫓を漕いで、墨のように黒い志賀の浦の波を切り、どこへともなく逃げ延びていったのです。
その少し前、危うく卜斎の刃を逃れてお堂の裏に身を隠していた鞍馬の竹童は、しばらく様子をうかがいながら、そっと外の様子を見に出ました。
見ると、弁天堂の前で大勢の武士を従えて篝火を焚かせているのは、あの賤ヶ岳で勇名を馳せた加藤虎之助の家臣、井上大九郎であることが分かりました。
思いがけない場所で大九郎に出会った竹童は、彼とのやり取りの中で、その後の伊那丸の消息を詳しく知ることができました。
武田伊那丸と二人の従臣は、大九郎が桑名の陣を引き払うのと同時に、秀吉の陣から離れて小太郎山の砦へ戻るべく、徳川家の領地という危険なルートへ進んでいったという話でした。
――それを聞くと、竹童はすぐに後を追って三人に合流し、ひとまず小太郎山の砦へ戻ろうと決心しました。
その後で、琵琶湖に落ちたまま行方が分からなくなった愛馬クロを探す方法を考え、また、一党の仲間たちにも久しぶりに会いたいと願いました。
あの温厚で知略に富んだ小幡民部、優しくて凛々しい咲耶子、絶倫の槍術家であり弓の名人でもある蔦之助や巽小文治たちにも、ずいぶん長い間会っていません。
彼らは皆、自分を心の底から可愛がってくれる、家族のような優しさと温かさを持っています。
「あの人たちに久しぶりに会おう。小太郎山は、乱世にあっても揺るがず、乱れることのない、義の絆で結ばれた兄弟たちの家だ。その家へ帰ろう」
そう思うといてもたってもいられず、竹童は神官の菊村宮内にこれまで受けた親切の礼を述べ、井上大九郎の舟に乗せてもらって、ほのぼのと夜が明けていく竹生島に別れを告げました。
もとより苦労慣れしている竹童にとって、野宿や木の下で眠ることは少しも苦ではありません。また、鞍馬の谷で鍛え上げた足には、近江街道の宿場や東海道の山道なども大した距離ではなく、普通の旅人よりも数日早く距離を稼ぎ、間もなく家康の領地である遠江の国へと近づいてきました。
しかし、そこまで来て竹童はハタと困惑しました。いたるところの国境に徳川家の関所が置かれ、往来が厳しく取り締まられていて、怪しい者は通さないという噂だったからです。
やむを得ず街道を大きく外れ、人も通らぬ山や川を越えて、ようやく遠江の国へ入りましたが、これほど厳重であれば、先に桑名を立った伊那丸たちも、やすやすと無事にここを通れたとは思えません。
きっと、何らかの危険に遭遇しているに違いないのです。
「ああ、誰かにご安否を尋ねてみたいけれど、見知らぬ人にそんなことを聞けば、自分から疑いを招くようなものだし……」
そう思いながら、鞍馬の竹童は、野の端に沈みゆく夕陽を浴びて、見渡す限り広がる茫漠とした野原の夕暮れをトボトボと歩いていました。
ここがどこの野辺なのかは分かりませんが、今渡ってきた川の瀬には「都田川」と書かれた杭が立っていました。
さらに遥か先の野の果てには、霞のように白く河原が見えます。
あとは、西を仰いでも北を見ても、うっすらとした山並みが黙り込んでいるだけです。
風一つない晩春の夕暮れ――。ありやなしやの霞を透かして、夕陽の光が金色に輝いています。
一面の草にも、霞にも、そして竹童の肩にも。
するとやがて、輝くような夕霞の中から、たくさんの青竹と杉丸太を積んだ車が、ガラガラと音を立てて竹童のそばを通り過ぎていきました。その後ろから、八、九人の足軽と十数人の人夫たちが、斧や鉞(まさかり)、木槌などを担ぎながら、何やらザワザワと話し合って歩いていきます。
すれ違いざま、竹童は何気なく振り返りました。すると、最後尾についていた足軽が、一本の立て札を担いでいるのが目に入りました。
新品のその高札の片面には、墨でハッキリと文字が書かれていましたが、その中に「武田」という文字が見えたような気がして、竹童はハッと胸を躍らせました。
「あ、もし」
そう呼び止めておいて、できるだけ冷静を装いながら、
「浜松の城下町へ行くには、この道をまっすぐに行けばいいんでしょうか……」
と道に迷ったフリをして、その間に足軽が肩にかけている高札の文字を読み取ろうとしましたが、意地悪なことに文字の面が裏を向いていて、よく読むことができませんでした。
「うむ、城下町へは一本道だが、まだずいぶんと距離があるぜ」
「じゃあ、日が暮れてしまいそうですね」
「急いで行きな。物騒だからよ」
原っぱをさまよう子供だと見て取ったのか、その足軽は、先へ青竹を積んでいった車や仲間たちから少し遅れながらも、親切に十字路の方角や道のりを教えてくれました。
「どうもありがとうございました」
竹童は道しるべのお礼を言いながら、肩に担いでいる高札の内容を何とか聞き出せないものかと悩みましたが、いきなり尋ねては怪しまれると思い、わざと知らぬフリをして、
「これで道はよく分かりました。
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