初級翻訳・神州天馬侠 第129話

吉川 英治

渋面を作った呂宋兵衛と、苦りきった菊池半助が、手足をもがれた味方や死骸の中に立ち尽くし、ぼんやりと朝の光を眺めていました。
敵はどうした! 敵はどこへ行った!
太陽が高く昇りましたが、その行方はついにつかめませんでした。家康の不機嫌な顔が思いやられます。
「どうするんだ、この報告は?」
「どうするったって、ありのままに申し上げて、お詫びを願うよりほかにない」
「計略はうまく当たったんだが……」
「まさかあんな助太刀が後ろを突いてこようとは思わなかったからな」
二人は気を腐らせて、疲れた体をぐったりと草の上に投げ出しました。その顔に、ブーンと虻がまとわりつきます。
「ちッ……」と半助は舌打ちをしました。

そのころ武田伊那丸は、ゆらゆらと馬に揺られて、大井川の上流、地蔵峠にかかっていました。五人の屈強な者たちが、その前後につき従っています。
この裏道を通るのにも、途中一、二箇所の山関がありましたが、小人数の関守や徳川家の名もない小役人などは、この一行の前では鎧袖一触(がいしゅういっしょく)の価値すらもありません。
山道の険しさはあるものの、道は平坦で、まるで誰もいない場所を進むかのようでした。武田一党の前には、洋々と広がる明るい未来が待っているように感じられます。
見よ! もう大根沢の渓谷の隙間から、にっこりと微笑むような富士の姿が、伊那丸の無事を迎えているではありませんか。
峠の頂から振り返ると、もう三方ヶ原は遠くかすんで、昨夜の出来事も夢のようです。青い駿河の海岸線の一端には、家康の居城が、松の葉で包んだ菓子のように小さく見えました。
「さだめし今ごろは、あの難しい顔をいっそう難しくしているだろう」
そう想像すると、みんなの顔に隠しきれない微笑みが浮かびました。今日ばかりは、何とも晴れ晴れとした旅心地でした。伊那丸も民部も、そして龍太郎やほかの者たちも。
そう思いながら進む道の先、峠の間道から、のんきな歌声が聞こえてきました。
崖の下を覗いてみると、裾野で見覚えのある鼻かけ卜斎と、歌を歌いながら大きな口を天に向けて開けている、お供の蛾次郎の姿があったのです。「おや」
と、向こうで誰かが気づき、すぐ脇道へ影を隠してしまったので、一行の者たちもあえて追うことはせず、そのまま先を急いで進みました。
そしてようやく、駿河と遠江の境にある山道を踏破しました。
もともと旅人もあまり通らない道のため、距離はなかなか進みません。
「服織(はとり)」という二、三十戸ほどの山村にたどり着くと、みな素朴な山家の人々らしいので、その中の一軒へ伊勢の郷士と偽って宿を借りました。
案内された家は、その村の長の邸宅のようです。
土地に根付いた古い家らしい土塀や樹木が、母屋を深く包み込んでいました。
渓流へ行って体を洗い、宿の主人に導かれて奥の一室へ落ち着くと、床の間には一幅の掛け軸がかかっていました。
それは部屋に入った途端、誰の目にもすぐ飛び込んできました。
伊那丸はサッと顔色を変えて、
「亭主」と案内してきた村長を見下ろしました。
「はい、なにかお気に召しませんでしたか?」
「この石摺りの軸は、どうしてそちが手に入れたのだ」
「ああ、それは石摺りと申しますか。実を申しますと、わたしにもよく読めず変なものだと思っておりましたが、このあいだ村へ迷い込んできた妙な老人が、宿を借りた礼にと自分でかけていったものですから、そのまま放っておいたのでございます」
「忍剣、龍太郎。これを見ろ!」
と伊那丸はさらに床の間に近づいて指さしました。
それまでは他の者も、何か得体の知れない、ただ岩の肌に墨をつけて写し取った碑文か何かだろうと思っていました。
しかし、そう言われてよく見ると、真っ黒な背景と白い筋のあいだに、二行の文字が刷り出されています。
「あッ!」龍太郎はぎょっとしました。
忍剣も不思議でたまらないといった面持ちでした。
『父子の邂逅はむなしく
小太郎山の砦はあやうし』

いつか、京都の舟岡山、雷神の滝の岩頭に、果心居士が彫り残していった二行の予言!
それが岩のしわ目と文字の痕をほの白く、そっくりそのまま石摺りに写ってここにあるではありませんか。
勝頼と伊那丸のことを未然に暗示していた一行目の文字は、今思えばあたっていました。
戦慄すべきもう一行の予言! 小太郎山の砦が危ういとはどういうことか? それは伊那丸にも民部にも、どうしても分かりませんでした。
村長の話を聞けば、数日前にこの家に泊まって飄々と去っていったという妙な老人こそ、どうやら果心居士であるような気がしてなりませんでした。

四

躑躅ヶ崎(つつじがさき)の館というのは、甲府の町に南面した平城です。
平城というのは、天然の険しい地形によらず平地に築いた城塞のことで、防御といえば高さ一丈ほどの芝の土手と、清らかな水を浅く流した堀があるだけでした。
土手は南北百六間、三つの郭に分かれ、八つの門の石築きに出入りを守られています。
青銅瓦のご殿の屋根、樹林から透けて見える高楼作りの朱色の勾欄(こうらん)、芝の土手にのびのびと枝ぶりを舞わせている松の姿など、城というよりは、まことに「館」と呼ぶほうがふさわしい場所です。
「甲斐の土は一歩も敵に踏ませぬ」
終生この言葉を貫いた信玄には、物々しい要害は無用でした。
けれど、勝頼が敗れたのちは、その躑躅ヶ崎の館も織田の代官の居邸となり、さらにそののち、火事場泥棒のように甲府へ兵を出してかすめ取った小田原の北条氏直が持ち主となりました。
氏直が甲府を手に入れたと知ると、家康は眉をひそめました。
「もし小太郎山と甲府とが結びついたら? どうなるだろう?」
想像するだけでも恐ろしいことだと思いました。
そこで彼は、一流の反間苦肉の策を施し、奇兵を出して躑躅ヶ崎の館を奪い返したのです。
それは、伊那丸が京都へ行っているあいだの出来事でした。
大久保石見守長安は、家康の腹心で、能役者の子から金座奉行にまで立身した男であり、非常に才知にたけ、算盤(そろばん)にも達しています。
家康はその石見守を甲府の代官としました。
そして甲州には昔からの金坑があるため、できる限りの金塊を浜松へ送れと命じたのです。
もとより強欲な石見守は、私腹を肥やすためと家康の機嫌を取るために、金坑掘夫を雇って八方へ鉱脈を探らせる一方、甲斐の百姓や町人から容赦なく苛税を絞り上げ、自分は躑躅ヶ崎の館で、昔の信虎の時代も及ばぬほどの贅沢を極めていました。

「畜生ッ、暴れるか! 手向かいをすると耳を削ぐぞ! 脛(すね)をぶっぱらうぞ! 歩けッ、歩けッ、貴様、歩かんか!」
腕まくりをした若侍が八、九人。
いま、躑躅ヶ崎の石門の中へ、ひとりの百姓を縛り上げて引きずり込んできました。
「お父さんを助けてくださいませ! お父さん、謝ってください、お武家様、どうか勘弁してあげてくださいませ!」
十五、六の女の子が、その百姓の娘らしく、人目もはばからずに泣きながら若侍の腕にすがりました。
「ええい、貴様も片割れか!」
若侍は大きな掌で娘の頬をなぐりつけました。
娘はワーッと声を上げて泣き崩れます。
百姓は気狂いのように猛り狂いました。

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