徳川家へまいれば伊賀衆の組頭として、いくらでも取り立ててやるから、一緒にくるがいい」
「あ、ありがとう!」「おれもこんなやかましい親方にくっついているのは、いやでいやでたまらないんだ」
「む、卜斎に気取られぬうち、そっと馬小屋から足のはやいのを一ぴきひっぱりだしてこい」
「いいとも、馬ぐらい盗みだすのは、ぞうさもないよ」
蛾次郎が闇のなかへ飛んでいくと、そのとたんに半助のあたまの上で、ドドドドスン! というすさまじい家鳴り震動が起きました。ふり仰いでみると、いまかれがのがれだした壁の穴から、もうもうたる土煙が噴きだしています。
「おれがここへ抜けだしているのに、卜斎めが釣り天井の綱を切ったんだろう。そんな壺におちるような者は、伊賀衆の中には一ぴきもいるもんか」
そうせせら笑っていると、ふいに、家のなかから轟然たる爆音とともに、火蓋を切った種子島のねらい撃ちが響きました。
「あッ、気がついたな。こいつはぶっそうだ」
バラバラとかけだしていくと、暗闇から牛をひきだしたという諺(ことわざ)どおり、蛾次郎がうろたえきっています。
「お侍さん、――お侍さんじゃないのかい」
「おれだ、おれだ。馬は? 馬はどこにいる?」
「ここだよ、馬を盗みだしてきたところだ」
「どこだ、アア、まっ暗。どこにいるのじゃ」
「ここだよ、ここだよ」
と蛾次郎が手をたたくと、その音をたよりにねらった鉄砲の弾が、またもつづけざまに二、三発、ズドンズドン! と火の縞を走らせました。
「わあッ、だめだ、あぶねえ!」
ふいに、蛾次郎が胆をつぶして腰を抜かしたらしい弱音を吐きました。
「えい、泣くなッ」
と叱りつけた菊池半助。いったい、この厄介者をなんに利用しようとするのか、むんずと横脇にひっかかえて馬の鞍壺(くらつぼ)にとびあがり、つるべうちの鉄砲を聞きながして、人無村(ひとなしむら)から闇の裾野へ、まっしぐらに逃げおちてしまいました。
いっぽう、蚕婆(かいこばば)の家の床下から、人穴城の間道をすすんでいった加賀見忍剣(かがみ にんけん)と巽小文治(たつみ こぶんじ)。瞳はいつか闇になれたものの、道は暗々として行く手もしれません。まるで冥府へかよう奈落の道をいくような気味わるさです。ポトリ、ポトリと襟もとに落ちてくる雫のつめたいこと。たえず冷々と面をかすめてくる陰森(いんしん)たる風。ものいえば、ガアンと間道中の悪魔がこぞって答えるように響きます。
――と、つねに沈着な巽小文治が、ふいに「あッ」とさけんで一歩とびのき、片手で顔をおさえてしまいました。
「どうした、小文治どの」
「なにか風のようなものに、さっと面をふかれたその痛さ。忍剣どのもかならずごゆだんなさるまいぞ」
「そんなバカなことがあろうか。あれは年へた蝙蝠(こうもり)のたぐいじゃ」
と入れかわって、忍剣がさきに立って二、三歩すすむと、かれも同じように奇怪ないたさに面を刺されて、たちまち片目を押さえてしまいました。そして、ふと衣の上に、霜のように立つものを手でさぐってみて、
「こりゃ! 針だッ」
と叫びました。
「えッ、針?」
その時、はじめてふたりとも身がまえ直して、じッとやみをすかして見ると、白髪をさかだてたひとりの老婆が蜘蛛のように岩肌に身を貼りつけて、プップップッとたえまなく、ふたりの面へ吹きつけてくる針の息……。おお、それこそ竹童がなやまされた蚕婆の秘術、吹針の目つぶしだったのです。
深夜の珍客
一
早足の燕作と可児才蔵は、蚕婆より一足先に抜け穴へはいったので、すぐあとにおこった異変もなにも知らず、ただひた走りに、地下三十三町の間道を人穴城へいそいでいきます。目というものがあっても、ここでは目がなんの役にも立たない暗黒界。けれど、足もとは坦々(たんたん)とたいらであるし、両側は岩壁で横道もありません。
――いくら盲めっぽうに進んでも、けっして迷う気づかいはないと、燕作はいつもの早足ぐせで、才蔵よりまえにタッタとかけていったが、やがてのこと、
「ホイ! しまった!」
目から火でもだしたような声で、勢いよく四ンばいにつんのめりました。あとからきた才蔵も、あやうくその上へ折りかさなるところを踏みとどまって、
「どうした燕作」と声をかけます。
「オオ、痛え! 才蔵さま、どうやらここは行止まりのようです」
「どんづまりにはちと早い、あわてずによくさぐってみい……おお、こりゃ石段ではないか」
「え、石段?」
「人穴城は、裾野より高地となるから、この間道がしぜんのぼりになるのは、はや近づいた証拠といえる」
才蔵がのぼっていく尾について、燕作も石段の数をふんでいきます……と道はふたたび平地の坂となり、それをあくまで進みきると、こんどこそほんとうのゆきづまり。手探りにも知れる鉄の扉が、ゆく手の先をふさいでいました。
「燕作、燕作。殿堂の間道門は、すなわちこれであろう。なんとかして、なかの者にあいずをするくふうはないか」
「とにかく、どなってみましょう」
と燕作は鉄門の前に立って、器量いっぱいな大声で叫びました。
「やアやア搦手がた(からめてがた)の兄弟、丹羽昌仙さまの密書をもって、安土城へ使いした早足の燕作が、ただいま立ちかえったのだ!」「門を開けろ! 門を開けるんだ!」
鉄の扉をバンバンと叩きながら大声で叫んだその瞬間、頭の上の高いのぞき窓からパッと明かりが差し込みました。見上げると、七、八人の手下たちが首を突き出して、がやがやと見下ろしています。
「おお、確かに燕作のようだが、後ろにいるもう一人は人穴城では見たこともないやつだ。軍師さまの厳しい命令だからな、そんな連中をここへ一寸たりとも通すわけにはいかん。門は開けられん!」
「おいおい、失礼なことを言うんじゃない!」
燕作はまぶしい光を見上げながら、こう言い返しました。
「鳥刺しの格好をしているが、このお方こそ秀吉公の側近、福島正則さまのご家臣で、名高い勇士・可児才蔵さまだぞ。疑うなら、さっさと軍師さまに伝えてこい!」
「なんだと? 福島正則さまのご家来だと?」
驚いた手下たちは、すぐさまそのことを丹羽昌仙(にわ しょうせん)に知らせに走りました。昌仙は燕作からの吉報を今か今かと待ちわびていたところだったので、すぐさま大将の呂宋兵衛(ろそんべえ)と共に、秀吉の使者を迎え入れるために門のそばまでやってきました。
しばらくすると、鉄の閂(かんぬき)を外す音がして、明かりと闇の境界線となっていた重い扉が、ギギギ……と少しずつ開き始めました。暗闇の中に立っていた才蔵と燕作の姿に、一筋の光が水のように流れ込みました。
「はるばるお越しくださった可児才蔵さま、さあ、中へお入りくだされ」
内側からの厳かな声と共に、門は大きく開かれました。
――すると、ほとんど同時です。
間道の向こうから、疾風のように走ってきた者がいました。すでに才蔵と燕作が中に入り、門が再び閉まろうとしていたその隙間に、あわただしく飛び込んできました。
「大変だ! 私を入れておくれ、早く後ろを閉めておくれよ!」
転ぶように倒れ込んできたのは蚕婆(かいこばば)でした。
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