竹童は自分より三歳か四歳上らしい蛾次郎を見上げて、へんなやつだと思いました。
「そのことじゃないよ。さっきおいらが悪いやつに危うく殺されそうになったところを、石を投げて助けてくれたから、その礼を言ったのさ」
「あんなことはお茶の子さいさいだ。こう見えてもおれは石投げ蛾次郎と言われるくらい、礫(つぶて)を打つのは名人なんだぜ」
と、ボロ鞘の刀をひねくり回して、竹童に見せびらかしました。
「蛾次郎さんの家はどこだい?」
「おれか? おれは裾野の折角村だ。だが今あの村には、桑畑の蚕婆と、おれの親方だけしか住んでいないから、人無村と言ったほうが本当だな」
「親方っていう人は、あの村で何をしているんだい?」
「知らねえのかお前は、おれの親方は、鼻かけ卜斎(ぼくさい)っていう有名な鏃(やじり)鍛冶だよ。おれの親方の鍛えた矢の根は、南蛮鉄でも射抜いてしまうってんで、ほうぼうの大名から何万という仕事が来ているんだ」「おれはそこの秘蔵弟子だ」
「偉いなあ――」竹童はわざと大げさに感心して、
「じゃ、蛾次郎さんのところには、松明(たいまつ)なんかくさるほどあるだろうな」
「あるとも。あんなものなら、薪にするほどあるぜ」
「おいらに二十本ばかり、そっとくれないか」
「やってもいいけれど、そのかわりおれになにをくれる?」
と蛾次郎はずるい目を光らせました。
竹童は困ってしまいました。お金もなければ、刀もない。なにも持っていません。持っているのは、いつもの棒切れ一本だけです。そこで、
「お礼には、鷲(わし)に乗せて遊ばせてやる。ね、鷲に乗って天を翔(か)けるんだぜ。こんなおもしろいことはない」
と言いました。
「ほんとうかい、おい!」蛾次郎は、目をぐるぐると回しました。
「うそなんか言うものか。松明さえ持ってきてくれれば乗せてやる。そのかわり、夜でなくっちゃいけない」
「おれも夜の方が都合がいい。そしておまえはどこで待っている?」
「白旗の宮の森で待ってる。間違いなく来るかい?」
「行くとも! じゃ今夜、松明を二十本持っていったら、きっと鷲に乗せてくれるだろうな。うそを言うと承知しないぜ、おい! おれは切れる刀を差しているんだからな」
と、またあけびの蔓(つる)を巻いた山刀を自慢しました。
二
木隠龍太郎のために河原へ投げ飛ばされた燕作は、気を失って倒れていましたが、ふと誰かに介抱されて正気に戻ると、鳥刺し姿の男が、
「どうだ、気がついたか」
とそばの岩に腰かけていました。
見れば、つい四、五日前に安土城で、自分の手から密書を渡した福島正則の家来、可児才蔵(かにさいぞう)ではありませんか。
燕作はあっけにとられて、
「あ、いつの間にこんなところへ」と、思わず目をみはりました。
「しっ、大きな声を出すな。実は、秀吉公の密命を受けて、武田伊那丸との戦の様子を見に来たのだ。ところで、さっそく丹羽昌仙(にわしょうせん)に会いたいが、おまえ、これより人穴城(ひとあなじょう)の中へ案内してくれ」
「とても難しいことでございます。敵は小人数ながら、小幡民部(おばたみんぶ)という軍配のきくやつがいて、蟻(あり)一匹逃がさぬほど厳重に見張っているところですから」
「どこの城にも、秘密の間道(かんどう)は必ず一箇所はあるはず。そちは、それを知らぬのであろう」
「さあ、間道といえば、ことによると蚕婆(かいこばば)が知っているかもしれません。あいつは呂宋兵衛(るそんひょうえ)の手先となって、それとなく外の様子を城内へ通じている、裾野の目付婆です。とにかくそこへ行って聞き出してみることにいたしましょう」
と燕作は、可児才蔵の案内役となって、人無村(ひとなしむら)の蚕婆の家まで戻ってきました。
「お婆さん、開けてくれないか、燕作だよ。燕作が帰ってきたんだから、ちょっと開けておくれ」
もう日は暮れています。閉ざされた門をホトホトと叩くと、中から婆さんがガラリと開け、灯影(ほかげ)に立った可児才蔵の姿をいぶかしそうに睨みつけました。
「誰だい燕作さん、この人は村ではいっこう見たことがない方じゃないか」
「このお方は、姿こそ変えておいでですが、福島正則さまのご家臣で可児才蔵というお人。昌仙さまの密書で、わざわざ安土城からおいでくださったのだ」
と説明すると、蚕婆はにわかに態度を変えて、これ以上ないほど丁寧にもてなしました。茶を煮たり、酒を出したりしてすすめたのです。
三
「それはようおいでなされました。さだめし、昌仙さまのお手紙で、多くの軍兵を秀吉さまから貸してくださることになるのでございましょうね」
「いや、とにかく軍師と会って相談をしてみたうえだ。ところがこれなる燕作の申すには、しょせん人穴城へは入れぬとのこと。せっかくここまで参りながら、呂宋兵衛殿にも軍師にも会わずに戻るとは残念千万」
「いえいえ。そういう大事なお使いなら、たった一つ人穴城へ抜ける秘しみちへご案内いたしましょう。これ燕作さん、おまえちょっと、裏表にあやしいやつがいないかどうか調べておくれ」
「がってんだ」と燕作が家の周りを見回してきて、
「誰もあやしいような者はいない。鳴いているのは鹿ぐらいなもの――」
と言うと、蚕婆は初めて安心して、自分の座っている下の蓆(むしろ)をぐるぐると巻きはじめました。
おや、と燕作がびっくりしている間に、さらに二畳敷ほどの床板をはね上げると、縁の下は四角い井戸のように掘り下げられていました。顔を出すと、冷たい風が吹き上げてきます。
「ここを降りると、あとは人穴城の地下洞門の中まで三十三町、一本道で行けますのじゃ。さあ、人目にかからないうちに、少しでも早くお越しなさい」
と蚕婆がせきたてると、才蔵は間道の口を覗いてから、ふいと顔を上げて、
「婆、杖にして飛び込むから、長押(なげし)にかかっているその錆槍(さびやり)を貸してくれい」
と指さしました。婆は彼が言うとおり、石突きを頼りに下へ降りるのだろうと思い、何の気なしにそれを取って渡しました。「かたじけない」と受け取った才蔵は、ポンと槍の石突きを下へ降ろすかと見せかけて、なんと電光石火の早業で、
「やッ――」
と一声あげ、錆びた槍の穂先で、いきなり真上の天井板を力いっぱい突き上げたのです。
とたんに、屋根裏を野獣が駆け回るような、すさまじい音がドタドタドタと激しく響き渡りました。
「やッ、なんだ――」
と蚕婆と燕作が飛び上がって驚いている間に、才蔵は素早く間道の中へと身を隠し、下から見上げるようにしてふふっと笑いました。
「おどろくことはない、天井裏に忍んでいたやつは、徳川家の菊池半助だ。これで隠密(おんみつ)を追い払う魔術(まじゅつ)が済んだから、もう安心だ。燕作、早く来い!」
「じゃあ婆さん、あとはたのむよ」
と燕作も続いて中へ姿を消しました。
その足音が地下へと遠ざかっていくのを聞きながら、蚕婆はすぐに元のとおり床板や畳を敷きつめ、壁にかかっていた獣捕りの投げ縄をつかむが早いか、いきなり表へ飛び出しました。
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