秀吉は、人の考えなどには頓着しない様子で、ますます打ち解けた風に床几を勧め、
「ところで、本日はどのような用件で?」
「はっ」
信濃守は、よそへ向けていた意識を呼び戻し、
「ほかのことではございませんが」
「うむ」
「詳しくは主人の書状に認めてございますが、まずは口上をもって一通りお願い申し上げまする」「それは……」
「うむ」
「余事ではございませんが、毎年、武田家の伝統行事として行われてまいりました、武州御岳における兵法大講会の試合の儀についてでございます」
「うむ、うむ」
「武田勝頼公はすでに亡び、甲斐の領土は今や主人・家康殿の治下となっております」
「いかにも」
「そこで、旧武田家の政治的な悪弊はこの際つとめて廃しますが、兵法を奨励する御岳大講会の行事だけは、なんとか残したいと考えております。昨秋も形ばかりは行いましたが、当時は諸国が騒がしい折から、まことに思わしい結果とはなりませんでした」
「大いに結構。ああいう尚武の気風は、ぜひ残しておきたいものだ」
「そこで本年は、甲府の代官・大久保長安にその総奉行を命じ、支度から何から、力を尽くして行いたいと考えております。つきましては、ぜひ当家からも、当日の大講会に何人かご参加いただきたく、わざわざお勧め、というよりお願いに参ったような次第でございます」
「なるほど」
秀吉は、拍子抜けするほど簡単にうなずいて、
「誰か遣わすことにしよう」
と言いました。しかし、すぐにまた考え直して、
「だが待てよ……御岳の大講会といえば、天下の評判事だ。秀吉の家来が負けても困るな」
「いや、けっしてそのようなことは……」
「当日、兵法試合のうち、軍学の大論議があることは有名だが、あれから甲州流の陣法が生まれたというほどだ。そのほか、武道の試合としては、どのようなものがあるのか?」
「あえて、種目は限りませぬ」
「うむ、そうか」
「たとえば、武道の表芸である弓術、剣法はもちろんのこと、火術、棒術、十手術、鎖鎌、鉄球、手裏剣といった飛び道具もよし。あるいは築城の縄張り比べや、伊賀・甲賀の忍法も試合に入れ、かの幻術と称する一派の技でも、自信のあるものは立ち合いを許すつもりでございます」
信濃守がそう説明していると、秀吉はパンッ、と手を打って、
「いや、なかなか面白そうだな」
と、話の先をさえぎりました。そして、
「本当は、この秀吉が若ければ、自分で行ってみたいところなのだが、まさかそうもいくまい。いや、お使者の口上は分かった。いずれ当日までに誰か選抜して武州へ遣わそう。家康殿によろしく伝えてくれ。さて、ひとつ外濠の作事を見回るとしようか」
陣羽織をきらめかせて立ち上がりました。信濃守も目礼して宿所へ帰りました。
ところがその翌日、秀吉は木の香の新しい本丸の一室へ、福島市松をひとりだけ呼び出し、
「いかんわい」
と、面白くない顔をしてつぶやきました。
「何が、いけないのでございますか?」
市松にはさっぱり分かりません。
秀吉はときどき、尾張の中村で村のガキ大将だった時代のような言葉遣いをすることがあります。もっともそれは、当時からの腕白仲間である鍛冶屋の虎之助や桶屋の市松など、差し向かいの時に限られていましたが。
今もその市松とふたりきりで向かい合っていたので、
「いかんぞ、いかんぞ、油断も隙もあったものではない。まだすっかり出来上がらぬうちに、この大坂城の縄張りの構造を、浜松の狸めが盗みおった」
と、スイカ畑へ泥棒が入ったかのように、口をひんまげて考え込みました。
ひとり探す子・ふたりの子
一
この摂津の要害に金城鉄壁を築かれたことは、家康にとって目の上のこぶであることは間違いありません。
しかし、その家康が、いつこの大坂城の縄張りを盗んだというのか、福島市松には主君の言っていることがさっぱり理解できず、変な顔をして聞いていました。
「分からないと申すか。やれやれ、鈍い頭よな」
と、秀吉は説明してやりました。
「武州御岳の兵法大講会について、わざわざ鄭重に使いをよこしたのは少し妙だと考えていたが、あれはな市松、やはり家康の策であった」
「ほう、では彼の策略で……」
「というほどの大事でもないが、まあ用達しのついでだな。転んでもただでは起きないのがあの男の性分だ。昨日の使者三名のうちに、ひとり隠密の達者を混ぜてよこしたのだ」
「伊賀者を使者の人数に混ぜてよこすとは非礼千万! どうしてそれがお分かりになったのですか」
「昨夜、作事門を乗り越えて、本丸、二の丸の様子をうかがっていた奴がいるからだ」「しかし、この相手にも隙がなかったので、城の図面を十分に写し取ることはできず、風のように逃げ去ってしまった。だからこそ、遠州の使いの者たちも宿を引き払い、今朝の早いうちに国へ帰ってしまったのだろう」
「はてな、さようでございますか」
「鈍いな、鈍い! これだけ詳しく話してやっても、まだピンとこないのか」
「ですが、あまりに不思議に思えますので」
「何が不思議なのだ」
「お上(秀吉)は昨夜の宴席で、ひどくお酔いになっておられました」
「うむ、確かにいい気分だった」
「拙者は次の宿直の部屋に控えておりましたが、お上のいびきは雷鳴のごとく、夜明けまでお目覚めになった様子もございませんでした。それなのに、どうしてそのような(隠密の潜入という)ことがお分かりになられたのでしょうか」
「うむ、一理あるな。では正直に申さねばなるまい。実は昨夜、その伊賀者が忍び込んだことを知ったのは、あの源次郎の働きによるものだ」
「源次郎と申しますと?」
「おっと、家臣の者ではないから、お前はまだ知らぬようだな。信州の上田城から人質として来ている、真田昌幸のせがれ、源次郎のことだ」
「それならば、噂には聞いております」
「で、今度の兵学大講会だが、その真田源次郎は、まだ二十歳にもならぬ若造とはいえ、父の昌幸や兄の信幸にも勝る兵学者だ。一つ、あれを遣わそうと思うがどうだ」
「よろしかろうと存じます」
「それに加えて、お前の家来の可児才蔵」
秀吉は順々に指を折って数えました。
「虎之助が可愛がっている井上大九郎。この三名を派遣することにする。日も押し迫っているゆえ、すぐに出立させるがよい」
豊臣家の代表として、御岳の兵法大講会に参加する命が下り、可児、井上、真田の三士が大坂を旅立ったのは、その翌々日のことでした。
山崎の合戦で敵の生首を笹に通して持ち歩くほどの働きを見せ、「笹の才蔵」と呼びならわされていた可児。
壮漢の木村又蔵と並んで、加藤清正の家の龍虎と言われている井上大九郎。
そして、それに付き添った真田源次郎というのは、ついこの間、信州から人質として大坂へ来たばかりの田舎者です。極めて無口で、年も他の二人より若く、長い道中もただ黙りこくって歩いていましたが、秀吉の鋭い眼光が見抜いていた通り、後年、太閤が阿弥陀ヶ峰の土と化したのち、孤立した大坂城を一人で背負って立ち、関東の老獪な将軍(家康)の肝をしばしば冷やした、稀代の大軍師・真田幸村とは、まさにこの源次郎その人だったのでした。
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