連帯責任として伊那丸たちが垢離堂に監禁されたのを見て、あれほど騒ぎ立てていた徳川家の侍たちも、いくぶん溜飲が下がったのか、死骸を片付け、血が流れた場所に砂を撒き、大講会のために建てられた屋舎を壊すと、夜明け前には一人残らず御岳の山から下りていきました。
不首尾に終わったものの、翌日、大久保長安は麓の町から甲府へ帰るための行列を整えました。
ところが、その途中のことです。
長安から何事か耳打ちをされた鼻かけ卜斎が、ある宿場で行列が休憩したとき、
「おい、ちょいとこっちへ来い」
と、蛾次郎を物陰へ手招きしました。
いつになく、とても優しく手招きされたので、蛾次郎はすぐに嬉しくなってしまいました。
「なんですか、親方」
「まあ、こっちへおいで」
「もっと歩くんですか?」
「ウム、殿さまの駕籠が休憩している間に、何か食べたいものでも食わせてやろうと思ってさ」
「へ、へ、へ、へ、すみませんね、親方」
「何がいいんだ?」
「どんな美味いものがあるか、ずっとこの宿場を見て歩きましょうか」
「そんなに手間を取っちゃいられないよ。俺は、石見守さまの駕籠が出発したら、一緒に甲府の躑躅ヶ崎(つつじがさき)へ帰らなきゃならないんだ」
「じゃあ、あそこにしましょう。あそこの家の……」
蛾次郎が指さした先には、餅や団子や強飯(こわめし)が並んでいました。
そこへ入って、奥の低い板の間に腰を下ろしました。
「いくらでも食いな。腹の虫が納得するまでな」
言うまでもなく、蛾次郎もそのつもりでパクついています。
六
頃合いを見計らって、卜斎が、
「ところでな、蛾次公」
と、声をひそめました。
蛾次郎は頬張っていたあんころ餅をゴクリと飲み込んで、
「へ?」
と、何か他にも用事があるのかというような顔をしました。
「おまえはたしか、石投げの名人だったな。他のことにかけてはドジでも、つぶてを打たせたらすばらしく上手だった」
「親方あ――」
蛾次郎は卜斎の顔を指さして笑いながら、
「いまさら何を言ってるんです。裾野にいた時、釜無川の下で毎日おいらが捕ってきて親方に食べさせた、あの鮠(はや)だの岩魚だのは、みんな石でピューッとやって捕ったんですよ。ねえ親方、河原の小石をこう持って、指の間に挟んでね、魚が白い腹をチラリと見せたところを狙って、スポーンと食らわしてやるんです。どんな速い魚だって蛾次さんの石から逃げられたことはありませんよ。今度親方にもその秘伝を教えてあげましょうか。ところがどうして、その石の持ち方がなかなか難しいんでね。だから誰かが言いましたよ、蛾次は石投げの天才だってね」
「もういい、もういい」
卜斎は手を振って、
「わかったよ、わかったよ。まったくおまえは石投げの天才だ」
「はい、天才だそうでございます」
「だからたぶん、飛道具を持たせたらきっと巧者だろうと思うんだが……」
「何をやらせたって、下手なものはありませんよ。ところで親方、塩っ辛いほうのお団子を、もう一皿もらってもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。たくさんお食べ。……じゃあおまえ、こういうものを使えるかい?」
「へ、何をですか?」
「これさ……」
卜斎が羽織の裏から種子島の短銃を出しました。
「親方、鉄砲でしょう、それは」
「うむ、スペイン伝来の短筒だ。どうだ、欲しくないか?」
「だって、くれやしないでしょう」
「おまえにやらないこともないさ。まだこのほかに、殿さまから下賜されるものもたくさんある」
「わたしにですか?」
蛾次郎は目をパチパチさせて、急に膝を揃えて改まりました。
「おまえもはや十六歳。たしかそうだろう。もうあと二、三年で元服をして、一人前の鍛冶、あるいは一人前の侍としてやっていく覚悟を持たなくてはいけない」「それには、何かいい機会をつかまえて、その機を逃さず手柄をあらわすことが肝心なんだ」
「はい、あらわします」
「それも、うわの空ではだめだ。狙ったことに向かったら、命を捨ててかかる気迫がなければだめだよ」
「だって親方、やる仕事がないんだもの」
「あるさ。俺はおまえを見込んで、その大功をあらわす仕事を引き受けてきたんだ。おまえというものを、石見守さまに認めさせようと思ってな。どうだ、どうだ蛾次、奮発して一つやってみるか。だけど、イヤなら無理とは言わないよ。ほかに望み手はたくさんあるし、それに、この鉄砲でドンと一発やればそれでいい仕事なんだから……」
何を言い含められたのか、蛾次郎は卜斎から銀鋲(ぎんびょう)のスペイン短銃と一両ほどの金子をもらい、すっかり仕事をのみこんでしまった。
「いいか、今も言った通り、石見守さまのお言いつけなのだ。大久保家の侍衆では、もし見つかった時に具合が悪い。で、おまえなら、なあに、どこの小僧がいたずらをしたかですむ。それに、二十一日のあいだにやりさえすればいいんだから、立派に一つ打ち止めてこい。もし怠け癖を出してやり損じなどした時には、それこそ、この卜斎より石見守さまがその細首をつけてはおくまいぞ」
少しあとの文句がすごいな――と蛾次郎は思ったが、卜斎はそう言い残すと、彼を置き去りにしてそこを駆け出し、石見守の行列へついていった。
「なんだ、造作(ぞうさ)はねえや」
蛾次郎は短銃を懐へしまいこんだ。中で何かカチャリといったので探ってみると、肌身離さない秘蔵の水独楽(みずごま)だ。
「邪魔だな」
と、また短銃を出して、手ぬぐいにクルクルとくるんだ。そいつをボロ鞘(ざや)の刀と一緒に腰へ差し、大小を差したように気取りながら、
「オイ、亭主さん、おつりをくんな」
と、もらったばかりの銀銭を餅屋の台へ放り出した。そのつり銭を巾着に入れて外へ飛び出そうとすると、出合いがしらに「カアーン」という鉦(かね)の音が不意に鳴ったので、
「あ、びっくりした」
と横を見た。七、八軒先の横町から、地蔵行者の菊村宮内(きくむらくない)が、例の地蔵尊の笈摺(おいずる)を背負ってこちらへ向かってくるのが見える。
「こいつはいけねえや、竹生島(ちくぶじま)のおやじに会うと、また何か小やかましいお説教を聞かされるにちがいない」
こうつぶやいて、彼が横を向きながらぷいと向こうへそれようとすると、同じ宿場の軒を眺めていた坂東巡礼の三十七、八ぐらいな女――わが子を尋ねて坂東めぐりをして歩く、お時という女房が、
「あッ。あの子! あの子!」
と目を据えて寄ってきた。いつか月ノ宮の鳥居の下で見たこともあるが、蛾次郎はただの物貰いとしか思わないので、今の餅屋のお釣りのうちから鐚銭(びたぜん)を一枚投げて、
「ほれ、やるよ」
と、あとも見ずにあちらの小道へ、すたこらと駆け出してしまった。
七
いつのまにか、竹童(ちくどう)の姿が見えなくなった。伊那丸以下の人々は、あの騒動のあった晩から御岳の一舎に謹慎して、神前を汚した罪を謝すために代わる代わる垢離堂(こりどう)の前で水垢離(みずごり)をとった。それまでのあいだに、竹童の姿が洩れている。
「どこへ行ったろう? もしや、徳川家の者に捕らわれていったのではないか」
一同がひそかに心配していると、翌朝のこと、垢離堂の石井戸のそばに竹にはさんだ紙片が立っていた。
『マタ鷲ヲサガシニマイリマス。
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