この旅のあいだに感じた印象をもとにして書かれたのが『即興詩人』(1835年)であり、この作品によって初めて、彼の名は国の内外に広く認められるようになったのです。
『ただのバイオリン弾き』や、ここに訳した『絵のない絵本』、そして『スウェーデンにて』や『わが生涯の物語』など、彼の作品のほとんどは、この時期以後に書かれたものです。
童話についても同じで、『即興詩人』が出版されてから二、三カ月後に初めて第一集が出ました。それから彼が1875年8月4日に亡くなるまで、百五、六十にも及ぶ数多くの童話が書き上げられたのです。
『絵のない絵本』は、1839年から40年ごろにかけて、アンデルセンの創作意欲が最も高まっていた時期に書かれました。
初めて本として出版されたのは1839年12月20日で(表紙には1840年と記されています)、そのときはわずか二十夜分のお話が入った小さな本でした。
この二十夜のうち五編は、すでに1836年に文学雑誌『イリス(虹の女神)』の第二号で発表されていたものです。
たとえば同誌に載っている『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』という話は、第五夜の物語にあたります。
1840年にはさらにいくつかのお話が発表され、1844年の第二版でようやく三十一夜までがまとめられました。
第三十二夜と第三十三夜が初めて公にされたのは、1848年のことです。
ですから、現在のように三十三夜すべてが揃った一冊の本としてまとめられたのは、1854年に発行された第三版が初めてとなります。
初版から第三版が出るまでに多くの時間がかかっているのは、この本がデンマーク国内ではそれほど注目されていなかったからでしょう。
つまり、この本も『即興詩人』と同じように、本国よりもむしろドイツやイギリスなどで評判になったのです。
『絵のない絵本』は、このように小さな本でありながら、非常に多彩な内容を含んでいます。
その大部分がアンデルセン自身の体験や感じたことに基づいているのは、言うまでもありません。
たとえば、第五夜は1833年にパリに滞在していたときの体験から、第六夜は1837年のスウェーデン旅行の印象をもとにして書かれました。
第十五夜に出てくるリューネブルクや、第二十五夜のフランクフルトには、1833年から34年にかけて訪れています。
1833年から34年のイタリア旅行で受けた印象は、第十二夜、第十八夜、第二十夜などに表れています。
なかでも、暗い北欧で生まれたアンデルセンがあこがれてやまなかった明るい南の国イタリアは、この本の中で最も多く描かれています。
またその一方で、空想の翼を広げて、遠くインドをはじめ、グリーンランド、アフリカ、中国にまで思いをはせています。
それらは第一夜、第九夜、第二十一夜、第二十七夜として描かれています。
そのほか子供についての話が六つほどありますが、それを描くときの温かく優しい感情や、明るいユーモアを忘れないところは、いかにも童話詩人らしいところです。
さらに、笑いを誘うような話や、苦悩に満ちた話もあり、人生の一場面を切り取ったスケッチのようなものもあります。
小さな本ですが、まことに盛りだくさんの内容なのです。
しかもこの本は、「月が絵かきに物語る」という形をとってはいますが、その特徴は、絵にするための場面を次々と見せるような、めまぐるしい展開にあるのではありません。
一つ一つのお話の底に流れる、絵では表現しきれないようなロマンチックで高い詩情こそが、この本の命なのです。
翻訳にあたっては、コペンハーゲンのギルダンダル書店から1943年に発行された『H.C.アンデルセンの小説・旅行記集』第四巻に収められている『絵のない絵本』の原文を用いました。
ただ、若い読者にも読みやすいように、改行を多めにしたことを一言お断りしておきます。
(1952年6月26日)
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