初級翻訳・肉屋に化けた人鬼 第7話

牧 逸馬

それは、細い毛が生えた皮膚が一部残っており、まるで人間の尻の一部を思わせるような形をしていました。
しかし警察は、調べようともせずに「豚の肉だ」と簡単に片付けてしまい、ハアルマンは危ういところで難を逃れたのです。
ローランド・フックの父親も、数週間にわたって必死に息子の行方を捜し回り、ハアルマンの家の戸口で足取りが途絶えていることを突き止めました。そして徹底的な調査を警察に願い出たのですが、この時も警察は形式的な対応に終始しました。刑事の一団がハアルマンの家を訪れ、顔を赤らめた肉屋と騒がしく談笑して引き揚げただけだったのです。

ウイルヘルム・エルドネル事件の時もそうでした。ある日、エルドネルの父親の元へ「ホネルブルック」と名乗る探偵が現れ、「息子のウイルヘルムは浮浪罪で捕まえて保護している」と告げて立ち去ったのです。
ところが、ホネルブルックという名前の警察官は、市内には一人も存在しませんでした。
これがフリッツ・ハアルマン本人であったことは、彼が逮捕された後にエルドネルと対面させて判明したことです。当時、その偽刑事の顔や服装などをエルドネルから詳しく聞いていれば、フリッツ・ハアルマンの正体にすぐに気づけたはずでした。しかし、警察はその時、何の手立ても打ちませんでした。

犯罪が終わりに近づくにつれ、ハアルマンは露見の恐れなど忘れたかのように大胆になっていきました。殺した少年のポケットから出てきた小刀や持ち物を平気で市場で見せびらかしたり、友人に配ったりするようになったのです。
大きな犯罪というものは、些細な出来事が集まって、自然と解決のきっかけを作るものです。このハアルマン事件もそうでした。
少年たちが次々と闇に消え、腰の重い警察もいよいよ本格的に動かざるを得ない状況に追い込まれていました。ノイエストラッセのあたりから異臭が漂ってくるようで、ハアルマンの肉屋という存在が真剣に疑われ始めた矢先の1924年5月28日、4、5人の子供たちがライン川に近い浅瀬の泥の中で、少年のものと思われる完全な状態の頭蓋骨を発見しました。
そして不思議なことに、翌29日にも同じ場所から、今度は一度に3つもの少年らしい頭蓋骨が見つかったのです。
それらはすべてすぐに警察へ届けられましたが、警察はまたしても奇妙なほど無関心な態度をとりました。すでに例の「太った肉屋でスパイ」のフリッツ・ハアルマンに関する疑わしい報告を受け取り、予備知識もあったはずなのに、依然として泰然としていたのです。警察は「医学生の悪戯だろう」とか「他の町から流れてきたものだろう」と、あっさり無視してしまいました。

それから2ヶ月が経ちました。
5月末から6月、7月と、この2ヶ月の間に、ハアルマンの殺人リストには最後の3人が加えられていました。
フリイドリッヒ・コッホ、フリッツ・デ・フリース、アドルフ・ハンナパーです。
まるで冷水を浴びせられたように警察がハッと緊張したのは、この連続的な3人の失踪が必要だったからかもしれません。
警察は急に狼狽し、今度は一斉にハアルマンへと疑いの目を向けました。
しかし、証拠を掴んで動こうにも、人員不足である上に、ハアルマンは街中で顔が知れ渡っているため、彼を密かに見張り続けることはできませんでした。
そこで急遽、ベルリンから2名のやり手刑事が呼び寄せられ、ハアルマンの監視にあたることになりました。
彼らは「アウグスト・フロム」という絶世の美少年を探し出し、囮として使ったのです。
この時、すでにハアルマンは、ノイエストラッセ103番の自宅周辺に、煙のように立ち込める警察の視線を察知していました。彼は素早く、市の反対側にある古いユダヤ人街のロッテ・ライルへと移転していたのです。そこで警察は日夜、このアウギュスト・フロム少年を、ユダヤ人街にあるハアルマンの家――ここもやはり肉屋の店だったのですが――の近くに放して、根気よく待ち構えていました。すると案の定、6月22日の夜、ハアルマンは街中でフロム少年を見つけると、自分の店の二階へと連れ込んだのです。

確実な証拠を掴む必要があるため、警察はしばらく時間を与えてから、一気に刑事の一団が踏み込みました。すると、最初のロッテ少年捜索の時に発見されたレオン・グルンツの時と同じく、フロム少年は服を脱がされ、床に転がっていた大型の椅子に手足を縛り付けられ、ハアルマンがまさにその残虐な行為に及ぼうとしている真っ最中だったのです。

有無を言わさず、警察は彼をわいせつ行為の現行犯として逮捕しました。それと同時に、今度は念入りに家宅捜索を行い、衣服や持ち物などを片っ端から押収しました。それだけでなく、最近まで住んでいたノイエストラッセの家も、当時のまま締め切られていたため、そこからもほとんどすべての物品が証拠品として貨物自動車で警察へと運ばれました。

この時は大事をとって、目につくあらゆる物を押さえたに過ぎませんでしたが、実際、その一つ一つが後日法廷で役に立ち、ハアルマンの口を封じ、断罪を早めることになったのです。こうしてハアルマンの罪がもはや動かしようのないものとなっていく最中、もう一つ、逃げ場のない証拠が意外なところから現れ、それまで頑固にシラを切り通していたハアルマンの顔色を青ざめさせました。

かつてノイエストラッセでハアルマンが住んでいた家の家主の息子が、行方不明になっていたある少年の外套を持っていることが発覚したのです。被害者の少年の両親は、それが息子が家を出た時に着ていた物に違いないと証言し、家主の息子も「確かにハアルマンから貰ったものだ」と認めました。

ここにいたって、初めは処女のようにうぶで無力だった警察も、今は脱兎のごとく猛然とハアルマンを攻め立てるようになりました。烈火のごとき激しい尋問、第三級の、一種の拷問ともいえる取り調べです。それでもハアルマンは執拗に否認し続けましたが、ついに7月24日、暑い盛りでライン川の岸辺が涼み客で賑わう頃のことでした。

夕風の中、納涼の人々を満載した小舟が行き交う川面で、錨の鎖に何かが引っかかり、川底から浮き上がってきたものがありました。それは等身大のジャガイモ袋でした。中には大小さまざまな骨の破片がぎっしりと詰まっていたのです。発見現場は、以前に頭蓋骨が見つかった浅瀬を少し下った場所でした。

その、口まで骨で満たされた袋を、ハノーファー大学法医学教室のシャックウイッツ博士(Doctor Schackwitz)に送って鑑定を依頼したところ、精査の結果、少なくとも23人分の人体からなる骨片であることが判明しました。ハアルマンが折れ、いよいよ口を割りそうな気配を見せ始めたのは、この7月24日以降のことでした。

6

フリッツ・ハアルマンは、1879年11月2日、ハノーファー市に生まれました。父は街灯の点火人で、市庁舎の門番のような仕事も兼ねていました。父の名はグスタフ・ハアルマン、母はヴェルナです。フリッツは、母ヴェルナが43歳の時の子供で、男3人女3人の6人兄弟の末っ子でした。

父グスタフも酔っ払いとして評判の悪い男でしたが、長兄だけはなんとか真面目に進み、ベルリンで税務職員として働いていました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました