初級翻訳・蝶の絵 第5話

久生 十蘭

なんの真似をしているんだろう」
「津村のいたところは、石油が浸みだすというだけが取柄の暑苦しい蛮地で、大酒を飲んで昼寝でもするほか、時間のつぶしようがないもんだから、津村は癇癪をおこして剣をぬいて、女中を追いまわしたり、スープの皿を投げつけたり、まったくの気ちがい沙汰なんだ……こいつも、だんだん気が荒くなって、女中に飛びついたり、通るやつの首へ繩をかけてひき倒したり、手一杯にあばれていた。
あれはジョンゴスが首を絞められて、おおあわてにあわてる真似なんだ」
 そんなことをいいながら、忌々しそうに猿のほうを見た。
「むかしなら、それこそ猿臂をのばして、なんでもひったくったもんだが、これでも苦労をしたとみえて、なにか芸をしないと、食べものにありつけないと思いこんでいるらしい。
たしかに、おとなしくなったようだ」
 猩々の子供は持役は終ったというこなしで、テーブルに飛び移って立膝をすると、乾杏を一つとして山川にわたし、じぶんも一つとして仔細らしく埃をはらってから、老成した恰好で食べ方にかかった。

二

 山川は、むかしどおりの家庭の殻に……というよりは、自分というもののなかにとじ籠って、丸く熟した、温室のメロンのような円満な日日を送っているふうだったが、そのころ、山川が、混血児じみた若い娘と、お茶の水の焼跡を歩いているのを見たというものがあった。
学習院の女子部などという、お姫さまのお相手で、さぞ楽だろうと思うかも知れないが、それは見当ちがいで、こんなやりにくい学校もすくない。
教師を尊敬しない点でも有名で、何先生は何伯の家来、何々先生は、いぜん何侯の書生をしていたひとだなどと、遠慮なしに戸籍調べをやるのに、先生のほうは、叱ることも出来ず、そのとおりで、と頭をさげている。
父兄はまた父兄で、小間使いや子供のいる前で、こんどの院長は、成上りの小華族だとか、旧華族だが、男爵からあがったヤット子爵だなどと放言して、子弟を煽りたてるようなことをする。
戦前の女子部の生徒は、たいてい陰険で嫉妬深く、ようすぶってすましているが、ひどく早熟で、廊下などで、通りすがりに若い教師にすごいタッチをしたりする。
山川は、五歳ぐらいまで、蚕のようにすき透り、少年時代は、色の褪せたような白子面をしていたが、大学を出るころになると、ナルシス型のなよなよした優男になった。
山川が女子部の英語の先生にきまると、女生徒たちは、花世という女のような名に反感をもち、さっそく、みなで苛めにかかったが、極端に内気で、弱々しく、長い睫毛が、しっとりと眼に影をつけているといった感傷的な風姿が、同情と保護感情によびかけ、苛めるどころか、おかわいそうにといって、むやみに劬りだした。
山川の交際ぎらいと、律儀さと、人間にたいする用心深さは、家庭の気質の反映もあるが、じつは、争い事が起こるのが、なにより恐ろしいので、女生徒たちの過度の発揚から生じる葛藤ほど、迷惑なものはなかった。
山川の顔は、神経質な男によくある正直な顔なので、感情がのこらず丸見えになってしまう。
いったい友愛と平等とは、絶対に一致しないもので、五十いくつの顔を、過不足なしに、平等に見るということはできない。そのため、教室にいる間は、目が悪いわけでもないのに薄い色のついた眼鏡をかけ、視線をあいまいにぼかすという手の込んだ身を守る技を使い、一度もトラブルを起こさずにすませていた。
 戦争や恋愛だけでなく、激しいものや変わったものは何であれ山川の敵なのである。例えば恋愛にしても、血統や家柄、穏やかな家族や趣味のいいサロン、洗練された会話や節度のある作法といった背景がなければ考えられないような山川が、どこの馬の骨ともわからない混血の娘と、焼け跡の野原をぶらぶら歩き回るなんてことがあるはずがなかった。
 聞いたときは、ただ軽く笑い飛ばしていたのだが、そのうちに須田が、常磐線の土浦駅のホームで、そんな二人を見たと言い出した。
 それも、ちょっとした生半可な様子ではなく、娘は山川の首に両腕を回し、気絶しそうになりながら何かささやき、山川の頬をなで、キスをし、「艶めかしく美しい」と言おうか、「痛々しく美しい」と言おうか、まっすぐ見ていられないほどまとわりつくような光景だったということだった。
「土浦の何とかいう寮に、ジャワやスマトラから日本人を追いかけてきたインドネシアやオランダ系の娘たちが、何十人も集団生活をしているそうだが、そのグループの一人なのかもしれない。
もしそれが本当なら、山川のこれまでの人生にも、なかなかつまらないことではない箔(はく)がついたものだな」
 須田が少し怒ったような様子になって、こう続けた。
「誠実そうな顔をしているけれど、あの山川という男は、もしかしたら偽善者なのかもしれないぜ。
この間なども、もっともらしいことを言って、研究室へからかいにきた……。
山川が飼っているオランウータンの子どもが日本語にとてもよく反応するが、ほかにもそういうケースがあるかどうか教えてほしい、と言うんだ。
類人猿の習性研究はソビエトのスフム猿類科学研究所や、ケーラー博士の猿猴園(えんこうえん)で行われているが、その報告によると、オランウータンはヨーロッパの二カ国語を完全に理解することになっている。
英語とケルト語の方言――。オランダ語の素質も、ダイア語の素質も持ち合わせていない。
もちろん、日本語なんか理解するはずがない。
だから、そう言ってやったのさ……。
『猿に日本語がわかるんじゃなくて、猿を食べた報いで、君が猿語を使えるようになったんじゃないのか?
もしそうだったら、ちょっと怖い話だなァ』ってね。
山川のやつ、ムッとした顔で帰っていったが、とにかく、少し様子がおかしい。
山川には確かに何か秘密の影がある。
本心では何かを言いたがっているのだが、山川がそれを無理やり抑えつけている。
そういう必死の格闘が、俺には感じられたんだ……。
復員祝いの夜に話していた猿の話にしたって、あれは完全に作り話だぜ。
ニューギニアにはオランウータンなんか絶対にいない。
ドリアンだって、もしあればお目にかかりたいものだ。
これくらいのことは小学生だって知っている。
俺たちをバカにするつもりならまだわかるが、それにしたって、何のためにそんなにつまらない嘘をつくんだい。
黙っていたけれど、あの日の夜、俺はあまりいい気分じゃなかったんだ」
 手を洗うことや、赤い色を気にすること、そんな出来事を思い合わせると、思い当たる節がないわけでもない。
 山川がどんな秘密を抱えていたとしても、それはすべて山川自身の問題であり、こちらに告白する義務などないはずなのだが、いもしない猿を殺したとか、血だらけの手だとか、なぜあんな余計なことを口にしたのか、どうしても理解することができなかった。
 須田が帰ると、今度は岩城南光(いわき なんこう)がやってきた。
 伊沢と同じころ、外務省の書記生としてロンドンにいたが、画家である牧野義雄に影響されて絵の道に没頭し、外交官の将来を投げ出して、パリの貧乏絵描きたちの仲間に入ってしまった人物だった。

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