十分すぎるほど検討を重ねた末、それなら自分が引き受けようということで応召に応じました。しかし、あらかじめ内々に話が通達されていたとみえ、入営するやいなや「丙種学生」にさっそく選抜され、占領地行政学や謀略学を主な内容とする、個人情報収集に特化した短期の特務教育を受けることになったのでした。
フィリピン(比島)地区における山川の生活は、常に一流ホテルや高級フラット(アパート)を住まいとし、白い麻のスーツやタガログの伝統的なカミーサを着こみ、名士や知識人たちが集まるサロン・バーで優雅にグラスを傾けるというものでした。
街を歩くときは慎み深く上品に目を伏せ、いかにも磨きのかかった洗練された微笑みを浮かべ、軍部の無智さを軽妙な皮肉であてこする。「日本人は根本的に想像力が欠如しているから、他国民の統治など到底できませんよ」などとさりげなく呟いてみせる。
そうやって、自分自身を「知的な民主主義者」であるとか「軍閥の横暴に対立する気高い貴族の子弟」であるかのような鮮烈な印象を相手に与えながら、その会話の反応のなかに隠された微妙な陰影(ニュアンス)をしっかりとキャッチしてデータ化し、それを憲兵隊へひそかに引き渡すと、すぐにまた別の地区へと身をひそめて転出していく――。
山川の任務は、まさにそうした冷酷な行態の繰り返しでした。
山川自身は、自分が苦労して集めた情報や材料が、自分の一切望まないような極端で暴力的な方法で処理されていくことに、常に強い戸惑いと苦悩を感じていました。
しかし、そうした葛藤も、敗戦へと向かう時代の猛烈なテンポに合わせていよいよ残忍さを増していき、周囲にまき散らされる血の量はもはやとめどなくなっていきました。フィリピンの占領地行政は、見るに堪えない惨檔(さんさん)たる様相を呈し始めていたのです。戦争で死にたくないと思ったにしても、自分の安全で楽な生活を、他の人の災難や破滅の中に求めようとまでは願っていなかった。しかし、特殊勤務という組織の仕組み上、嫌になったからといってそこから抜け出すことも、やめることもできなかった。
戦争が続くか限り、この仕事をやるほかないと悟ったとき、臆病(おくびょう)で卑怯な自分に対する報いの大きさに、今さらながら愕然としたのだった。
「特殊将校に任命され、望んでいたことがすべてかない、戦争で絶対に死なずにすむと決まった瞬間から、取り返しのつかない精神の堕落が始まった。
この仕事の卑劣さをあらかじめ見抜けたら、こんなにも心の平穏を乱され、昼も夜も血だらけの幻覚に悩まされなければならないと知っていたら、こんな割に合わない任務など絶対に選ばなかっただろう。
そのころ、偶然にもシャルル・ヴィルドラックの詩を読んだ。
……こんなことなら、最初の戦闘の、最初の戦死者になればよかった……。
そうやりきれないほど後悔している真っ最中だったため、この詩の言葉が強く心に突き刺さった。
それにもかかわらず、どうしても死ぬのは嫌だったから、相変わらず醜い仕事を続けていくしかなかったのだ」
終戦を迎え、津村はスマトラ島でゲリラ鎮圧の虐殺事件に加担していたうえ、フィリピンでの残虐事件の首謀者・オペレーターであったことまで明るみに出てしまい、バタヴィアへ送られて絞首刑となった。しかし、山川の方はというと、終戦直前に石原産業の高級社員という身分を手に入れてフィリピン地区から蘭領スマトラへと逃れ、秘書という名目でリーナを連れ、二人でメダンの南貿クラブにたどり着いたばかりだった。そのため、自分の経歴をうまく隠し通し、戦犯の追及から逃れることができたのである。
マニラのフィリピン戦犯裁判の法廷では、何度も山川の名前が挙がった。だが、山川は現地の知識階級の間では「親フィリピン派の穏和な日本人」という良い印象を与えており、「どの事件の現場にもいなかった」と証言する知り合いが大勢いたため、結局問題にされずにすんだのだ。
山川は終戦年の十一月、一番早いリバティ船で日本へ復員し、昭和二十三年の春まで金沢の白雲荘ホテルで悠々自適に過ごしながら、フィリピン裁判の行方を注意深く見守っていた。しかし、その裁判も五月で決着がついたため、東京・目黒の自宅へと帰っていったのである。
白雲荘に滞在していた間も、山川の家とはひっきりなしに連絡を取り合っていた。そのため、姉の常子が伊沢の奥さんに対して、「あら、なんて言って、柱にしがみついたきり動けなかったのよ」などと語ったという話は、まったくの作り話だったのである。
事件はすべて過去のものとなり、フィリピンでの残虐な事件の本当の姿も、戦争の記憶とともにきれいさっぱり忘れてしまうはずだった。しかし、目の前の美しい花にも草にも嫌なイメージがまとわりついていて、払おうとしても払えない鬱陶しさがつきまとっていた。
思った以上に体の衰弱が激しく、現実世界までがどこか幻のように感じられるようになり、「自分は社会の人々やあらゆる物事から切り離された存在であり、人間らしいつながりを持つ権利などないのだ」という、理由のない絶望感にずっと悩まされていた。
「自分の考えや思想を隠す一番良い方法は、それについて考えないことだ、という理屈は知っている。だが、『忘れる』とか『考えずにいる』ということほど、実行するのが難しい仕事はない。
何を見てもすぐに当時のことを思い出してしまい、ついつい深く考え込んでしまうのだ」
山川の心を絶えず脅かしてやまなかったのは、「もし自分の正体が発覚すれば即座に絞首刑になる」という、あまりにもシンプルで逃れようのない事実だった。すべてが平和になり、世の中が安定すればするほど、恐怖はますます膨れ上がり、手に負えなくなっていった。
どんなにつまらない些細なことが発覚のきっかけになるかもしれないと怯え、この六年間の行動の辻褄(つじつま)が合うように必死で頭を悩ませた。「これならどこをどう突かれても金城鉄壁の完璧さだ」と自分では思っていたのだが、ある日の復員祝いの席で、「君の顔は、美味しいものを食べて安らかに暮らしていた人間の顔だな」と鋭く見抜かれてしまったのだ。
自分では完璧に大丈夫だと自負していたにもかかわらず、そんな一番大きくて肝心なところがすっかり抜けていた。そのことに気づかされたことで、自分の頭の良さや洞察力にすっかり自信をなくしてしまったのである。
リーナが日本へやって来たことも大災難だったが、津村が飼っていたあの猿との思わぬ出会いは、全く予想していなかっただけに、山川を激しく動揺させた。
冷静になって考えれば、世の中にはそういう偶然だって起こりうるはずなのだが、山川にとっては、それがまるで自分の犯した罪を暴き、糾弾しようとする「何者かの強い意志」であるとしか思えず、すっかりしどろもどろになってしまったのだ。
「最初に心にパッとひらめいたのは、『いつかこの猿が、僕のことを世間に告発するに違いない』ということだった。
どうしてそんな考えが頭に浮かんだのか、自分でもまったくわからない。
そんな風に心配するなら、人間であるリーナのほうがもっと危ういはずなのに、そちらの危険性についてはまったく頭に思い浮かばなかった。
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