危険だから、始末した……あんなおしゃべりな猿って、あるもんじゃない」
憂鬱そうな顔で呟くと、長椅子に沈みこんで、両手で頭を抱えた。
常子は、つかつかと花世のそばへ行くと、
「他人の前で、内幕をさらけだすなんて……あなたは、なぜ、そうなの?」
と蒼ずんだ顔で叱責した。
「常さん、いま、そんなことをいったって」
「母ァさんは、だまっていらっしゃい。
山川の家には、ユダはいないはずなんです」
そういうと、こっちへやってきた。
「今日は、とりこんでおりますから、失礼ですが、おひきとりねがえませんか……いずれまた」
おきまりの慇懃無礼で、空々しい愛想笑いをしながら、追いだしにかかった。
五
二月五日の午前八時ごろ、新宿、新大久保間の、いわゆる魔のカーブで山川が省線から振落されて不慮の死をとげた。
路盤へ落ちたところを、車輪に接触して土堤下へ跳ねだされたものらしく、大久保百人町の空溝のなかで死んでいた。
客観的な状況では、不慮の死だが、じつは、アクシダントを装った計画的自殺だったので、場所や条件を、実地について、相当、長い間研究したことが、手紙に書いてあった。
自殺するのに、そんな歯痒い方法を選んだのは、それがいちばんいいと思ったからで、それ以外の作為はない。
山川をそこまで追いまくった、いろいろな事情や素因を考えあわせると、山川としては、そうするほか、やりようがなかったろうということが理解できた。
桐ヶ谷の火葬場へ行くので、早く家を出たが、ついでに日仏画廊へ岩城の絵を見に寄った。晴れているのに、どこかどんよりと暗い感じのする朝でした。画廊に足を踏み入れると、なぜかふっと汗がにじみ出てきました。
人の良さそうな岩城の顔がそのまま思い浮かぶような、才能を感じさせない、どこか鈍くさい絵ばかりが並んでいます。わたしは体を少し斜めにしながら、早足で絵を見て回っていました。すると、窓から遠く離れた、影がどっと淀んでいるうす暗い壁面から、思わずハッとさせられるほど鮮やかな色彩が、いきなり目に飛び込んできました。
全体が灰色でむらなく塗りつぶされたキャンバスの真ん中に、まるで緋色のビロードを切り抜いて貼り付けたような、圧倒的な量感を持つ血紅色のモチーフが、何とも形容しがたい形で力強く盛り上がっています。
最初は花なのだろうかと思いましたが、よく見ると違いました。それは、体を少し斜めにして飛んでいる、一匹の蝶を描いた絵でした。
作品のタイトルは「マリポサ・ローハ(赤い蝶)」――。学名は何というのだろうか、シジミタテハに少し似ているけれど、それともまたどこか違います。
頭から翅の端まで、鮮やかな緋色一色に染まり、その上には白で繊細なアラベスク模様が配されています。これまで見たこともない、実に珍奇な美しさでした。
背中のふっくらとした部分では、血の赤さが一段と濃さを増し、まるでポッテリとした鱗粉の厚みまで感じさせるほどです。そして、何とも言い表せない絶妙なニュアンスを保ちながら、下翅の方へ向かってふんわりと色合いがぼかされています。ギザギザになった翅の縁は、この世のものとは思えないほど精緻なレース織りの唐草模様を描き出し、夢幻のように亜鉛白(ブラン・ド・ザンク)の背景の中に溶け込んでいくのでした。
最後に山川が送ってくれた手紙は、長々しくて厄介千万な代物でした。しかし、人間というものは、こうした種類の告白を、感情に溺れることなく、これほどまでにあっけらかんと坦懐(たんかい)に語り、そして敬虔な態度を最後までしっかりと保ち続けることができるものなのだと、その例の少なさに驚かされました。
周囲からは「嫌な奴」だと散々言われていた山川でしたが、その性格や情愛の奥底には、溢れんばかりの深い魂がひそんでいたのではないか――そんな戸惑いのような思いを、わたしに感じさせる手紙でした。
姻戚(いんせき)政策によって、学界や財界に広大な閨閥(けいばつ)の一大ネットワークを築き上げてきた米作(よねさく)、秦(はた)、藤池(ふじいけ)といった名家の系列に、この山川の家も連なっていました。
山川の家では、女性たちを社会事業家や教育者のもとに次々と嫁がせ、そうした方面にも強力な姻戚関係を張り巡らせるという方針をとっていました。
この血縁ネットワークによる相互扶助によって、教育界に揺るぎない勢力をしっかりと根付かせていくこと。それが山川家の絶対的な最高命令でした。生まれてくる子どもたちはもちろんのこと、嫁ぎ先の母親のいとこに至るまで、この政策を力強く推し進めるための、必要不可欠な要員として位置づけられていたのです。
そんな中、山川に舞い込んだ召集令状は、まさに寝耳に水の大事件でした。家をあげてあらゆる手を尽くし、何とか召集を免除してもらおうと運動を続けました。しかし、戦争がいよいよ敗戦の色を濃くする段階に入り、国家総動員法が発動されます。予備少尉ともなれば、よほどの重い病気(※疾=疾気・大病など)にでもならない限り、たとえ参謀総長の力をもってしても、もはやごまかしがきかないということが判明しました。
そこで、下の姉である朝子の夫で、軍務次長を務める木原大佐を中心に、緊急の家族会議が開かれました。
「日本の男がみな死んでしまうのは構いませんが、花世(はなよ)が死ぬことだけは絶対に困るのです。あの子を絶対に殺さないと、ここで保証していただきます」
山川の母親は、木原大佐に対してきっぱりとそう要求したのでした。
自分たちの自由がきき、しかも周囲をビビらせるような権力があるという点では、やはり「参謀副官」か「司令部付」のポストに限られます。しかし、そこには何かとうるさい服務規律があるうえ、いざとなればいつどんなまずい前線へ飛び出さなければならなくなるか分かったものではありません。それに、当時の食糧事情を考えても、内地(日本本土)がありがたい場所とは到底言えない状況でした。
一方で、物資が豊かに揃っている占領地の情報関係の「特務将校」であれば話は別です。髪を伸ばしたままでいいし、軍服すら着る必要もありません。ただ「副官並み」とか「高等官並み」といった、何とも不分明な肩書がつくだけで、軍の厳格な規則からは一切の例外扱いを受け、その気になれば現地のホテルに住み込んで贅沢な暮らしを送ることもできたのです。
しかし、ミッドウェー海戦での無敵海軍の壊滅によって「M作戦」が中止に追い込まれ、全軍の作戦経過に言いようのない黄昏(たそがれ)の色が差し始めると、占領地の敏感な上層階級の人々は、いちはやく日本の運数の尽きを正確に読み取ってしまいました。
ネグロス島ではアルコールタンクが爆破され、パナイ島では石原産業の社員が殺害される事件が起きました。表向きは島の暴民のしわざとされていましたが、実際にそのゲリラを裏で指揮しているのは、マニラの知的でハイソサエティな上層部の人々であることは明白でした。
こうした客観的な情勢の変化に伴い、ただ粗暴なだけの憲兵伍長や、頭ごなしの憲兵分隊長などではとても足を踏み入れることのでえない、閉ざされた上流階級のコミュニティの深部にまでしっかりと浸透していけるような、知的な特派要員が強く求められていたのです。
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