君子は徳を以てすべての人の才能を生かして行くが、それは自分を忘れることが出来るからじゃ。
才人は自分の才能を誇る。
そしてその才能だけで生きようとする。
無論それで一かど世の中のお役には立つ。
しかし自分を役立てるだけで人を役立てることが出来ないから、それはあたかも器のようなものじゃ。」
孔子はこの頃になくしんみりとした調子で説き出した。
「それに……」
と、彼は少し間をおいて、
「年少者だからといって、すべてに自分より後輩だと思ってはならぬ。
年少者という者は馬鹿に出来ないものじゃ。
ぐずぐずしているとすぐ追いついて来るのでな。
だが……」
と、孔子は沈痛な顔をして、再び間をおいた。
「四十、五十になっても、徳を以て世に聞えないようでは、もうその人の将来は知れたものじゃ。」
そう云った孔子の声はふるえていた。
子貢は喪心したように、ふらふらと立上った。
そして顔に手をあてたかと思うと、息ずすりして泣いた。
孔子もその時は眼に一ぱい涙をためていた。
1 子貢曰く、我人の諸(これ)を我に加うることを欲せざるや、吾も亦諸(これ)を人に加うる無からんことを欲すと。
子曰く、賜や爾の及ぶ所に非ざるなりと。
(公冶長篇)
2 子、子貢に謂いて曰く、女(なんじ)と回と孰れか愈(まさ)れると。
対えて曰く。
賜や何ぞ敢て回を望まん。
回や一を聞いて以て十を知る。
賜や一を聞いて以て二を知ると。
子曰く、如かざるなり。
吾女の如かずとするを与(ゆる)すと。
(公冶長篇)
3 子曰く、仁に当りては師に譲らずと。
(衛靈公篇)
4 子貢人を方(たくら)ぶ。
子曰く、賜や賢なるかな。
夫れ我は則ち暇(いとま)あらずと。
(憲問篇)
5 子曰く、君子は器ならずと。
(爲政篇)
6 子曰く、後生畏るべし。
焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。
四十五十にして聞ゆるなくんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみと。
(子罕篇)
—
伯牛疾あり
伯牛疾あり、子これを問い、※(窓の旧字体あるいは戸を開ける窓を表す文字)より其の手を執りて曰く、之を亡わん、命なるかな、斯の人にして斯の疾あるや、斯の人にして斯の疾あるやと。
――雍也篇――
冉伯牛の病気は、いよいよ癩病の徴候をあらわして来た。
顔も、手も、表面がかさかさになり、全体にむくみあがって、むらさき色がかった肉が、皮膚の下から、今にも渋柿のようにくずれ出そうである。このごろは、訪ねてくれる友人もほとんどいない。
彼自身でも、人に顔を見られたくはないので、結局その方が気は楽だが、一方では、やるせのない淋しさが、秋の水のように心の底にしみて来る。
そして、その淋しさの奥には、人間に対する呪詛が、いつもどす黒く渦を巻いているのである。
ことに、天気のよい日など、病室の窓から、あまりにも美しい日光が、燦々と木の葉にふりそそいでいるのを見ると、天地ことごとくが、自分に対して無慈悲なように思えてならない。
(澄みきった日光の下で、生きながら腐爛して行く人間の肉体! 何という自然の悪意だろう。
こんな悪意にみちた自然の中で、人間の心だけが、素直に育って行こう道理がない。)
彼はすぐそんなことを考えて、眼を暗い部屋の隅に転ずるのである。
しかし、自分の病気の正体を知った当座のおどろきにくらべるとなれば、これでも、彼の心は平静にかえった方である。
その当座は、悲しいとか、怨めしいとかいうのをとおり越して、何の判断力もなく、まるでからくり人形のように、家の中をうろつきまわったものである。
自殺しようとしたことも、幾度となくあった。
しかもそれは、あとで考えると、全く無意識的な発作に過ぎなかったようである。
かように、ほとんど絶望そのものになりきっていた彼が、ともかくも、悲しんだり、怨んだりするだけの人間らしさを取りもどしたのは、まったく孔子のお蔭である。
孔子は、おりおり彼をたずねて来ては、慰めたり、叱ったり、いろいろの教訓を与えたりした。
しかし、もっとも多く孔子が口にしたのは、一緒に諸国を遍歴して嘗めた労苦のおもい出、とりわけ、陳蔡の野に饑えたおりのことであった。
伯牛にとっては、こうした過去の物語が、何にもましてなつかしかった。
単なる慰藉や、叱責や、教訓などでは、どうにもならなかった彼も、一緒に旅に出て難儀をしたころのことが、しみじみと孔子自身の口から談られるのを聴いていると、次第に人心地がつき、生への執着が、水滴のように彼の心の中に滴りはじめるのだった。
それと同時に、彼の理性もそろそろと甦って来た。
そして、このごろでは、どうしたら悲みや怨みに打ち克つことができるのか、どうしたら自分の悪疾を気にしないで、以前のとおり落ちついた心で道に精進することができるのか、また、どうしたら生死を超越することができるのか、そうしたことに心を悩ますまでになったのである。
(自分は、徳行においては、顔淵、閔子騫、仲弓などとならび称せられ、自分でも、内心それを得意にしていたものだが、今から考えると、自分の徳行なんか、まるで寄木細工みたいなものに過ぎなかった。
その証拠には、一寸した障碍にぶっつかると、すぐばらばらに壊されてしまうのだ。
病気や運命に負けるような徳行が、何の徳行だ。――)
(それにつけても思い出すのは、陳蔡の野でみんなが苦しんだ時に、先生の云われた言葉だ。
「君子も固より窮することがある。
だが、小人と異るところは、窮しても濫れないことだ。」
(陳蔡の野参照)
と。
そうだ、どんな場合にも濫れない人であってこそ、真に徳行の人ということができるのだ。
しかし、その力はどこから出て来るのか。――)
(また、いつだったか、先生は、
「大軍の主将といえども、生擒にされないことはない。
しかし、微々たる田夫野人でも、その操守を奪い取ることはできない。」
と云われた。
何というすばらしい言葉だろう。
病気ぐらいでとりみだしている自分の心が恥かしい。
しかし、その堅固な操守の根本の力となるものは何だ。
自分にはそれがわからないのだ。
自分はこれまで、そうした根本的なものを掴むことを怠って、ただ先生や先輩の言動だけを、形式的に真似ていたに過ぎなかったのではなかったか。――)
こうした反省をつづけている間の彼は、さほど不幸ではなかった。
考えの解決はつかなくても、やはり彼の心には、人間らしいある明るさがあった。
少くとも、その間だけは、腐爛して行く自分の肉体を忘れることができた。
しかし、からだを動かした拍子に、痛みで皮膚の感覚が、眼をさますと、彼はすぐ自分の手を見つめた。
それから、その手をそっと顔にあてて、指先で、用心ぶかく眉や鼻のあたりを探った。
そして、そのあとで彼の心を支配するものは、いつも戦慄と、萎縮と、猜疑と、呪詛とであった。
どうしたわけか、今日はとりわけ朝から彼の心が落ちつかない。
友人たちに対する邪推が、それからそれへと深まって行く。
(みんなが寄りつかないのは、きっと自分の病気を恐がっているからだ。
そのくせ、病人の気持を察して、などと、いかにも思いやりのあるようなことを、お互に云いあっているのだろう。
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