ところが、いくらねじってもねじっても、終わりがないようにどこまでもどこまでもねじれていくのでした。
その時、ちょうどそこから一キロ(十町)ほど下流の河口を船で通りかかった人が、何だか水面でボチャボチャと音がするなと思ってよく見てみると、なんと一匹の「えんこう」が、一生懸命にぐるぐるとものすごい勢いで回転運動をしていたんだそうです。
つまり、「えんこう」の手は自由にどこまでもビヨーンと伸びるもので、こんなに長くなることもあるんだということが、この「本当の出来事」で証明されるというわけでした。
また、いろんな変わった方法でスズメやカラスを捕まえるお話も、すごく面白かったです。
たとえば一つの例を挙げると、お庭いっぱいにカキの葉っぱをズラリと並べておいて、その上に焼酎にひたしたお米の粒をパラパラと置いておくのです。
そうすると、スズメが飛んできてそれをペロリと食べると、あっという間に酔っぱらっていい気持ちになり、やがてそのカキの葉っぱを自分たちのちょうどいいお布団代わりにして、ぐっすりと眠り込んでしまうのです。
秋の太陽がカンカンと照りつけるので、カキの葉っぱがパリパリに乾燥して、ジリジリと丸まっていき、いつの間にかスズメをすっぽりと包み込んで、身動きができないようにピタッと縛り上げてしまうというのです。
その頃合いを見計らって、ホウキでサッサと掃き集めれば、お米の入るカマス(俵)に一俵分くらいは、簡単にドッサリと捕まえられたんだよ、というお話でした。
それから、カラスを捕まえる方法としては、こんなのもあるそうです。
牛の背中に赤い紙をペタッと貼り付けて、しっぽにはすりこぎ棒を一本しっかりと縛り付けて、野原へ放しておきます。
そうすると、カラスが上からスーッと降りてきて、牛の背中にある赤い紙を「おいしい牛肉だ!」と思ってついばむと、牛はハエでも追い払うつもりで、バシッと力いっぱいしっぽではたきます。すると、すりこぎ棒の一撃をくらって、カラスがアッサリと気絶して倒れてしまうというのです。
これらのお話は、有名な落語家である柳家小さん(やなぎやこさん)の落語のようであり、まるでヴァイオリンの名曲であるクライスラーの「クロイツェル・ソナタ」のように、本当に何度も何度も同じ聞き手である子どもたちの前でくり返され、そしてそのたびに新しく子どもたちをワクワクと喜ばせたものでした。
お話をくり返せばくり返すほど、その面白さの深みがますます増していくものだったのです。
この点では、古い歴史のある『論語』や『聖書』も同じようなものだし、それだけでなく、こういうその土地ならではの雰囲気がいっぱいの怪談やユーモアたっぷりのお話の奥の方には、私たち人間とは切っても切れない祖先たちの暮らしや考え方で彩られた背景が、ハッキリと見えてくるのです。だから、こういうお話を繰り返し聞かされているうちに、私たちの体のなかの幾億万もの細胞の中に眠っている、遠い祖先たちの魂が一つひとつ、だんだんと目を覚ましていくのでした。
中学生になってから、ようやくイソップ童話やグリム童話、アンデルセン童話とめぐり合って、日本以外にも別の世界があることや、そこには私たちとはすっかりちがった暮らしや考え方の人たちがいるんだということを教えてもらったのでした。
今の時代の子供たちは、世界中のお話の洪水のような大きな波に、すっかり押し流されているようなものです。
もしも今の若い人たちに、自分たちの国の歴史や文化を大切にする気持ちが足りないとしたら、その原因の一つには、西洋のお話を食べすぎてお腹いっぱいになってしまっている(食あたりを起こしている)ことも、数えなければいけないのかもしれません。
重兵衛さんは、大人の恋愛や性的な問題に関するお話は、ほとんどしなかったように思います。
お姉ちゃんの家でおうちの建て直し(大工事)をしていた時に、田舎から呼ばれてやってきて離れのお部屋に泊まっていた、大工の杢(もく)さんという人からもいろいろ面白いお話をたくさん聞いたのですが、こっちにはかなり赤裸々な大人のお話が入り込んでいました。でも、重兵衛さんの場合は、聞いてるお友達の大部分が自分の可愛い子供たちだったから、そういうきわどいネタはわざわざ気をつけて避けてくれていたんだと思います。
とにかく、重兵衛さんが晩酌のおつまみを食べながら聞かせてくれた、いろんな怪談や笑い話の中には、学校の授業の中にはちっとも入っていない、大切な要素がたくさん詰まっていました。
そして、このすばらしい要素を自分のまだ柔らかい子ども頭の中にしっかりと植えつけてくれた重兵衛さんには、やっぱり心からの感謝の気持ちを捧げなくてはならないなぁと、今でも強く思うのです。
重兵衛さんは、ぼくの心にファンタジー(空想)の大きな翼をパッと広げさせてくれて、自分の現実の世界の狭さや限界という「牢獄」を、ドカンと爆破して自由にしてくれた人だったのです。
それから、重兵衛さんの次男で、ぼくより一つか二つお兄さんだった亀(かめ)さんからも、本当にいろんなことを教えてもらいました。
彼はたしかに、子どもながらに一種の天才だったに違いありません。
何をさせても手先が器用で、彼が手作りした紙鳶(たこ=凧)は、風がほとんど吹いていないような弱い日でも本当によく高く揚がり、そのうえ強い風が吹いてもバランスを崩さずピタッと安定していました。
一緒に公園の木立のなかに鳥を捕まえるわなを仕掛けに行っても、亀さんがしかけた輪っかには、必ずと言っていいほどツグミやヒワ(小鳥)がパッと引っかかるのに、ぼくが仕掛けた方にはちっともかかりませんでした。
ウナギ釣りや小エビ釣りに行っても、まったく同じでした。
亀さんは、鳥や魚たちの世界の秘密を、まるで全部知っているかのように見えたのです。
学校ではどちらかといえば成績がよかったぼくですが、学校のテストではいつも一番下(びり)に近かった亀さんのことを、尊敬せずにはいられませんでした。
学校で勉強することは、誰でも先生に教わればすぐに覚えられることばかりで、一通りは言葉できちんと説明できるような「筋道の通った理屈」ばかりでした。でも、亀さんのもっている鳥や魚の世界についての知識は、頭で考えるのではなく完全に直感的なもので、学校の授業では絶対に教わることのできない、まったく別の種類のすばらしいものだったのです。亀さんは、たとえ目を閉じていたって、その心の目には森の奥を飛ぶ鳥たちの様子や、水の底を泳ぐ魚たちの動きが、まるで手に取るようにはっきりと見えているんじゃないかと思えるほどでした。
学校では絶対に教えてくれない、そういう種類の特別な知識があるということ、そしてそういう知識こそがとっても大切なんだということを、この亀さんに教えてもらったのです。
お母さんやおばあちゃんは、自分が亀さんと一緒に遊ぶことをあまりよく思っていなかったみたいです。
亀さんはたしかに「行儀の悪い」子どもだったでしょうし、それにすごくイタズラっ子でもあったようです。
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